地元に馴染んだ小さなブーランジュリー。
パンひとつひとつもどこにでもある普通のものに見えながら、どこかうつくしいたたずまいをしている。
食べると、レベルの高さに驚く。
普通でありながら、特別である。
普通のパンを突き詰めて、特別なおいしさに達した、とも思われるし、普通さと特別さが矛盾なく接合されている、とも思われる。
チャバタ(270円)。
極めて例外的な、明るい甘さを響かせる。
口に入れた瞬間からすでに甘いのに、噛むごとに果てしなく甘くなっていく。
低温長時間発酵、そしてオリーブオイルが気づくか気づかないか程度、少しだけ含まれていることがこの甘さを実現している。
リュスティックをほうふつとさせる、しっとりとした、ぷるぷるの生地。
そしてリュスティック同様に、焼き切らない小麦の生(き)の味わいがある。
長時間発酵の甘さと、小麦の生々しい味わいの両方がいっぺんに味わえるパンには出会ったことがなかったし、それが可能だとも思わなかった。
「セモリナ粉を使っているから」だと秋元英樹シェフはいう。
チャバタとしては特別なリュスティックのようなぷるぷる感は、長時間発酵の副産物だというが、
「もっちりしすぎると、食事と合わせたときスープを吸わないし、食べたとき重い」
と、シェフは納得していない。
おいしいというだけでは十分ではないというように。
普通の生活と馴染ませてこそ、自分の作るパンは役割を果たすと考えているのだろう。
志賀勝栄シェフの片腕として、アルトファゴスからペルティエへと付き従った。
低温長時間発酵の発見という伝説も間近で見た。
師のことを、親しみをこめて「志賀ちゃん」と呼ぶ。
近寄りがたいイメージを払拭しようと、あえて気さくな人物として描き出すのだった。
「ぶっとんだことはします。
こうやっちゃいけないという常識をぜんぶ取っ払って。
自分がいいと思ったらいいし、枠は作らない。
普通の人が見たら『ばっかじゃねーの』というぐらい、イーストをとんでもなく減らすことをおっぱじめた。
以前から長時間発酵はありましたが、それ以上に長時間にした。
思いつきもすごいけど、ベースの技術があるからできる。
今のパンしか知らない人は、そんなパン(長時間発酵)しかできないけど、志賀さんは普通のパンもできる」
志賀勝栄流の低温長時間のパンをそろえるが、すべてではない。
「低温でやると味は濃くなるが、ボリュームもダウンして、値段も高くなる。
志賀さんは自分のやりたいパンをやっている人で、それでいいと思いますけど、僕らのようなちっちゃい店は、町に根づいてやっていきたい。
ハード系もあるし、チョココロネもあるし、というような店を」
クリームパン(140円)。
豊潤であり、かつ、すっきりとしたクリーム。
甘すぎず、舌に残らない。
バニラの香りが香水のようにうるわしく感じられるのはなぜなのか。
パンの発酵の香りと、二重映しになっているからだった。
ふるふると震えるほどふわふわなパン生地は、食感においてもクリームと響きあう。
パンとクリームという1+1が3にも4にもなっている。
食べるたびにしみじみおいしいと思う。
ハード系からチョココロネ、クリームパンのような普通のパンまで高いレベルでカバーする店といって真っ先に思いつくのは、ベッカライ・ブロートハイム。
秋元さんのもうひとりの師は、ブロートハイムの明石克彦シェフだ。
「ブロートハイムは、あの場所でもう20年以上やってる。
町に根づいたパン屋がいちばんだと明石さん見て思った。
明石さんにはたくさん教えてもらった。
小僧の頃からお世話になってます」
どこにもないようなおいしいパンを作る志賀勝栄と、どこにでもありそうなおいしいパンを作る明石克彦。
コシュカは、両者のいいところがあわさってできている。
明石シェフに秋元さんがいわれたのは次のようなことだった。
「地道にやれ。
みんなはじめからすごい店じゃなかった。
1人2人からはじめて、大きくしていった。
若いときからそんなに求めないほうがいい。
勉強しながらよくしていけばいいんだから」
明石シェフは盛んに講習会を開き、あらゆるパン屋がレシピを参考にする。
にもかかわらず、ブロートハイムに行かなければあの味は決して食べられないのは、どうしてなのだろう。
「教えてもらっても、明石さんのパンはできない。
ブロートハイムのロデヴが好きなんですが、明石さんが作ると、明石さんのロデヴになる。
配合には差がないのに、なんか明石さんのパン。
香りだったりとか。
(完成に)持っていく段階で、明石さんの考えが入っているんでしょうね。
リスドオルも、ロッドによって(品質に)アップダウンがある。
それでも持っていきたい方向に持っていける。
講習会をいっしょにやらせてもらってるんですが、どこの粉を使っても、明石さんの味になる」
秋元さんが明石シェフにいつもいわれる言葉がある。
「普通のものを普通に作る。それがむずかしいことだよ」
「それができるようになりたい。
(具体的にはどういう意味か?)言葉でいい表せない。
なんか重いような、軽いような。
明石さんが毎日そう思って作っている。
特別なものにする必要は、俺もないと思う。
志賀さんのは特別なものになっちゃってますから」
「普通のものを普通に作る」という言葉は謎めいていた。
しかし、秋元さんが、つづいて語りだしたことは、その意味をほんの少し照らしだすようだった。
「震災のとき、うちもそうだけど、パン屋さんには、すごくたくさんお客さんきてくれた。
そうなったとき、俺ら、なにかしらできる。
パン屋さんが根づいているからだと思う」
さまざまなパンをさまざまな製法で焼き分ける技術を持ちながら、秋元シェフはいう。
「自分のパンは作れるようになりたい。
すごいっていわれてる人たちはすごい。
どうしても追っかけてる感じがある。
自分はまだ固まっていない。
自分はこうだ、というのできていない」
だが、思う。
志賀勝栄と明石克彦という2人の偉大なパン職人からたくさんのものを吸収し、なお普通であろうとすることは、極めて非凡ではないかと。
カンパーニュのパストラミビーフサンド(280円)。
ビーフジャーキーのような濃い肉の風味を立ち上らせるパストラミビーフ。
さわやかにアクセントをきかせるオニオンマリネ、トマトのジューシーな酸味、マヨネーズとの組み合わせが至福。
それらを包み込むのは、染み入るように味わい深い酸味とうまみが印象的なカンパーニュ。
濃いだけではなく、癖がなく、すっきりとした部分もあって、それが肉の味わいをうまく引き出す。
食事パンを作るときいつも料理との相性に配慮している秋元シェフの考えが、このサンドイッチを食べてわかった。