アーネカフェ/ジージョベーカリー(新高円寺)
2012.06.30 Saturday 18:00
152軒目(東京の200軒を巡る冒険)
女性の作るパンには女性の魅力がある。
それを知ったのは、阿佐ヶ谷にあったベーグルにおいてだ。
住宅街の路地裏に突然現れる、奇跡のような光景。
民家ばかりがつづく車も入れない細い道、マンションの裏口のようなところに人だかりがしている。
小さな厨房、お客ひとりでいっぱいになる小さな店にベーグルや、ハード系のパン、焼き菓子、注文してから作られるサンドイッチ。
狭い厨房で立ち働く、あるいは笑顔で接客してくれる女性たちに会うのも楽しみのひとつ。
なにより、パンの見た目、舌触り、食感、口溶けにある、愛らしさ、やさしさ。
技術よりもっと大事なものの感触をそのパンは教えてくれたのだった。
ベーグルは3年前に姿を消したが、アーネカフェ/ジージョベーカリーとなって、新高円寺で復活している。
姉の宮本麻紀さんがお菓子やサンドイッチ、カフェメニューを作り、妹の早苗さんがパンを作る。
以前通りの、小ぶりでかわいいパンたちに加えて、明るい吹き抜けのあるカフェでゆっくりと過ごす時が、この店の魅力として加わった。
きっかけは十数年前、姉妹で見たニューヨークの小さなベーグル屋。
「ニューヨークに旅行したとき、パンが生活に根ざしているのを見てうらやましくなった。
印象的だったのが、ベーグル屋。
オフィスにいく途中、気軽に毎朝寄る。
旅行者もつかの間、生活者になれる。
受け入れてもらえる。
それを見て、『自分たちもパン屋さんやってみたいね』って。
たとえば、スーパー行っても、サイズが大きくて牛乳1本が買えなかったりするけど、パンっていちばん体験しやすい。
安いし、歩きながら食べれるし。
唯一、アメリカに住んでいる気分にさせてくれる場所でした。
町の住人なんだって。
自分の町を好きになるために、パン屋さんは必要。
『あそこのパン屋さんはいいわよ』ってご近所の話題になるような。
日本でいえばお豆腐屋さん。
町に根づきたいな。
それで裏通りを探しました。
住宅街なので、いろんな人の嗜好に合うよう、いろんなパンを置いています。
みなさんの生活の中に溶け込めないかと。
ここは日本ではなく、NYなんだと、私たちは思いながら。
おしゃれなものでもなんでもない、普通のパン屋さん」
当時は、まだ本格的なパン屋が少ない時代。
いまでこそ、女性のパン屋さんは当たり前だが、製菓・製パン学校を卒業した宮本さん姉妹を雇ってくれるところは少なかった。
自分のペースで、自分だけのパンを作ることはできないのだろうか。
あきらめかけていたところに、アメリカの自由な空気が、女性がパンを作るというハードルを越えさせてくれた。
「日本ではフランスのものをそのまま入れるのが、いいとされているところがあります。
フランスは職人の文化が残っていて、規定も決まっていて、品質が均一。
アメリカはそれが一切ない。
それなら自分たちにもできそうだと思いました。
規定通りのパンを構築するのは、私たちには到底無理でしたから。
アメリカでは、パンはトラディショナルなものではないので、たくさんスタイルがある。
他の民族のものだから。
じゃあ、自分たちもやっていいだろうと思えた。
学校で習うのは、フレンチベーキング。
文化として触れたのは、アメリカ、イギリスのパン文化」
ニューヨークから帰ってきた妹はパンを作りはじめた。
「アメリカで見たのを真似て、ベーグルを作ったりしてました。
妹のパン作りに対する熱意がいいなーと思って」
カンパーニュ。
軽いところと重いところが共存していた。
しっかりと味わいのある重い種に、重い生地(ライ麦、全粒粉)というのが、普通のカンパーニュである。
このカンパの場合、酵母は、酸味も癖もないのだがしっかりとした風合いがあって重いといえる。
一方、小麦は軽やかで、きれいな味わいがする。
つまり、早苗さんの非凡さとは、よく見かける重重や軽軽ではなく、重軽の境地を発見したことだ。
火抜けして風味が籠りすぎていないし、溶けるほどにちゅるちゅると、小麦の味わいを滲みださせる。
ジージョベーカリーのパンはどれも小さく、かわいい。
「彼女のパンは、軽いパン、繊細なパンが多い。
肌触りなのかな。
彼女の手の大きさに合わせた形のパン。
大きなものは成形しづらいですし。
普通のお店では、ひとりで作るのではなくいろんな方が触るので、個性が出にくくなるし、決められたパンの形を守ろうとする。
妹の場合は、個性が出たパン。
『もうちょっと丸いほうがかわいいよね』とか思いながら作る」
妹の才能をいち早く見抜いたのは、自分も製パン学校に行った麻紀さんだった。
彼女のパンに圧倒的信頼を置き、開店以来、妹にパンはまかせ、決して手を触れようとしない。
「お菓子を作ったり、サンドイッチを作ったり、パン以外を私がやろう。
彼女の感性は私にはわかっています。
女性なので、ヨーロッパの方には、昔なつかしいお母さんの味。
家庭を脱しない、女性らしさ。
職人の仕事を重視するヨーロッパやドイツと比べて、アメリカやイギリスでは、『アップルパイはやっぱりうちのママの味がいちばん』という感覚が入る」
本棚に古めかしい本が刺さっていた。
シェ・パニース。
アリス・ウオーターズがカリフォルニアではじめたオーガニックレストランのレシピ集で、うつくしいイラストに彩られている。
あるいは、最近パリから日本に進出したローズベーカリーの女性店主ローズ・カリラーニについて水を向けると、
「あの人も、イギリスの女性ですよね」と。
家庭的なやさしさを感じさせるパンや焼き菓子を売り物にするのは、ヨーロッパ大陸よりも、アングロ・サクソンの伝統なのだった。
あたためること。
いちばん家庭らしさを感じさせるカフェのメニューは? と尋ねたところ、麻紀さんが作ってくれたのは、ソーダブレッド(200円)だった。
ふっくらして、かりかりして、香りがやさしい。
ちょっと甘さが足りない感じなのが、ホイップクリームから甘さを受け取って、ちょうどいい。
普通に買って帰っていたら、むしゃむしゃ齧りつくだけで終わっていただろう。
ほのあたたかくあたためられることで、愛情まで充填されたようだった。
「外国人のお客さんに、なつかしいと言われます。
こんな感じで出てくるカフェがアメリカではよくありますね。
ヨーグルトで代用しているのですが、アメリカみたいにバターミルクがあればいちばんいい。
アメリカのパン屋さんにはスコーンとソーダブレッド必ずある。
アメリカはごつごつした形で、イギリスは型で作っている」
外国の料理本や童話が置かれていることも、西洋へのあこがれを出発点にしている、この店のありかたを示唆する。
「物語の中のお菓子。
女性はそっちからくる。
クランペットは、よく読んでいた本に出てきましたが、当時はホットケーキしかなかったのでわからなかった。
パンケーキもなかったし、クレープってなんだろう。
赤毛のアンなんかがそうですね。
アップルパイを作ってる様子とか。
リンゴ刻んではさむって読んで、どういうことだろうなと思ったり」
そのことも、アーネカフェ/ジージョベーカリーのパンがかわいい理由なのだ。
菓子パン、惣菜パンが、棚に見当たらない。
赤毛のアンがそうしたパンを食べるはずもないのだから。
それは早苗さんのパンへのリスペクトであり、あこがれてきた西洋のパン文化に対するリプライでもある。
「パンありきだと思っていて、パンとなにかを食べるとおいしいんだということを伝えたい。
パンにひと手間加えるとおいしくなる。
たとえば、バターを塗ったりすること。
あまり菓子パンとか、惣菜系は作っていない。
食感とかを大事にしているので。
菓子パンや惣菜パンは、中身が飛び出さないようにしたりするために、成形で手をかけているので、味があまりしなくなっているように感じられます。
パン生地がどこかへ行っちゃってるような。
それより、できあがったパンを加工する。
食パンを薄く切ったらこういう味がして、厚く切ったらこういう味がして。
ヨーロッパにサンドイッチという文化がある。
日本でいえばおにぎりにあたる。
サンドイッチだけ持っていけば、昼ごはんになる。
それとか、パンを切ってなにかを塗ったり。
切り方も、こっちの方向に切ってもありなんだとか、ここに切れ目入れたりするんだとか、そういうおもしろさを伝えたい」
本日のジャムパン
ソフトフランス生地のむにゅむにゅぶりが半端ではない。
小さなまん丸パンに切り込みを入れ、自家製のマーマレードが塗られている。
甘さを控え、苦みが走って、素材の味わいを活かした透明度の高いジャムを、たっぷりというバランス。
のっぺりした小麦の味わいがしっかりと残り、納得のある甘さを皮の苦みとともに飲み下す。
白パン的に、唾液でパンがちょっと丸くなりながら生地が溶けていく感じがなつかしくも、紙一重で口溶けはなめらか。
パンをパンとして完成させたあとに、さらにおいしくする一工夫。
もし、パンといっしょにフィリングを焼きこむジャムパンならば、この味わいのエッジはなかったかもしれない。
フィリングを包んで成形するならば、このもちもちの食感はなかっただろう。
もちろんこの小さな球体を菓子パンに仕立てることも不可能。
「パンとなにかを食べるとおいしいんだ」
パンラブこそ最高の技術である。(池田浩明)
アーネカフェ/ジージョベーカリー(A-NE CAFE / gigio bakery)
東京メトロ丸の内線 新高円寺駅
03-3314-3234
8:30〜18:00
火曜、第2・4水曜休み
#152
#152