パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
志賀勝栄、アウト・オブ・ポジションへの旅
第1章  群馬病院

朝9時、前日から夜を徹して厨房に立った志賀勝栄は、店の前に停めたワゴン車のハンドルを握った。
家に帰るためではない。
彼はこれから車を運転して旅へ出るのだ。
技術指導のための旅行であっても、自分の店シニフィアン・シニフィエの厨房を空けるのは最小限である。
夜勤明けの睡眠時間を、寝ずに労働時間へと変え、技術指導を行う。
行き先は群馬県高崎市の群馬病院である。

「入院患者が社会復帰するためのトレーニングとしてパン作りを取り入れたいので、協力してほしいというお話が、群馬病院からありました。
1年半前にスタートしました。
パンは1種類、パンペイザンだけ。
作る人にプロはいません。
看護師さんと、患者さんの中でやってもいいという人。
作業をするのは週2回。
中心になってやってくれている看護助手さんは、僕と同年代でもあり、話が合う。
そういう人じゃないと教えられませんし。
看護師・看護助手さんというのは精神的にタフであり、繊細であるということが求められる職業。
それって、まさにパン屋さんだと思いませんか?」

パン業界の第一人者というべき志賀勝栄がいわば「素人」にパン作りを教えるのはなぜなのか。
少し疑問ではあったが、新しい試みに心を動かされていることは、伝わってきた。
月1回、ないし2ヶ月に1回の技術指導はすでに1年を越え、製法を伝授する段階は完了したという。
今回病院を訪れる目的について、志賀勝栄はこのように説明する。

「ずっと仕事をつづけているとだんだん思いが変わってくる。
僕がみなさんにお願いすることは、『こういう具合にみなさんの思いをひとつにしてください』ということ。
それが大事です。
いろんな人がいるのはいいことだけど、パンを生み出すのはひとつの意志であるほうがいい。
人間がごちゃごちゃいるけど、最後はひとつになる。
漫画の『キャプテン』みたいな。
空中分解するといけないですからね。
そうならないよう、調整をします」

志賀の行う「調整」とはなんなのか。
それを見届けようと思った。

関越自動車道を北上し、群馬病院へ。
うつくしい芝生と花々で彩られた中庭を横切り、つづいて薄暗い病院の廊下をずっと歩いていく。
診察室や病室と変わらない普通のドアの上に小さな看板が出ている。
パン工房エルピス。
火曜日に生地を仕込み、水曜日にパンを焼く。
焼かれたパンペイザンは、昼食の「主食」として患者たちに供される、職員らにも予約販売される。
小さな小さなパン屋がこの病院の中で機能している。

扉を開けてエルピスの中へ入っていった志賀勝栄を迎えたのは、おばさんたちの笑顔だった。
「先生、久しぶりだねー」
「畑から野菜とって、待ってたよ」
まるで郷里に帰って旧知の人びとと会ったときのように、世間話や軽口が言い交わされる。
この60を少し過ぎた2人の婦人が、志賀の教え子である。
技術指導という言葉のイメージとは裏腹に、そこにあるのは厳しさや上下関係ではなく、ごくフラットで気さくな交流だった。

「小池さんは、家庭菜園が限りなく広くて、野菜をいっぱいくれます。
後閑さんは、手先が器用で、焼きたてのパンをきれいに切れます」
と志賀が2人を紹介する。
簡潔ながら個性をつかんだ説明に、あたたかい視線が滲んでいた。

小池さんと後閑さんは、患者たちを世話する看護助手としての仕事のほかに、ここエルピスで週2回パン職人になる。
腕に覚えがあるわけでも、希望して配属されたわけでもない。
だが、志賀の到着前にポーリッシュの仕込みを終え、いま志賀の目の前でも、なにを指示されることもなく、着々と計量をこなし、ミキサーを回す。

「季節ごとの気温の変化への対応は、1年通して指導させていただいたことで、できるようになっていると思います。
あとは、国産小麦を使っているので、それへの対応がどうかということ。
大手製粉会社さんの粉とちがって、ラインテストしていないので、季節が変わるとまったく状態が変わる」

後閑さんが質問を投げかける。
「先生、最近、パンがふくらまないで、小さいパンができちゃうんだよね。
(レシピにある発酵温度の)20度じゃなくて21度にして、焼く前に生地がぶかぶかに噴いて(発酵が進んで酵母がたくさん空気を吐き出している状態)ないと、うまくふくらまない」

「たしかに、最近、うちでもそういう傾向があります」と志賀シェフが応じる。
シニフィアン・シニフィエとここエルピスは小麦粉も同じものを使っている。
パンに関してまったくの門外漢だったキャリア1年半の婦人が、季節の変化やロッドによる小麦粉の微妙な変化をつかんで、プロのパン職人と同様の感想を漏らしているのはちょっとした驚きだった。

ここで作られる、パン・ペイザンは志賀のスペシャリテで、志賀を招請した群馬病院長濱田秀伯さんが以前から好きだったパンなのだという。
長時間発酵で作る、カンパーニュのような、大型の食事パンである。
イーストと小麦粉と水を混ぜ合わせればその日のうちにできるストレート法(基本の製法)のパンに比べて、複雑な手順と長い時間をかけて作られる。

「ポーリッシュ法(前日に水分の多い種を作る方法)を使っています。
普通はイーストですが、パン・ペイザンは老麺(古い生地)でポーリッシュをする。
まず、老麺として使うバゲット生地を作るのに4時間半ぐらい。
さらに15時間寝かして翌日焼く。
こんなめんどくさいのなかなかない。
それをここでやってるんです」

直接イーストを投入するのではなく、1度バゲット生地を作り、それをポーリッシュ種に入れ、さらにひと晩寝かせる。
初心者だから、簡単なパンを作るのではない。
シニフィアン・シニフィエのような高級な価格帯のパン屋でしか行われないような製法を、志賀はあえて病院の中のパン屋で行っているのだ。

小池さんはドゥーコンディショナー(温度管理が自動でできる発酵機)の扉を開けて、仕込みを終えた種を示し、失敗を詫びた。
「今日、すごい緊張したんだもん、先生がくるから(笑)」
「だいじょうぶです、なんとでもなります」

その失敗とは志賀によるとこういうものだった。
「ポーリッシュがまだこない(酵母と水がなじんでない)時間なのに、老麺を入れちゃった。
でも、酵母は2時間に1回分裂する。
酵母の量は時間によるので、1回パンチしたからって、酵母の量は変わらない。
小池さんが気にするほどのミスじゃないです」

そう言って小池さんを安心させた志賀は、ドゥーコンの扉を閉めると、頭の中で何事か計算をはじめた。
そして、手近のメモ用紙にレシピを書き写しはじめた。

「なんのパンが食べたいですか?
レーズン? レーズン入れましょうか。
今日はもう1種類パンを作りましょう」

志賀がミスを咎めることはなかった。
それどころか失敗した種を廃棄せず、新しいパンに作り替えてしまった。
「どんなパンになるか、明日が楽しみね」と後閑さんと小池さんからは歓声が上がった。
柔軟なアイデアが困難をよろこびに変えるシーンを私は目の当たりにしたのだった。

志賀は言う。
「ミスって本当はミスじゃない。
ミスをミスにするかどうかは、上司の責任。
上司が価値観に合わないと思うからノーと言ってしまうんですけど、価値観をミスに合わせられるかどうかは上司が決めることです」

ミキサーに種と小麦粉と水を投入し、パン・ペイザンのミキシングがはじまった。
志賀はまとまってきた生地を自らの手で触って確認し、生地状態の見極め方を伝授した。
後閑さんは、私には到底わからない微妙な生地のちがいを感じとって、志賀に疑問をぶつけていた。

「後閑さんの言う通り、20分でいいとこいきますね。
生地がのびるでしょう。
引っ張ったときのこのつや、この感じです」

「いつもより、3分ぐらい早い感じですね。
つながるのが早い。
いまの時期はアセロラを入れないように製粉会社さんに言ったほうがいいですね。
ビタミンCを添加するためにアセロラが入れられているんです。
ビタミンCがあると、タンパク質のつながりを緻密にしちゃう。
グルテンってつながりはじめはゆるく結合しているんですけど、だんだんつながりが緻密になって、ひとつの面のようになる。
その弾力性に、ビタミンCが影響します」

つまり、グルテンの結合と一口にいっても一定ではなく、ゆるやかにつながる場合から、がっちりと固まった状態まである。
がっちり固まると、生地にしなやかさがなくなってしまうのだと、志賀は言う。

「完全につながった状態じゃなく、なんとなくいい加減な感じがいちばんいいです。
つながった生地なんだけど、ふわっともこっとする。
微妙なところですよね。
2、3秒すると、こんな状態になってふわもこになるんだな。
40分ミキシングしても、最終的に止めるところって、(成功と失敗は)何秒かのちがいです」

40分ミキシングして、たった2、3秒。
シニフィアン・シニフィエのパン・ペイザンにある、独特にぷりっとして、快く歯が通るあの食感は、パン作りの深い部分にある極みに到達しなければ、実現しないものなのだ。
志賀はそれを病院の看護助手さんたちに伝授しようとしていた。

ミキシングが終わり、パンをボウルに移し替えるときも、見物だった。
生地を分割・計量するとき、普通のパン屋はスケッパー(パン生地を切る包丁)を使うのが普通だが、まるで餅を作るときみたいに、ミキサーの中に手を突っ込んで生地をちぎり取り、はかりにのせていくのだった。
「まさかこんなふうにして生地を計ってるとは誰も思ってないでしょう」
と志賀は微笑む。
生地に含まれる水分があまりにも多いので、こうしたほうがむしろ効率的なのだ。
彼は論理的に考え、それが必要ないと分かれば、誰もが常識だと思う手順さえ、無視してしまう。
たとえば、ベンチタイム(分割のあとの生地を休ませる時間)も、彼の厨房ではしばしば行われない。
本当の意味で論理的であることは、常識とは逆の結論や、風変わりな方法、新しいアイデアを生む。
それが「アウト・オブ・ポジション」と志賀が呼ぶものだ。

作業を終えたあと、志賀は率先して掃除を行い、汚れた容器を洗いはじめた。
「あ、先生はやらないでください」
「僕だって洗い物ぐらいできますよ」
と笑い、いっこうに気にせず、シンクに向かいつづけた。
志賀とはじめて会った人は誰もが、高名さに反比例したあまりの謙虚さに驚くことになる。
彼の論理の中で、いわゆる「上下関係」は、ほとんど必要のないものだと判断されているのかもしれない。
それもひとつの「アウト・オブ・ポジション」である。

翌朝再訪することを約束して2人の看護助手に別れを告げ、車に戻ると、志賀はこの日のやりとりについて説明を加えた。
「あの2人のほかにもうひとり、いちばんパン好きな人がいるんですが、その人のご主人が倒れて、病院を辞めたいって言いに来てる。
自分たちだけでこれからはやらないといけなくなるかもという不安が2人にはある。
しかも、小池さんも義理のお母さんが入院して、看病しなくちゃいけない。
普段はもっと落ち着いてて、パンがどうこうという話もできるんですが、今日はそんな雰囲気がなかったですね」

発酵を待つ間もお茶を飲みながら、仕事の話ではなく、母の病状や看病のつらさを丁寧に聞き、心に溜まったものを吐き出させることを、極めて自然に楽しく行っていた。

「(群馬病院での仕事は)普段からゆるいといえばゆるいのですが。
(パン作りにも)いろんな取り組み方があります。
必ずしも、がつがつ仕事をすることがいいわけではありません。
どういうスタンスが長く付き合っていけるかはまた別物です」

志賀は店のスタッフの全員に同じ態度で接することはないし、同じレベルの仕事を要求するわけではない。
本人の資質という器の大きさを見極めながら、そこに入るだけの知識や体験を注いでいく。
まるでひとつひとつのパン生地に合わせて差し水をし、ミキシングを行い、発酵時間を変えるように。
志賀がこのような考えに至ったのは、若いときに起こった苦い体験に起因しているのだという。
30歳のとき、志賀は当時勤めていた職場の責任者をまかされていたが、若い職人たち全員に一度に辞められることになった。
すでに相当なレベルに達していたであろう彼の技術と同じことを全員に要求していたためである。
そのときから、単にパンを完成させるという狭義のパン作りだけでなく、スタッフ全体でパンを作るという、チームプレーとしてのパン作りをどううまくマネジメントするかも、彼の探求のひとつに加わった。
それは、今日のやり取りの中でも十分に活かされている。
行きの車の中で語った「調整」を、志賀はどのように行ったのか。
高いモチベーションを一方的に要求するのではない。
いっしょに話し、笑い、「共感」することによって、それを行っていたのだ。



第2章 軽井沢・銀亭

志賀が群馬病院を出たときすでに夕刻だったが、仕事が終わったわけではない。
「これから、僕が先輩に頼まれて指導している、軽井沢の銀亭(しろがねてい)に行きます」

私は思わず尋ねた、「お疲れではないですか?」と。
57歳のパン職人はすでに24時間近く起きて働いているはずだった。

「大丈夫です。
以前は40時間働いて、8時間休むという生活をしていましたから。
そのほうが効率よかったんで」

銀亭では、2人の若い女性のパン職人に出迎えられた。
ここでも軽口から会話ははじまったが、すぐに新メニューの試作がはじまった。
2人は目をきらきらさせ、志賀の言葉をノートに一生懸命書き込んでいた。

2人のうち年かさの池田さんが、作りたいパンのイメージを伝える。
「黒糖の香りがぷんぷんするようなパン。
そういうの作ったら、おばあちゃんにすごくよろこんでもらえるんじゃないかなと思って。
ロールパンにも、食パンにも使える生地をお願いします」

粉置き場で粉袋を見ながら、志賀が思いつくままにアドリブで配合を口にする。
「イーグル60%、香麦30、エペ10。
黒糖20%、塩…んー(考え込む)、1.7。
モルト0.4、種は老麺10%。
ミルク20%、水…40入るかな、もうちょっといけるかな。
バター10%」

志賀は以前、「最近ようやく、頭の中でパンを作ることができるようになった」と言っていた。
原料の配合や、種の種類、発酵時間、生地温度、生地の硬さなどで、食感や風味がどのように変わるのか、シミュレーションできるようになり、もはや試作は必要ないのだと。
彼がレシピについて考えるあの刹那、さまざまな変数に代入する数字を変えながら、複雑系で進んでいく発酵の過程の一部始終を、頭の中でスーパーコンピュータのように何度も再計算しているのだろうか。

志賀の指示した原料がミキサーに投入される。
オーナーの山崎さんも加わって、生地の状態を4人で見つめる。
池田「生地、硬いです」
志賀「じゃあ、もうちょっと水が入りますね。
まー、うれしい(笑)。
あと10%入れましょう」

池田さんが水を足し、さらに捏ね、志賀が納得する生地状態に至ったところで、最終的な生地の見極め方を伝える。
ミキサーの中の生地を見、触れただけで、完成したパンを食べなくても、志賀にとってはどんなパンになるか、かなりの程度までわかっているようだった。
「一応、明日の朝、起きれたら見にきまーす」と。
生地は12時間熟成され、翌朝に焼かれる。

自家製酵母種を使い、水をたくさん含ませたこのパンの狙いを、私にこう説明する。
「イーストを使わずに長く生地を寝かせると、食感もちがうし、膨張率も大きくなります。
水を多く入れるのは、竹谷(光司)先生も言っていましたけど、『水とともに香りは残る』と思っているからです」

そして、池田さんには、
「黒糖の香りがぷんぷんするような、というリクエストですが、申し訳ありません、黒糖は20%が限界で、そこまでいきませんね」
と言いながら、次の瞬間には、それを実現するためのアイデアにすぐ思い至る。

志賀「中に黒糖入れたらおもしろいんじゃないでしょうか。
噴火しないようにうまく包めたら、中で蜜ができる」
池田「それ、めっちゃいいですね。
おばあちゃん毎日買いにくるわ(笑)」
志賀「ほんのり黒糖の香りがすればいいというお客さんは食パンを買っていただいて、ぷんぷんするほうがいいという方には、黒糖入れたのを買っていただいたら、どうでしょう」

自分がたまたま入ったパン屋に、志賀勝栄が技術指導を行うようになったこと。
それは人生の転機になるような幸運だったと、池田さんは語る。

「いままで作っていた方法とまったくちがうので、頭の切り替えがたいへんです。
レーズン種とホップ種を合わせて、香りを出す。
粉で風味を出して、水で香りを活かす。
そんなこと考えたこともありませんでした。
そういうものづくりがあるってびっくりしました。
作ってみると、実際にお客さんの反応があるので、一目瞭然やなと思います」

「志賀さんは威圧感もなく、私たちの懐に入ってくる。
他人に対しては、つい構えがちだけど、そういう気持ちを起こさせないで、理解しやすい言葉でうまく伝える。
すごくあったかい。
なかなかそういう人と、巡り会わへん。
言葉ひとつひとつに学ぶべきものがあるので、ビデオを必ず撮ります。
なにげない会話や、仕事に対する姿勢が勉強になります」

「私、ここの責任者になったんですけど、教えることが苦手だった。
落ち込んでいるときに、言ってもらった言葉があって。
『パンは人の手で作るので、感情が入る。
人間性を磨いたら、おのずとパンはおいしくなる』」

彼女が「志賀ノート」と呼ぶ3冊のモレスキン。
そこには志賀から伝授されたあらゆることが事細かに記されていた。
彼女の口ぶりからは、仕事がおもしろくて仕方がないという感じが滲み出ていた。
志賀が言った通りに行うと、みるみるパンがおいしくなる。
魔法にかかったように、彼女たちはモチベーションを上げているのではないだろうか。

志賀は言う。
「休みがないとか、仕事の時間が長いとかじゃなくて、作り手が作ることを楽しんだらどうでしょう。
パンを作るということは、おばあちゃんがよろこんでくれるとか、そういうよろこびの積み重ね。
若い人にちょっと栄養を注いであげると、そのうち花が咲く」

それにしても、なんの用意もなく、いま聞いたばかりのイメージだけで配合を弾き出すのは、なぜだろう。
「その場で粉を見て配合を決めていきます。
やわらかさとか、味とか、食感とか聞いて、その人の意志にそぐうように。
1回目のイメージでぱっぱとやったほうが、いろいろ考えるよりいいことはよくあります。
そういうものって、お客さんにもわかりやすいし」

この黒糖パンの配合でも、志賀はアウト・オブ・ポジションへと踏み込んだ。
「食パンで砂糖20%ってどういうこと? って思うかもしれないけど。
そういう食事パンがあってもいいのではないでしょうか。
ちょっと甘いパンと肉はよく合います」

食事パンの糖分は多すぎてはいけない、という常識を覆す。
すると、糖分の多いパンと食事を合わせる、という新しい味覚の地平が開ける。
誰もやっていないからやらない、ではない。
誰もやっていないから、それを踏み越える意味がある。
踏み越えたらどうなるかは、やる前からはっきりわかっているわけではない。
だが、そのとき生じてくる新しい状況が、さらに新しい発想やニーズをドミノ倒し的に生みだす。
不測の事態を楽しむ。
志賀勝栄の周囲に満ち、彼を特別足らしめるのは、そうした楽しさの空気である。



第3章 再び群馬病院

翌朝6時、志賀はホテルから銀亭の厨房に駆けつけ、生地の状態を確認すると、休む間もなく車を駆り、軽井沢から高崎市へ取って返す。
きのう仕込んだ生地を成形し、焼成する。
2人の患者がそれを手伝う。
パニエ(カンパーニュを発酵させるための籠)に粉をふったり、洗い物をするのが彼らの仕事である。

「粉を使わないとくっついちゃうパンですいません」
と志賀がいうように、彼のレシピによるパンは成形がむずかしい。
水をたっぷり含んでいるので、形はすぐに歪むし手にくっつく。
生地を取り上げるにはコツが要り、ある種の機敏さや、思い切りのある動きが要求される。
小池さんと後閑さんは、その独特な力学に難なく対応しながら、成形を進めている。

「上手になりましたねー!
もう一人前のパン職人ですね」
2ヶ月ぶりに彼女たちの仕事を見る志賀にとっても、その成長は目を見張るものだったようだ。
スリップベルト(ベルトコンベアのようにして窯の内部に生地を送り込む機械)を使って、1キロもの大きな丸いパンを窯に入れ、ピール(オールのような木べら)でパンを移動させて焼き色を均等に保つ姿を見れば、誰の目からも立派なパン職人に見えるだろう。
見る間に窯伸びし、白い生地が褐色に焼けながら持ち上がって、おいしそうなパン・ペイザンが次々とオーブンから取り出された。
それらは病室に運ばれ、患者や職員の昼食になる。

一方、昨日ミスをリカバーすることで作られたレーズンパンも成形された。
これは売り物のパンではないので、患者さんが練習のために成形したり、クープを入れることになった。
手を使う仕事はそれを行う者によろこびをもたらす。
高加水のパンの思わぬ感触や、思うままにいかないむずかしさに戸惑いながら手を動かすのは患者さんにとって楽しい体験になっているように見えた。
これも「ミスをミスにしない」ことによって生みだされたメリットである。

いよいよパンペイザンを試食する。
果たして、普通のお母さんたちの作ったパンはどれほどのものなのか。
後閑さんが切り分けてくれたものを口に運ぶ。
まぎれもない、志賀勝栄のパン・ペイザン。
深い香りを嗅ぐだけで日常から逸脱した世界観に引き込まれる。
ぷりっとした感触がハード系の食べづらさを噛むことの快楽へと変える。
白い内相は輝くばかり。
皮膜の中でゼリーのように結晶した水分が弾け出て、風味を軽やかに押し広げる。
その風味とは、小麦にこんな側面があったかと思われるほど、驚きに満ちている。
熟成が原料の力をここまで引き出すのだ。

昼食の食卓には、テーブルに載りきらないほど、たくさんのおかずが上った。
小池さんの畑でなった朝摘みの野菜たち。
ナス、カボチャ、タマネギはアルミホイルで包んで、オーブンの余熱で焼き上げる。
この食べ方は志賀が小池さんと後閑さんに教えたものだという。
キュウリは生のままを塩で食べる。
後閑さんは、庭でできたラズベリーでジャムを作ってくれた。
そして、病院の医師が、志賀との昼食をいっしょに楽しもう家で作って持ち寄ったローストビーフ。
極めつけは、これも朝採れたジャガイモで小池さんが作ったポテトサラダ。
「パンペイザンにのせて食べたら最高においしいから」
その通りだった。
小麦の味わいがジャガイモの甘みと見事に融合し、のびていく。
こんな贅沢な食卓があるだろうか。
都会では畑で取れたばかりの野菜など望んでもめったに食べられるものではない。
手のこんだものではなく、素朴だが、新鮮な野菜で作られた家庭料理に囲まれ、パンが生き生きしていた。
パン・ペイザン=農家のパンが、自らのもっともふさわしい場所を得たのだった。
シニフィアン・シニフィエのパンとは、必ずしも気取って食べるものではなかったのである。

ここにアウト・オブ・ポジションがあった。
たった1種類の食事パンを作るパン屋。
それを主食としてコミュニティの成員みんなが食べ、地域の食が支えられる。
パン作りの原点を彷佛とさせるものだった。
そのパンは必ずしも専門のパン職人ではなく、こんなふうに農家の女性たちの手によって竃から取り出されていたのかもしれない。
ヨーロッパの中世にはどこにでもあり、パンの発達には欠かせないものだったであろう重要なこの一段階が、日本では飛び越されてしまったか、かってあったとしてもいま忘れられている。
もっとも古く、同時にもっとも新しいパンの方向性。
大事なことは、このパン・ペイザンが「おいしい」ということだ。
おいしくないものが、生活の重要なピースを担う存在になるはずはないし、そうなったら逆に希望へとつながっていかないと私は思う。

長年の修行を積んだ職人にしか、おいしいパンは作ることができない。
群馬病院と志賀の試みはその常識の外側へ出ようとしている。

「(専門的な技術のない人でも)、ひとつのことしかしなければ、できるんです。
流れと機械が揃ってさえいれば。
ゆるくやってるから、慌ててやらないので、きちんとできますし。
何人かでやってるので、ミスがあっても他の誰かが気付ける」

パン作りの教科書の1ページ目に書かれているような、ストレート法で作る基本のパンではなく、最高峰と目されるシニフィアン・シニフィエのスペシャリテを、素人が作る。
これも常識とは正反対だ。

「(後閑さんと小池さんに)パン作りがむずかしいものという認識はなにもない。
パンを知らないわけですから、こういう段取りでと言われたら、その通りに作る。
経験のない人だからやれること。
彼らにしてみれば、初級編のパンなんて、見たことない。
いま作っているパンの作り方を聞いても、『パンってこういうものなんだ』と思うだけで、何の疑問も持たない。
レベルが高いとか低いとかいう考え方自体、おかしいのかもしれません」

群馬病院院長の濱田秀伯さんは、エルピスの試みについて、このように語る。
「群馬病院は精神科の病院です。
患者さんは長く入院します。
治りきらない慢性統合失調症ともなれば、入院期間は10年、20年。
人生のほとんどをここで過ごし、病院は自分のすみかのようになる。
病院の環境はどうあるべきか。
群馬病院は中世の修道院のあり方をモデルにしています。
畑があり、パンを焼き、村人がいる。
守るべき価値を大事にしながら、コミュニティの中でひとりひとりがそれぞれの役割を果たす。
パンを焼くのはとても大事なこと。
全員が同じものを食べ、共有する。
イメージはそういうことです」

「退院したあとは、社会の中に戻っていただきたい。
健常者でも仕事がない時代、患者さんならなおさら、退院しても仕事がありません。
自立できるよう、道を開くのも、病院の仕事。
精神科の病院には作業所という施設があります。
患者さんがものを作って売る。
ところが、それがなかなかうまくいかない。
患者さんが作ったものは、できばえがよくないこともあり、なかなか売れない。
作業所のパン屋もあるが成功する例は少ない。
だけど、ものすごくおいしいパンが作れたら、遠くからでも車で買いにきてくれるんじゃないでしょうか。
志賀さんと同じパンが作れるのなら。
いまは職員に教える段階。
ゆくゆくは患者さんだけで焼けるようになるのが目標です。
補助金の問題、採算が合うかどうかの問題もあり、現在はそれに向けた準備をしているところです」

「精神科の患者さんは臨機応変に対応するのが苦手。
発酵時間や温度をきちっと計って、毎日の条件の変化に対応するパン作りは、それが身につく。
それと、大切なのは自分のやっていることがよろこんでもらえるということ。
病気になって世間から見放されたような存在になっている。
自分のパンが世の中で役立ったり、パンを買いにきてくれるのは、ものすごく自信になる。
それを取り戻してほしい」

「いまのところエルピスのパンは職員しか買うことができませんが、予約がいつもいっぱいです。
お客さんにさしあげても、群馬病院ではこんなにおいしいパンを焼いているのかと、驚嘆されます。
群馬は米どころで、パンはあまり食べない。
エルピスのパンを食べて、パンってこんなにおいしかったのかと思っていただける。
これは非常に意味が大きい。
パンを焼くなんて思いもかけなかった、ただのおばさんが焼いているんですよ(笑)。
最初は失敗もあったが、志賀さんの指導がよくて、やる気を出させてくれた」

群馬病院での試みは、コミュニティをパンによって活性化させるためのケーススタディとして有効かもしれない。
たとえば、過疎の農村でパン焼き小屋を立ち上げる。
余暇を持つお年寄りなどが、パン作りに関わってもいい。
本当においしいパンならば、パン屋と地元の産物を使ったレストランなどを併設すれば評判を呼び、遠くから客を呼ぶことができて、経済が活性化されるだろう。
もちろん、地元の人がおいしいパンを日常的に食べることができるようになる。
そこで生産される小麦を地産地消することができる。
こういう試みが各地で起これば、国産小麦の消費拡大と、自給率の上昇につながる。

帰りの車の中で、志賀はこんな話をした。
「現場に立つことを、一生やめるつもりはありません。
頭の中で想像してても、できることは限界がある。
日々、現場に立っているからこそ、技術的な進歩がある。
机の上からはなにも生まれてこない。
福田元吉先生(JPBの創設者で、志賀の師)のよくおっしゃっていた言葉ですが、
『我々の制服はコックコート。
あれを着たらしゃきっとする』
死ぬ前日まで厨房にいたい」

「日々、材料に触れていて、材料に対する見識があるからこそ、新しいアイデアは生まれてくるんじゃないでしょうか。
使わないとわからない。
格闘するからわかってくることがあります。
原料の規格書に書かれていることは、それを作った人が予測した製法(ストレート法、中種法のような一般的な製法)の範囲内です。
僕みたいな方法(長時間発酵や高加水など一般的な製法を超えたやり方)だと、(原料のパフォーマンスも)変わってきます。
目に見えない部分、それは酵素やアミノ酸の働きなどのことですが、そこまではまだ解明されていません。
計り知れない未知数の部分。
そこに対応させるように温度や水の量を机上で決定するのは、現段階では無理。
だから厨房で格闘する意味があるんです」

通常製法を超えた、原料が予測不能な振舞い方をする世界では、誰も作れなかった新しいパンが生まれるチャンスが拡大する。
志賀は、そうした実験的な空間に身を置こうとしている。
志賀と話をしていると、パン作りというものが、普段考えられていたものとまったくちがった様相で立ち現れる。
頭の中のシミュレーションと厨房で起こる現実が追いかけ合いをする。
不断に理論を作り替え、新しい現実に合うよう果てしのないバージョンアップを行う。
パン作りとはなんと知的なゲームなのだろう。

アウト・オブ・ポジションに接近するためのもうひとつの近道は、偶発的で、アクシデンシャルな事態を呼び寄せることだ。
志賀勝栄は、この旅は人のためにしているのではなく、自分のためだと強調した。

「僕がいちばん勉強になっていると思っている。
他人から見たら、(病院で指導するようなことは)レベルが低いと思っているかもしれないけど、僕はそう思っていません」

パンのいろはを知らない人たちにパン作りをゆだねる。
そのような現場はきっとミスや事故が起こりやすく、普通の人ならなるべく避けようと願うだろう。
そこに常識を覆す発想が生まれてくる契機がある。
アクシデントは、志賀勝栄が待ち構える、歓迎すべき事態である。
そのために、彼は寝ずにハンドルを握って、新しい現場へ駆けつけるのだ。

「志賀という枠を飛び越えたい。
よその厨房に行って仕事をすると、勝手にチャンスが訪れる。
そのとき必死に考えたことが、次のなにかに役立つ」

新しい状況の中で仕事をすること、外部の人間とコミュニケーションをすることは、志賀にとってアウト・オブ・ポジションへの跳躍台なのだ。

「技術の範囲の広がりも、普段の厨房の中では、2次元的な気がしている。
実はタテヨコだけではなく、高さがある。
(技術指導に行くと)自分がいままでタテヨコの平面だけでぽんぽんと決められたことが、できなくなる。
タテヨコじゃないものが3次元にもっとあるかもしれないじゃないですか。
それはやってみないとわかりません」

アウト・オブ・ポジション。
○か×か、善か悪かという2次元=二元論からの逸脱。
私たちは、決して解決することのできない困難のなかに捕われていると考えがちである。
困難を解決し、そこから抜け出すためのアイデアは、いま気づけないとしても、3次元目に必ずあるはずだというのが、志賀の信念である。

「みなさんが『もうないだろう』と思っていたら、それがチャンス。
『もうないだろう』というのは、考えなくなっているだけなんです。
やり方が他にない、ということはない。
人類は宇宙の4%しかまだ知らないと言われています。
食品は、先人の知恵によって作られるということは確かですが、やり方はそれだけではない。
それをいつも疑っているのが僕」

私たちは困難な時代に生きている。
(たとえば原発や放射能やエネルギーの問題)
だが、困難とは2次元でとらえているからそう思っているだけで、解決策はアウト・オブ・ポジションに必ずある。
志賀がパン作りにまつわる数々の問題にまったく新しい視点から解答を与えてきたことを考えてみよう。
パンの世界で起きていることは、おそらくこの世界全体に適用できるはずなのだ。(池田浩明)





にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(応援ありがとうございます)
- comments(4) trackbacks(0)
パンの漫画48 『SA』
pan48-1.jpg
pan48-2.jpgpan48-3.jpgpan48-4.jpg









パンの漫画1 『パンと金持ち』
パンの漫画2 『クロワッサン』
パンの漫画3 『朝にパン』
パンの漫画4 『こがす』
パンの漫画5 『ガレット』
パンの漫画6 『罪悪感』
パンの漫画7 『ながら食べ』
パンの漫画8 『買いすぎる』
パンの漫画9 『先祖とフォカッチャ』
パンの漫画10 『VIRONで朝食1』
パンの漫画11 『VIRONで朝食2』
パンの漫画12 『こんがり』
パンの漫画13 『緊張』
パンの漫画14 『花巻』
パンの漫画15 『禁止令』
パンの漫画16 『シベリア』
パンの漫画17 『風紀』
パンの漫画18 『張り込み』
パンの漫画19 『タイミング』
パンの漫画20 『パン』
パンの漫画21 『張り込み2』
パンの漫画22 『太田原くん』
パンの漫画23 『映画館』
パンの漫画24 『見栄』
パンの漫画25 『公開パンラボ』
パンの漫画26 『話し』
パンの漫画27 『護送』
パンの漫画28 『漫画家フード』
パンの漫画29 『発売します』
パンの漫画30 『無題』
パンの漫画31 『張り込み』

パンの漫画32 『あるパン屋にまつわる物語』
パンの漫画33 『喫茶店』

パンの漫画34 『ハニートースト』
パンの漫画35 『3色パン』

パンの漫画36 『グルテン』

パンの漫画37 『新築祝い』
パンの漫画38 『お土産』

パンの漫画39 『朝の散歩』
パンの漫画 comments(0) trackbacks(0)
ゴントラン・シェリエ東京(渋谷)
156軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ゴントラン・シェリエとは何者か?
フランスでは、まずレシピ本で成功を収めたあと、端正なマスクも手伝い、テレビの料理番組への出演で広く知られることとなった。
ハイセンスなブーランジュリーをモンマルトル近くに出店、たちまち有名店となり、パリ・バゲットコンクールでも4位入賞を果たしている。
若さ、美貌、実力。

そのゴントラン・シェリエが、8月28日渋谷駅前に登場する。
ヴィロン、そして目と鼻の先にジョエル・ロブション。
フランス発の名店が居並ぶこの街に、新世代のブーランジュリーが殴り込んできた。

ゴントラン・シェリエの華やかさ。
バゲットにカンパーニュ、クロワッサン…モノクロームなパン・トラディショネルで満ちるフランスのパン屋に、ゴントランは革新をもたらした。
彼のブーランジュリーは色彩に満ちている。
フルーツをのせたデニッシュはいうに及ばず、野菜をのせたタルト。
バゲットさえ彼の手にかかるとカレーパウダーやイカスミを混ぜ込まれ、イエローやブラックに変貌し、バンズに至っては6色ものカラーバリエーションがある。
その革新性はどこからやってくるのか。
東京店の商品を試作するために来日したゴントラン・シェリエ本人に話を聞いた。

「修業時代、ガストロノミーのレストラン(アルページュやルカ・カールトンなどの三ツ星レストラン)に入ったことで、パン屋で経験していた以外の食材と出会いました。
また、料理などパンを作ること以外にも積極的に興味を持ってきました。
だから、ベースとなるバゲット、フォカッチャ、タルトなどの生地に新しい食材を入れることは、自然の成り行きでした。
旅も好きだし、食べることも好き。
そこで発見した自分の好きなものを、いろんな人と共有したいと思って、パンに入れました。
トラディショナルなものに、新しいものをプラスすることで、クリエーションが生まれ、もっと『セクシー』な表現になります。
パン屋としてあえて個性を出したのではなく、自分の個性がそのままパン屋になった。
いまのフランスに同じようなムーブメントがあるとしたら、私もその一人かもしれませんが、自分ではそうなろうと意識してません。
世界中の食材やスパイスを使って、サンドイッチだけではなく、ヴィエノワズリー(甘くリッチなパン)まで作ったパン職人はあまり多くないと思います」

ゴントランはフランスでの修行を終えたあと、東欧やモロッコ、アジアなどをまわり、パンの技術指導を行っていた。
そのとき現地で出会ったさまざまなスパイスや食材をパンに入れていくことで、新しいパンをクリエイションしたのだ。
あるいは、前述のバンズならば、赤はパプリカ、ブラウンは糖蜜にコリアンダー、緑はほうれんそうにひまわりの種という具合。
たとえば、黒のバンズにはイカスミとニジェールの種が練り込まれているが、イカスミにある潮の香りがする黒のバンズならば中にサンドする具材は魚介類があう。
この6色のバンズは、色彩やそれぞれの風味からさまざまなサンドイッチを発想できる。

ゴントラン・シェリエは、東京進出に本気で取り組んでいる。
系列店は、2012年中にパリで3店舗、シンガポールで2店舗に増える予定で、彼は多忙を極めているはずだったが、何度も来日して、日本の素材と格闘していた。

「自分の物差し、信念は揺るがないものなので、自分の店で出すメニューを自分でできないのであれば、やる意味がありません。
新しいものをクリエーションすることだけが、意味のあることです。
日本のスタッフと何度も試作を行いました。
指示をして、味見をして、発見して、修正して、感化され…コミュニケーションでなにかを生み出していく楽しみを感じています」

日本側のスタッフとゴントラン・シェリエとのコラボレーションはこのように行われた。
来日したゴントランに、日本スタッフが次々と和素材をぶつけていく。
それをゴントランが新しいパンに仕立てていくのだ。

ゴントラン・シェリエの日本でのパートナーである、ベイクルーズのスタッフは言う。
「今回、パリの店で出しているのとほぼ同じ『パリのパン』に加えて、日本の素材を使った『東京のパン』をゴントランさんに作っていただきました。
白あん、わかめ、のり、さくらの葉、日向夏、デコポン、よもぎ…。
積極的にいろいろな素材を見せると、その途端にこれはなににしましょうとアイデアが出てくる」

たとえば、うぐいす豆リュスティックができあがった経緯をゴントランはこう振り返る。
「日本のスタッフから提案があったメニューです。
実際に作られたものを食べてみて、そこにミントを入れることを思いつきました。
ミントが入って、ゴントランのパンが完成しました」

うぐいす豆リュスティック(140円)
むっちりと歯ごたえを感じ、ねっとりと溶け、クリーム色の小麦の味わいが豊かにあふれる。
食感とも、味わいとも、うぐいす豆という和の食材のやさしさはよく合っている。
そこへミントの清涼感のサプライズ。
うぐいす豆のまったり感という予定調和に揺さぶりをかけ、ダイナミズムを与える。

「ゴントランのパン」と彼が呼ぶもの、それは前述した「セクシー」という言葉とセットのように思われる。
セクシーな驚きなくして、自分のパンとはいえないと、ゴントランは考えているのだろう。
彼の操るさまざまなスパイスはそのための武器なのだ。

けれども、ゴントランがパン・トラディショネル(伝統的なフランスパン)をないがしろにしているのかといえば、そうではない。
斬新なアイデアが可能になるのも、おいしいパンがあってこそだ。
パンを作る上でいちばん大事なのは、ボン・ファリーヌ(いい小麦粉)だと、ゴントランは強調する。

「いい小麦粉を、適切な時間で熟成させ、適切な時間で焼くこと。
イーストを抑え、ルヴァンリキッド(液体の自家製酵母)やポーリッシュ(前日に作る水分の多い種)を多めにすること。
イーストが多いと乾きやすく、風味も悪くなります」

パリの店で、BIOの小麦粉や近隣の農家から届いた野菜を使ってパンを作るように、彼は素材を重視する。
だが、フランスと日本では、素材の味にちがいがある。
日本の食材は彼の要求に応えるものだったのか。

「日本にいい食材がいっぱいあったのは幸いでした。
バターや、牛乳、タマゴ、イースト…。
なかにはパリよりもいいものもありました。
試作をはじめた日、まず小麦粉とバターを選んで、クロワッサンとパン・オ・ショコラを作りました。
ほんのちょっとの修正をするだけで、自分の味にたどりつくことができました。
それは私にとっても驚きでした。
日本の素材は悪くないと確信できた」

クロワッサン(180円)
皮の香ばしさが深く、心地よい。
バターの甘さがなんともいえない。
それをよく保存した中心の白い部分から、外皮の焦がしたバターの風味へのグラデーション。
甘さと香ばしさの溶け合いがめくるめくようで、果てしない気持ちにさせる。
皮1枚1枚の分厚さは、見た目の大胆なうつくしさにもつながっている。
分厚さゆえにそれをまとめて噛み破る瞬間の歯ごたえはたとえようがないほど快楽に満ちている。
繊細な薄皮のクロワッサンとはまったく異なる魅力を放つ。

フランス産の小麦粉でなければ本当のバゲットではないという主張がある。
ゴントラン・シェリエは、それに同意しない。
東京店で出すバゲットには、北海道産小麦も使用している。

「バゲットにも日本の素材を使い。パリと同じようなテクニック(長時間発酵)で作ったら、満足するできあがりになりました。
フランスのバゲット・トラディションとまったく同じものが東京で食べたいのだったら、フランスの小麦を持ってきて作ればいいだけのことで、必要性があるなら作ることに異議はありません。
でも、日本でせっかく出会ったもの、いいものは使わない手はない。
出会いが好きだし、試作するのも好きなので、日本のものを使ってみたいという欲求が生まれました。
日本では消費者のいろいろなニーズがあるために、小麦粉も、たんぱく量や、その他キャラクターのちがうヴァリエーションがいっぱいあるのは、大きな魅力でした。
しかも、レベルも悪くないので、選択の幅はとても大きいと思います。
自分の好きな質感になりそうなもののいくつかで試作し、その中でもっとも味や食感のいいものを選択しました」

現地で使われているフランス産小麦に、日本の小麦は劣っているという先入観が日本にはあると私は思っていただけに、彼のこの見解には勇気づけられた。
フランスパン、ドイツパン、アメリカ、日本風…日本の消費者ほどめまぐるしくさまざまなパンを食べる人種はいない。
それに応えるだけの商品ラインナップが、日本人特有の繊細な手つきによって供給されているという点では、むしろフランスに優っている。
豊富な素材、さまざまなパンを食べ、舌の肥えた消費者。
ゴントランはそれをリスペクトしながら、東京という新たな土俵で、パリとはちがう方法で勝負しようとしている。

ピサラディエール(300円)
オリーブ・ニソワーズ(ニース風)を使った、南仏プロヴァンスのご当地パン。
オリーブとアンチョビの濃厚な香りがフランスの港町を彷佛とさせる。
バゲット生地を薄く伸ばしたピッツアには油が滲みこんで、やわらかい。
そこに塗られたアンチョビソースは、まろやかさとコクを与え、炒めたタマネギがその上に敷き詰められ、生地とともにすばらしい甘さで口溶ける。
特に、オリーブの粒と、サーディン・フュメ(いわしの薫製)をいっしょに口にしたとき、塩と甘さ、香気があきれるほど口の中に満ちる。
塩気と甘さを拮抗させ、際立たせるバランスは、日本のパン屋ではあまり出会わない、まぎれもないフランス人のセンスだ。

ゴントラン・シェリエと渋谷を歩いた。
5分ほどの道のりだったが、フレンドリーな人柄は十分に伝わってきた。
公園通りの裏にある事務所を出ると、停まっていたハーレーのような改造大型バイクを目にし、i-phoneで写真を撮った。
渋谷の街は彼にとって刺激に満ちているようで、道の両側をくまなく占拠するファッション関係のブティックに興味を魅かれていると言った。
東京のパン屋もかなり回っていて、レベルの高さを感じている様子だ。
シニフィアン・シニフィエに驚き、 いちばん気に入ったのはL'atelier COCCOという女性店主の営む小さな店だという。

彼の到着を待ち受けていた東京店の厨房には緊張感がみなぎっていた。
これから試作がはじまるのだ。
すぐ使えるよう切りそろえられた食材や調味料が作業台を埋め尽くすように並べられ、スタッフがまわりを取り囲んでいる。
ゴントランの目つきが変わる。
コックコートに着替えるのもそこそこにトライアルをはじめた彼の一挙手一投足を、たくさんの人たちが静かに見つめている。

まず、緑色のバンズにタプナードを盛ったサンドイッチを取り上げた。
ゴントランにはそれがぴんとこない様子で、いろいろ考えた末、タプナードをすべて取り除いた。
アボカドを持ってくるよう指示し、自分でそれを潰してワカモレ(メキシコのアボカドソース)を作りはじめた。
ほうれんそうを混ぜこんだ緑色のバンズには、同じ緑のアボカドがふさわしいと考えたようだ。
そして、タッパーに入っていたキュウリの細切りを取り上げ、一口味見をした。
もう一種類別のタッパーには輪切りも入っていたが、それも気に入らず、ナイフを持ってこさせて自分で切りはじめた。
ごく薄く、1mmぐらいの厚さで、丁寧に刻む。
ゴントランはそれをワカモレの上へ1枚1枚敷き詰めるように並べていった。
うつくしい仕事だった。

サンドイッチである以上、それは食べる人の目に決して触れない。
だが、キュウリのぱりっと弾けるような食感は、その仕事を知らない誰にとっても快感であるはずだ。
アボカドのさわやかさ、バンズに練り込まれた黒胡椒とそれは響きあうだろう。
サンドイッチが「セクシー」となる瞬間だった。(池田浩明

JR山手線/京王井の頭線/東京メトロ銀座線・半蔵門線/東急東横線・田園都市線 渋谷駅
03-6418-9581
7:30〜21:00(1F)
11:00〜23:00(2F)



にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(応援ありがとうございます)

#156
200(JR山手線) comments(2) trackbacks(0)
本日オープン!! ゴントラン シェリエ トーキョー
1.jpg渋谷の東側に…


2.jpg日本初のゴントラン シェリエができた!!


3.jpgほらね!!


10.jpgフロアは1階と2階で


4.jpg抜け感のある空間。


6.jpg1階、2階ともにイートインスペースがある。

1階はブーランジュリー、2階はカフェテリアでランチやディナーも楽しめる。


7.jpg珈琲もお酒もあるよ。


11.jpgパンだけでなく、サンドイッチやお菓子も豊富に揃っていた。


14.jpgパウンドケーキ。


20.jpgマフィン。


21.jpgスコーン。


16.jpgフィナンシェ。


15.jpg鮮やかな色合いのパンがゴントランシェリエの魅力のひとつ。


17.jpg想像よりもポーションが大きめ。


18.jpgバゲットノアール。


19.jpg味噌のカンパーニュ。


22.jpgカンパーニュ アプリコ・プチ(左)、パン・ド・カンパーニュ プチ。


32.jpg黄バンズ カレー 80円。 

飲み物も含めて、良心的な価格帯に抑えられているところは好感度が高いね。


31.jpg赤バンズ パプリカ。


33.jpg黒バンズ イカスミ。


34.jpg緑バンズ ルッコラ。


30.jpgクロワッサン ジャンボン。

じゅる…。


29.jpgクロワッサン メロンパンはパリでも売っている。


28.jpgクイニーアマン。


27.jpgモンブランデニッシュ。


26.jpgヴィエノワ ミルククリーム。


25.jpgクロッカン。


23.jpgソシソン リヨネ。

サラミソーセージ、くるみ、ペッパーが入ったフランスパン。吊るされている。


12.jpgレセプション(プレオープン)では
ゴントランシェリエのパンを使用したサンドイッチなどをいただいた。


13.jpg包装がかわいい色。


9.jpg店頭に置かれているタブロイドは池田さんが編集・執筆したのダッ!!


5.jpg
詳しいことは池田さんが書いてくれるかな。

明日の日記をお楽しみに…! 【D】


パンラボ comments(3) trackbacks(0)
コーヒーとパンをあわせる闘い
かしわで


お土産でいただいたコーヒー。


IMG_0277.jpg

MUAN JAI BLEND(ムアン・ジャイ・ブレンド)

タイで生産された豆がブレンドされているスタバの豆。
アジアでは常設されてるようだけど、日本では期間限定の豆(のようだ)。
実際、いま、日本では手に入らない。


さて、どうしよう。

味はBOLD & SPYCYとパッケージにある。

ここはパンのサイトだから、こういう場合はパンと合わせてこそのはずだ。

タイの豆で、スパイシーとあっては、自分の頭ではどんどんベタベタになっていく。

タイだし、甘いものと合わせるのがベスト・ベタなはず。
ならばココナッツ・アイスか?

自分はココナッツ・アイスを世界一旨いと思っている。
でもなかなか日本では手に入らない。
海外ではたいがい手に入るのに日本ではほんとうに出会えない(日常レベルで)のが
ココナッツ・アイス。
まず近所のスーパーにはない。

今日ももちろん出会えず。

で、しばし熟考し、出した答えはベター・ベタ。
タイでスパイシーといえば、タイカレーしかない!

スイートにスパイシーをぶつける。
それができなきゃ、
スパイシーにスパイシーだ。

暑いときに熱いもの。

あれと同じ理屈。


IMG_0278.jpg

左がグリーンカレー、右がレッドカレー。
うむ。タイカレーの王道だ。

タイカレーにムアン・ジャイ。

IMG_0280_1.jpg

ムアン・ジャイは自分が想像していたとおりの酸味のおさえられた(深入りだから当たり前)、
スッパイシーな味わい。

深入りで、それゆえに甘みが立つディープ&スイートを飲む機会が多いけど、
ディープ&スッパイシーもおいしい。

冷めてもスッパイシーだったからほんまもんだ。
(冷めても旨いとうれしい)


モグモグモグ。


IMG_0288_1.jpg


モグモグモグ。








ビジュアル重視でパンを選んでみたけど、
もしかしたら間違えたかも…。

タイカレーにムアン・ジャイは間違ってない。これは断言できる。


カニパンを液状のものに浸して食べると……

う〜む…ちょっとアメイジング。

もっと腰の強いというか、ボディ感のあるというか…
そういうパンがよかったのかもしれない。


カニパンにあうジャムってなんだろう?

パン・トリップ comments(6) trackbacks(0)
残暑お見舞い
IMG_5719.JPG駅前でやってた盆踊り。


IMG_5346.JPGパンクラブさんの試食会で焼きカレーパン食べ比べた。


IMG_5360.JPG隣の紳士に貸してもらったパンナイフ。ほとんどの人がマイパンナイフ持っていた。

すごいよく切れた…。


panbook.jpg明日はゴントラン・シェリエ渋谷店のグランドオープン日だけじゃない。
エイ出版社さんから『暮らし上手のパンづくり』という本が発売される日でもある
なんとまさこさんも登場するらしいね!! 【D】


◆10/17 まさこジャム佳境に入ってきたね
◆パンラボ講座in池袋コミュニティカレッジ 一般の方の申込みも開始したね

↑既に本を持っているひと用のプランもあるよね
◆真夏のパンラボ展in福岡 ブックスキューブリックで開催中だね(-9/2)

◆パンラボ単行本だね


にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(まさこはパンを愛していたのでまさこのつくるジャムはあらゆるパンを輝かせた
パンラボ comments(3) trackbacks(0)
第46回パンラボ〜ご当地パン[テイスティングノート9]〜の風景
2.jpg第46回パンラボは7月末日にかいじゅう屋の橋本さんのご自宅で行われた。
(上写真はプライヴァシーに配慮し背景を白く塗った)

毎夏のことだが、何度うかがっても有難い気持ちと申し訳ない気持ちになる。
お店は暑いからエアコンが涼しい部屋でのパンラボ。


1.jpgテーマはご当地パン。

これまでのパンラボではお取り寄せ編でご当地パンを紹介してきたが、
そこで紹介してこなかった新たなご当地パンが並んだ。

10月に開催予定のご当地パン祭りを意識して。


5.jpg知っているご当地パンはありますか?


4.jpgバタチョコをまさこ流にスライス。

懐かしさの押し売りがたまらなく良い包装袋のデザイン。
柏手さんがとても気に入っていた。


3.jpgリンゴジャムが挟まれたパン。

包装袋には何も書かれておらずご当地パンっぽくなかったが
おいしかった。


6.jpgパンラボする人びとの中で認知度が低かったサンドパン。

フォントと色がかわいい。


7.jpgカフェ・ド・ムッシュのアーモンドバターが登場。

台所でつくって食べる異例のご当地パン。


8.jpgお取り寄せもできる。


9.jpg
食パンに塗ったままのものと、食パンに塗ってトーストしたものと2種類つくった。

反則のおいしさ。


10.jpg
大野さんお手製パンコ。

パンラボ連載当初からデザイナーとしてパンラボに参加してきてくださった大野さん、
秋から中国へ行くことになった。
大野さんが参加するパンラボは今回が最後ということで、
橋本さん・まさこさん・池田さん・柏手さんら全員にそれぞれ異なるパンコをつくってきてくれたのだった。
4年間本当にありがとうございました。

8/17発売『パニック7ゴールド10月号』では池田さんと橋本さん以外のパンラボする人びとの声が
名前入りで書き起こされているスペシャルエディション。コンビニやネットでどうぞ→


11.jpg柏手さんがポラロイドカメラで皆を撮っていた。
淋しくなるね…。【D】





◆10/17 まさこジャム発売決定(着々と準備を進めている)
◆パンラボ講座in池袋コミュニティカレッジ 会員の方の申込み受付中(一般の方は8/25から)

↑既に本を持っているひと用のプランもあり
◆真夏のパンラボ展in福岡 ブックスキューブリックで開催中(-9/2)

◆8/25パンをめぐるトークショー満員になりました(いよいよ今週末だね)

◆パンラボ単行本




にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(大野さんは甘いパンが好き
プレイバック・ラボ comments(4) trackbacks(0)
山シナロー谷シナロー

IMG_5696.JPG少し遅い夏休み、タイのバンコクに行ってきた!!

街で見かけたパン屋さんや買ったパンの写真はFBのアルバムを見てほしい。
(最近FBのパンラボページを"いいね!"してくれる人が増えてうれしいよ)



2.jpgバンコクの繁華街にあるスタバでシナモンロール。

タイまで来てパン食べることないだろう、タイまで来てスタバ入ることないだろう、ましてやシナモンロールカスタマイズなど言語道断…と頭では分かっていても身体が言うことをきかない。

なんと、よく見たら谷だった!

バンコクのスタバのシナモンロールは谷!!

谷シナローだよ、谷シナロー!!

上のトコよく見て!!

谷っ!!


1.jpg上部が谷!!

日本のスタバのシナモンロールは山だから、ちょっとスルーできなくて。(参考資料→

スタバのシナモンロールというとどうカスタマイズするかにのみ意識がいくが
今回はじめて形について考えた。

世界中に店舗を置く大規模チェーン店でも国や街によって商品の形は違うことを改めて知る。
味も違った。
シナモンが濃く、砂糖のじゃりじゃりした食感が強い。
日本のシナモンロールは生クリームカスタマイズしてなんぼのドライさが特徴だが
バンコクで食べたシナモンロールはドライさが目立たなかった。


33.jpgただし店員さんのノリは日本と同じく快活そのもので、ほっこり。

タイ限定の珈琲豆を柏手さんへのお土産にした。

実は10/17発売予定『まさこジャム』の著者である渡邉政子さんは、年の数か月をタイで過ごす。
2012年に入ってから、まさこさんと話をしてばかりいたのでタイへ行きたくなってしまったのだった。
本には旅先での愛パン家の過ごし方を紹介するコラムなどもあるので、お楽しみに。
まさこさんはバンコクではなくチェンマイがお気に入りのようだけど、
タイへ行ってみてまさこさんが言っていたこと少しわかった気がする。【D】



◆10/17 まさこジャム発売決定(着々と準備を進めている)
◆パンラボ講座in池袋コミュニティカレッジ 会員の方の申込み開始(一般の方は8/25から)

↑既に本を持っているひと用のプランもあり
◆真夏のパンラボ展in福岡 ブックスキューブリックで開催中(-9/2)

◆8/25パンをめぐるトークショー満員になりました(ありがとうございました)

◆パンラボ、だらだら 


 


にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(シナモンロールをシナローって言うの聞いたことない
パン・トリップ comments(2) trackbacks(0)
パンの漫画47 『究極のサンドウィッチ』

pan47-1.jpg
pan47-2.jpg
pan47-3.jpg
pan47-4.jpg





パンの漫画1 『パンと金持ち』
パンの漫画2 『クロワッサン』
パンの漫画3 『朝にパン』
パンの漫画4 『こがす』
パンの漫画5 『ガレット』
パンの漫画6 『罪悪感』
パンの漫画7 『ながら食べ』
パンの漫画8 『買いすぎる』
パンの漫画9 『先祖とフォカッチャ』
パンの漫画10 『VIRONで朝食1』
パンの漫画11 『VIRONで朝食2』
パンの漫画12 『こんがり』
パンの漫画13 『緊張』
パンの漫画14 『花巻』
パンの漫画15 『禁止令』
パンの漫画16 『シベリア』
パンの漫画17 『風紀』
パンの漫画18 『張り込み』
パンの漫画19 『タイミング』
パンの漫画20 『パン』
パンの漫画21 『張り込み2』
パンの漫画22 『太田原くん』
パンの漫画23 『映画館』
パンの漫画24 『見栄』
パンの漫画25 『公開パンラボ』
パンの漫画26 『話し』
パンの漫画27 『護送』
パンの漫画28 『漫画家フード』
パンの漫画29 『発売します』
パンの漫画30 『無題』
パンの漫画31 『張り込み』

パンの漫画32 『あるパン屋にまつわる物語』
パンの漫画33 『喫茶店』

パンの漫画34 『ハニートースト』
パンの漫画35 『3色パン』

パンの漫画36 『グルテン』

パンの漫画37 『新築祝い』
パンの漫画38 『お土産』

パンの漫画39 『朝の散歩』
 
パンの漫画 comments(2) trackbacks(0)
パンデュース(本町)
第5軒目(関西の200軒を巡る冒険)

衝撃とは、予想をはるかに超えるレベルでなにかに出会うとき、訪れるものだ。
パンデュースのそれは、多種多様なパンであふれかえる、その様にある。
どれもこれもオリジナル、しかも一度は食べてみたいものばかり。
いくつかのパンを買って店を出たあとで、なぜあれを買わなかったのか、これを買わなかったのか、と後悔した。
すぐ近くに住んでいたとしても、この店のパンを食べ尽くすことは決してできないのではないか。

パンデュースの印象とは、いわば、おもちゃ屋に一歩足を踏み入れたときの感覚に近い。
天井まで商品を積んだ小さなおもちゃ屋のそれに。
楽しさの雪崩が頭上に崩れ落ちてくるようなにぎやかさなのだ。

米山雅彦シェフが語る、開店の経緯はこのようなものだ。
「このビルのオーナーとうちのオーナーとが以前から親しくて。
『フロアが空いてるから、パン屋にしたらおもしろいんちゃう?
実際にやらんでもいいから、厨房だけ作ってくれへんか』と。
流れで、自分がやることになった。
すっごい安易なスタート(笑)。
自分でシチュエーションを作って、商品を作るタイプ。
『子供が自転車乗りながら食べる、長いパン』とか。
パンデュースという名前は、コムシノワの西川シェフがつけた。
パンとプロデュースをくっつけて。
パンのいままでにない可能性を広げられる店。
自由なシチュエーションで食べられたら、と」

のせる、混ぜ込む、包む、塗る、しぼる…。
パンと食材の出会い方は自由自在。
新しいパンの無限増殖。

「おもしろがってやったのがよかった。
おっぱいパンとか、タコ、イカ。
バゲット、パン・オ・ルヴァンをちゃんと作ってあれば、タコ・イカあってもええやろ。
その幅がパンデュース。
遊んでるな、と思ってもらえるような、その余裕があればいいなと」

「パンデュースという名前に、ブーランジェリーとかつけてない。
どっかの国のスタイルを真似しようとも、表現しようとも思ってない。
ぜんぶ国内産の小麦粉・全粒粉・ライ麦粉で作ってます。
フランスのバゲットはこうあるべきとかいうよりも、日本人が生活に取り入れやすいスタイルがあると思う。
日本人はもっちりして甘みがあるパンが好き。
ごはん文化の流れがあるんだろうな」

「僕とスーシェフ1人、表で接客してる子(村瀬さん)4人でスタートした店。
コムシノワで働いていた、村瀬の感覚をすごく信用してて。
試作したものを食べさせて、その子がいいと言ったらよろこんで出す(笑)。
基本は、表の子たちがいいって言っているものの中から選ぶ。
みんなパンデュースが好きな子たち。
パンデュースの客層にどんぴしゃの子ら。
彼女たちの反応を見て。
みんなに、これいくらか言わせる。
職人さんはノーって言いにくい。
反対意見は言いにくい。
表の子はなんでも言う。
平気でダメ出ししてくる(笑)。
オフィス街なのでいろんな人がいます。
20代後半〜30代。
食パンは出ないです」

みんなで作る店。
引っ張っているのは米山シェフだが、お客さんに受けるか受けないかで、増殖の方向性は柔軟に軌道修正する。
にぎやかで、しなやか。
それは厨房を見せてもらったとき、確かな印象となった。
棚の上にたくさんのパンがひしめくように、厨房の中にも若い職人たちがぎゅうぎゅう詰めになって、パンを作っている。
米山さんを中心にしばしば笑いが起き、とても楽しそうだ。

ブロッコリーのフォカッチャ(150円)
村瀬さんがすすめてくれたパン。
私はブロッコリーが実は苦手なのだが、これはブロッコリーの中のおだやかな甘さだけ、うまく引き出されている。
味わいはごく透明。
そして塩がすばらしい。
ブロッコリーから滲みだす塩味が生地の中へまだらに浸透することで、あっさりした部分と、強く輝く部分ができあがる。
そして、類い稀な食感。
歯を当てるとさわさわと勝手に歯切れていく。
しかも、しっとりしていて、ねちっと伸びるようでもある。
むちむちでぷるぷるとした歯応えは、パンを噛み破ることが無数の気泡を噛み潰していく複雑な体験であることを語る。

「僕は大事なのは食感だと思ってるんです。
さくさくもあれば、ふわっとも、もちっともある。
歯がどう入っていくか」

パンデュースの自由、楽しさ。
それはかって在籍したコムシノワを引き継ぎ、発展させたものだ。

「コムシノワには6年ぐらいいました。
いちばんいい時期で、ちっちゃい店から大きい店に移転する立ち上げも経験させてもらいました。
西川功晃シェフ(現サ・マーシュ)は『師弟じゃないよね』って、パートナーみたいな言い方してくれた。
ありがたい。
気を使わない関係性。
そういう人。
いたらなんぼでも勉強になる。
オーナーである、フレンチの荘司索さんも大尊敬してる方。
2人とも感性がすばらしい。
コムシノワにいたら2人を絶対超えられない。
育ててもらったのに申し訳ないんですけど」

「西川シェフに拾ってもらった。
感性、自由なんですよね。
この世界に入るときは技術がすべてだと思ってたけど、西川シェフは製パン理論ばかりを重視してるわけでもない。
感覚的に自由に作っておいしいパン。
なにが作りたいかイメージを持って、それを自由に作れる。
イメージから逆算して作れるだけの技術があればいい。
技術がおいしいものを作るんじゃない。
イメージや自由な発想がおいしいものを生み出す。
作り方は自由。
技術より必要なものがある。
それが若い頃はわかってなかった。
西川シェフは技術もあるが、それで自由に作れるのは天才。
僕は技術がしがらみになってたので、コムシノワに入ったのはよかった。
めちゃめちゃ厳しかったですけど、職人としてすごく尊敬してるから苦じゃなかった。
なにかがはまったんでしょうね。
体はしんどかったけど、合ったんでしょうね。
寝れなかったし、体がふらふら。
でも、楽しかったんやと思います。
西川シェフは日本一のパン職人だと僕は本当に思ってる。
関西のパン屋さんにすごい影響を与えた。
あの人がいなかったら関西のパン業界、何年も遅れてた」

コムシノワを一躍有名にしたのは、色とりどりのフルーツをのせたデニッシュ。
それはまたたくまに全国のパン屋に広まり、いまでは定番のパンとなった。
米山さんはそれを超えるものを作りだそうとした。

「フルーツたくさんのデニッシュはもうやめましょうよ、と。
缶詰を使う店は多いですけど、コムシノワではフレッシュなものをシロップでコンポートしてます。
だけど、いっしょのこといつまでもやってもしょうがない。
野菜でいこか。
野菜の方向行ったのはそこ。
コムシノワの反動ですよね。
有機・無農薬でやっている、山本ファミリー農園さんに連絡して。
最初に送られてきたのはゴボウ。
それだけで作った。
レンコンのパン、ゴボウのパン。
単一の野菜で。
冬は色なんてないが、それでいい。
根菜の季節。
ゆがいた野菜をのせたり、ネギをだーって刻んでのせてネギ焼みたいにしたり。
素材そのまま。
僕は料理ができないから。
結果的にはよかった。
料理ができてたら、僕もかっこつけて、もっと別の表現してたでしょうね。
できるようになっときたかったな(笑)」

お野菜のオープンサンド(300円)
「野菜のたたき」と表現していいかもしれない。
火が入っているようで、生々しさも残されている。
野菜の甘さが引き出されているとともに、かすかにえぐみや苦みも残り、野趣にあふれる。
それを、カボチャを練り込んだぷりぷりの生地の甘さ、トマトソースの甘さ、チーズの甘さで三方からバランスする。
野菜から果汁が滴り落ちる。
ピーマン、パブリカ、ズッキーニ、カボチャ、タマネギ、ブロッコリーにジャガイモ。
それは彩りであり、一口ごとに飛び出してくるさまざまな味覚の回転木馬でもある。

「すごい量の野菜を注文する。
その季節に採れるものをいろいろ送ってきてくれる。
それがうちの店の旬になる。
野菜がなくなったら終わり。
商品は受け身で作っています。
だいたいのパターンはありますけど、アドリブだからしっくりきてないときもある。
お客さんも待ってくれてる。
レンコンにファンがついて、レンコン待ちの人がいてる(笑)。
完成していて毎年同じ表現をするパンもあるし、去年とは違う表現をする時もあります」

一方で、パンデュースのオリジナル商品は、流行に流されていない。
素材からの発想。
作りたいという衝動。
よろこんでもらえるはずだというホスピタリティ。
だから、自由が安易さにも、わがままにもならない。

「おいしいから作るとか、売れそうだから作るとかは関係ない。
そこにストーリーがなかったら意味がない。
店も必要やし、1個1個の商品も必要。
必然性があってこの農家さんが育てたもので、うちが必要性があってやる。
幼稚園の子が食べやすいようなスティック状のパン。
お父さんが疲れ取るためのビールのアテ。
切り口、素材にもストーリーがある」

パンデュースの自由さについてこれまで伝えてきたが、奇を衒うことだけで成功した店ではないと私は思っている。
バゲット、クロワッサンという基本中の基本がおいしい。
こうでなくては、というベースがしっかりしていて、しかも舌に馴染む。
それがなぜなのか、米山さんの話を聞いて納得できた。

「バゲット・バタールとかフランスの名前で出すパンは、ビゴさんのやり方、ルセットを守らないと。
本当のやり方がわからないと、働いている子もかわいそう。
ルセット(レシピ)はビゴさん、カルヴェル先生の伝えた、伝統的な製法。
90分パンチ90分(一次発酵の時間)を守る。
遊ぶところは遊ぶけど、伝統は変えるべきじゃない。
粉は日本のを使う。
そういう表現があってもいいと思っています。
理由は、単純においしい、というのがひとつ。
それから、国内自給率上げるべきということもあります」

バゲット トラディショナル(210円)
伝統的な製法で作られたバゲット。
甘く、軽い香ばしさ。
抵抗しつつ、抵抗しないような心地よい歯応えで、しわしわと押し潰れていく。
皮からセレアルな風味が広がり、やがて発酵の香りの逆襲に遭う。
それは、甘く、おだやかで、フェロモンのようだ。
かりかりの皮と対称的に、中身はふわふわで、舌触りはなめらか。
酵母の香りが主張するゆえに、まとまりきらず、癖になる。

フランス産小麦があこがれの味、背伸びした味だとしたら、国産小麦はやさしさが体に滲みこんでくるような味。
だが、大手製粉会社の小麦粉のように品質が一定ではないために技術が必要とされ、コストも高い。

「はるゆたか、春よ恋。
春小麦が好きで、メインで使ってきた。
国産小麦は、(時期によって)取れなかったり、高かったり。
はるゆたかを作っている、北海道の農家さんに会って、話を聞いた。
きちっと考えられてる人だった。
『僕も一生懸命作ります』と言って、腹決めて帰ってきた。
ところが、はるゆたか、春よ恋の生産が減って、今後は、ゆめちからが(北海道のパン用小麦の生産量の6割になると。
ゆめちからがおいしいと思ってない。
国産のうまさがぜんぜん飛んでる。
はるゆたか、春よ恋のほうがぜんぜんうまいのに。
いったいどこいくねん。
はるゆたかが好きでいままで作ってた農家さんへの方向性を示さんと」

ゆめちからとは、北米産小麦のようにタンパク量が多い品種である。
従来、国産小麦では不可能とされていた、ふわっとしたパンが作れるために、業界を挙げて、普及させようとしている。
たしかに誰にでも作りやすい小麦だが、国産らしい味わいはその分なくなっていると、米山シェフは判断している。
ゆめちからへの転換は、従来の国産小麦に惚れ込み、こだわってきた、生産者、パン屋に少なからぬ影響を与える。

「いまは、パン屋さんが作りやすいものがいいとされる時代。
工業生産化が発達しすぎて、作りやすい方向に人や物が動いている。
国産小麦がおいしいと思うかどうかは人それぞれだけど、生産性ではなくて、おいしさを基準に考えるべき。
うちは吸水の多い、やわらかい生地。
よそからきた子、手こずる。
生地を締めずに口溶けをよくしてという考え方。
そこに作りやすさは考えない。
作業性は考えるが、おいしさを基準に考えないと」

手間がかかり、技術が要求される。
ハードルは高いけれど、クオリティも体への安全も高まるのなら、どんな苦労も厭わないのが職人魂である。
パンデュースというポップな装いの内で、米山シェフはそれを濃厚に持ち合わせている。

「外国の小麦はポストハーベスト(輸送時に船中で散布される農薬)の問題があり、全粒粉の場合、残留農薬が皮についたままになる。
焼けば飛ぶのかもしれないし、反対に安全安心を謳う気持ちもないが、普通にすっと食べることができない。
身内に食べさすなら、農薬かかってたらいややな、と思ってしまう。
国産が広まるべきやと思う。
人として、作り手の顔が見えるほうがいい。
熊本県に東さんという有機無農薬で小麦を作っている農家さんがいて、自宅横にある古い木の製粉機で挽いている。
そこのミナミノカオリの全粒粉を使わせてもらっていますが、高価なのですべてのパンに使えるわけではなく、全粒粉100%で作った『ミナミちゃん』というパンと、ルヴァン種にだけ使っています。
どこで取れたかわからんのよりいい。
おいしいと思って作ってますけど、ストーリーがある」

パン職人とは、もの作りとビジネスの狭間で揺れる存在なのだ。
懸命に作れば作るほど、得てして労働は長時間に及び、金銭的にも報われない。
その矛盾を解決するためのチャレンジが、10月31日に予定されている、JR大阪駅への新店のオープン(桜橋口改札横[エキマルシェ大阪]「de tout Painduce」[デ トゥット パンデュース])のオープンである。
人通りの多いところへ出店し、同じクオリティのものをより多く売ることで、従業員に利益を還元したいと考えている。
だが、その結論に達するまでに、米山さんは悩みに悩んだ。

「人として、職人さんが幸せに生きていくには、規模が要る。
ビジネスをやりたくてパンデュースはじめたわけではない。
職人としての感覚を証明したくてやった。
でも、それだけでは、生き残っていけない。
新店を出そうと思ったら、従業員がいまの倍、必要。
だけど、それを短期間で育てるのも無理やし。
西山さん(ル・プチメック)とずっと電話してて泣きそうになった。
どうしようどうしようって言うてたら、最後、西山さんが『やりーな』。
(翌日が結論をJR側に伝える日で、)JRの人待たせて話してた。
NOという話を西山さんとしてたのに、次の日『やります』言うた。
大きいお金が動かんと、労働環境もよくならない。
8時間労働とは言わないが、職人としてのよろこびを感じられる仕事、人として生きていける保証。
それを実現するいいチャンス。
お金を儲けるなら、セントラル工場で冷凍生地を作って、運ぶスタイル。
駅の中の店に厨房作るなんて、ビジネスとしては、いちばんやったら駄目なこと。
それでも、パン屋さんがちゃんとそこで焼いた、あったかいパンを出したい。
ターミナルで粉まみれになって、職人さんが必死に焼いてる姿が見れる。
それが駅ナカに、しかも大阪駅にあったら、個人のパン屋さんの可能性が広がる。
大手さんの方向を目指してもしょうがない。
体動かして、大手にないクオリティを目指していく。
パン屋になろうという夢を持つ子が増える。
それが僕らの世代のやること」

パンデュースのスタイルとは、多品種のパンを、素材にこだわり、すべてハンドメイドで作ることだ。
そのスタイルを、大阪駅という特別なステージで維持できるのか。
あきれるほど客が訪れ、その中には単に無雑作にパンを求めるだけで、パンデュースの価値を特別に認めているわけでもない人がたくさん含まれるはずなのだ。
それでもパンデュースらしい、まっとうで楽しいパンを提供できるのか。
手間と情熱と技術とアイデア、つまり職人魂がいままで以上に要求されるだろう。
応援したい。
チャレンジが成功すれば、シーンを動かすことができる。(池田浩明)

大阪市営地下鉄 御堂筋線・中央線・四つ橋線 本町駅
06-6205-7720
8:00〜19:00(土祝は〜18:00)
日曜休




にほんブログ村 グルメブログ パン(グルメ)へ panlaboをフォローしましょう
(応援ありがとうございます)
200(大阪市営地下鉄御堂筋線) comments(2) trackbacks(0)
| 1/3 | >>