小さな店だから、中にはせいぜい一人しか入れない。
パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。 |
新宿マルイ本館の屋上でピクニッケ。
1Fにあるル・プチメック東京のパンを買って、
8Fにあるスタバでカモミールティーラテをテイクアウトした。
横笛を吹くようにして食べた、新作のミルクフランス。
ミルクの味が濃いクリームはバターのようなテクスチャーで、甘い。
リュスティック生地はとにかくみずみずしくて、
ずっと口の中に入れておきたい。
リスのように頬袋があったなら、このリュスティックを両頬に貯蔵し、
お腹が空いたら食べようと思う。
表面のチーズみたいなあの香ばしい匂いが屋上の寒い空気の中で際立っていた。
新作のチョコ・コルネ。
バレンタインの贈り物にしてもいいのじゃないかと思えるほどに
身体が火照ってくるようなチョコクリーム。
言ってて違和感があるので訂正すると、チョコクリームというよりはチョコペーストというイメージ。
だから大切な人と一緒に、舌先で溶かし合って食べればいい。
多分おそらくきっとメイビー、そんなロマンティックな味わい方をしてもいいように
このチョコクリームは硬めに作られているのだという気がする。
色々な座り心地の椅子が点在していて、感じのいい空間。
お弁当を食べている女性、
下の階で飲み物をテイクアウトしておしゃべりしている女性が2人、
植物を観察しながらメモを取ったり写真を撮影して話し合っている老若男女のグループ、
愛のようなものを語り合っているに違いない1組の若い男女。
家でスープと一緒に食べた、パン・ヴィエノワ。
想像以上に弾力のある。
じゃがいもパン。
じゃがいもキューブがところどころに入っている。
しかもツルツルというかウルウルというかそのキューブ自体も潤っているのだった。
柔らかく糸を引くようにもっちりとした食感に
私は久しぶりのパン・トリップをした。
毎日食べてもまず飽きることはないだろう。
買い置きしておきたい逸品。
西新宿を見上げる。【D】
(ピクニッケ+プチメック=ピクメック)
JUGEMテーマ:美味しいパン
取材を終えて帰ろうとしたときだった。
渡辺さんが「散歩しよう」とおっしゃって、我々はそのまま渡辺さんに付いていった。
小雨の降る浅草。
インタビューでは語られなかった話もする。
渡辺さんが写真ばかり撮り何も言わない私に気を遣って
「あなたはカメラマンなの?」と声をかけてくださった。
ブログのために撮影をすることがあると話す。
「どういう写真を撮るの?」と問われて「当たり障りのない写真」と答えたとき、
自分が渡辺さんを前にとても緊張していることを自覚した。
長年ペリカンのパンを使用している喫茶店へ案内してくださった。
ピザトースト。
ホットドッグ。
ヨットや音楽や恋や映画や将来の夢や人間の声やファッションやお酒の飲み方のことなど、
話は尽きなかった。
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取材から編集部に戻って間もなく、ペリカンのパンを焼いて食べた。
トースターをおもむろに設置してどんどん焼いていく。
編集部員は匂いにつられてトースターの前に群がり、食料配給のような列を作って
焼けるのを待った。
取材を終えて、しばらく放心状態が続いた。
渡辺さんの言葉やその時の光景を反芻していたら、
興奮が収まるまでに時間がかかったのである。
職人さんの手を離れたパンからでさえ刺激を受け取っているというのに
その作り手である職人さんと触れ合ったことで
許容範囲外の刺激を受け取ったのかもしれない。
これから何人もの職人さんと出会うなかで冷静に対話をしていくためにも
刺激を受け止められるだけの勉強を続けなければいけないと強く感じました。
ペリカンの渡辺さん、ペリカンの皆様ありがとうございました。【D】
(003をお楽しみに…)
JUGEMテーマ:美味しいパン
人を虜にして放さない、ペリカンのパンの魔力について、2代目は、
「理由はわからないけど無性にあれが食べたい、(中略)その欲求の本質的な部分を探って、それに接近していくよう」でいて「さりげなく、細く長くおつきあいができるパン」と。
あるいは、「弾力と張力」という表現をした。
たしかに、ペリカンのパンのおいしさとは、弾力に加えて張力なのである。
歯が食パンの表面に当たり、押し切る瞬間に、張りつめていたものがたわむ。
生地が歯を押し返しながら、やさしく歯切れると、パンの味が滲みだしてくる。
決してすぐにではない。
じわじわと、「甘さ」という言葉で表現されるぎりぎりの、とてもあっさりした精妙な甘さがでてくる。
最初の甘さがなくなっても、別の部分から同じ甘さが現れ、それがなくなってもまた別の部分から甘さが現れる。
だから、いつまでも飲み込むのが惜しいような気さえする。
3代目の渡辺猛は、私が読み上げた父親の言葉を、目を伏せてじっと聞き取り、そしてしばらく考えたのち、自分の言葉に置き換えて、いった。
「自然とか、そういう言葉になっちゃうの。自然」
ペリカンは、食パン、ロールパン、バンズのわずか3種類しか置かない。
昭和24年の創業当時、あんぱんやジャムパンも売る「普通のパン屋」だったペリカンを、2代目店主は切り詰めた品揃えのパン屋として確立した。
昭和30年代から40年代にかけてのことである。
ペリカンはそれ以来まったく不動のように思える。
作り手でさえわからないほどの微妙な「変化」を感じとって訴える常連さんの期待に数十年にわたって応えてきた。
私たちは、雑誌のパン特集にのるパン屋に、「もっと新しいものを」と、移ろいやすい現在を求めて足を運ぶが、ペリカンにだけは変わらない過去を求める。
しかし、それは幻想に過ぎない。
「変わらないというのは嘘だよな。まず、粉とか素材が変化しているじゃん。バターも質が変わっているし。パンを焼く環境にしても、戦前は薪、それから電気、灯油、いまは都市ガス。製造装置も進化している」
変わっているにもかかわらず、まるで変わらない。
人びとの記憶の中のペリカンであるためには、むしろ変わりつづけなくてはならない。
「世代も変化しちゃってるわけじゃん。日本人の質が変化している。そこで昔と変わらないようにしてたら、潰れるぞ」
渡辺は浅黒い肌をしている。
いつもヨットに乗っているからだ。
ヨットを速く動かすには、風や波、そして潮の動きを、鋭敏に感じとらなくてはならない。
ヨットとパン作りには似ているところがあるという。
「いきたい方向にいけない。自分のいきたい方向にいくには紆余曲折しないと」
ペリカンとそれを取り巻く状況を、渡辺は固定したものとして見ていない。
パン屋が相手にするのは、客の記憶や感覚という移ろいやすいものである。
あるいは素材の生産条件や、設備や、経済という、パンを作るために必要不可欠なものも移ろう。
それら刻々と変わりゆく、必ずしも目に見えているわけではない、いくつかの変数を読みとり、複雑な連立方程式に最適の解を与えることが、ヨットの操作に似ているのだという。
時代は潮流のようにいつも流れているにもかかわらず、そこに浮かぶペリカンがまるで灯台のように、いつも私たちから同じ場所にあるように見えているとするならば、それは渡辺の巧みな操舵によるものだ。
時代を超えて多くの人びとの心を捉えて離さないペリカンのパンの魔術的なおいしさ。
それを確立した父に対する渡辺の感情は、アンビバレントなものだった。
「生きてるときは反発ばっかりしてたもん。合わないんだよ」
合わないと思っていた父の元でパン作りを学び、父の残した店を守り抜くことになった渡辺は、実は父親によく似た人なのではないかと、私は思った。
渡辺には、シンプルでありたい、さりげなく、自然でありたいといつも思う心の傾きがあって、言葉の端々にそれが現れる。
例えば、接客に関して、渡辺が心がけているのは、「いかに余計な言葉を重ねないか」「ひとつの言葉で別の気持ちも伝えられないか」である。
あるいは、私が「舌を満足させる」という言葉を使ったとき。
「舌を満足って、そこまでおこがましくないよ。あなたが一週間すべて通して、おいしかったって食事ある?」
ペリカンのパンはただそこにある、という感じがする。
ひとつの強烈な味を押しつけるのではなく、こちらから呼んだときだけ応えてくれる。
主導権は食べる側にあって、意識を働かせたときに、きっちりと、期待した以上のすばらしいものを返してくれるという感じがするのだ。
冒頭に書いた2代目の「さりげなく」という言葉に対する渡辺の解釈はこうだ。
「おこがましくないというか、さりげなくというのは、こっちから自分の存在をアピールするんじゃなくて、という感じじゃないのかな」
それはパンの味にとどまらず、わずか3つしか商品を置かないこと、あるいはまるでパン工場の軒先に棚とテーブルを置いただけ、といったたたずまいのうつくしさにもいえる。
渡辺が父に抱いていた複雑な感情は、死によって昇華された。
「親子ってそういうもんだと思うんだよね。死んでから、ああいい人だったなと」
ペリカンのパンに2代目の記憶が詰まっているように、浅草のいたるところに父の記憶は満ちている。
「町を歩いてもそうだよね。『親父さん元気か?』『いや、もう死んでるんだけど』。うちの親父の記憶を持ってる人、まだ浅草にいるわけじゃん。『親父さんは?』という話が出るかぎりは、親父の影響からは抜け出せないなと。でも、それはそれでいいんだよね。ありがたいし」
そして、渡辺はつけ加えた。
「記憶って大事。記憶ってのは、その人にとってだよな。他人がどう感じるかって、また別なものであって」
記憶は、そこにあって、そこにない。
その例として、渡辺は、近くに置かれていた北京オリンピックの記録写真集を私に示した。
オリンピックが開会してからではなく、開会するまでの準備風景が映されていて、いかにも中国の国柄を表し、たくさんの人びとによる人海戦術によって、スタジアムが建設されていく。
オリンピック会場が完成してしまった以上、その風景はもはやなく、人びとの記憶と写真の中に残されているだけだ。
渡辺の導きによって写真集を見ると、なにげない写真が不思議なものに見えてきた。
パンを食べることも記憶に関わるものであり、現にここにあるパンと、本当はそこに存在しないはずの、パンにまつわる記憶を重ねて食べているのではないだろうか。
いままで食べてきたさまざまなパンの記憶を持って私たちはペリカンのパンを食べ、そして一度ペリカンのパンをおいしいと思ったなら、その記憶をもう一度よみがえらせるためにペリカンのパンを口にする。
記憶は食べる人の数だけある。
パンを作る仕事は、そうした目に見えないものを感じとり、また決して侵すことのできない個人の記憶に常に敬意を払いながら行うものだということを、渡辺はいいたかったのではないだろうか。
そのためには、さりげなく、自然でなければならない。
渡辺はこうもいっている。
「正直に作っていくことがいちばん大事」
昔から続けているロックバンド。
取材中ずっと調子が悪そうだったPC。
配線を確かめている。
外された黒縁の眼鏡。
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