シェフはいつも窯前にいる。
対面販売のカウンターの向こう側、彼とスタッフの一挙手一投足はすべて客の目にさらされる。
にこりともせず仕事に没頭するシェフの気合いは、スタッフに波及し、このオープンキッチン全体を真剣さで満たす。
パンの仕事でもっとも大事なもの。
それは「焼き」だと國島武人シェフはいう。
「何日も何時間もかけていいものができてるのに、焼くときには2分、3分でダメにしちゃう。
窯は大事だと思う」
だから、國島さんが窯前の定位置を明け渡すことはない。
パンを作る工程の最終地点。
スタッフ全員がつないできた生地というバトンを、最終的にゴールさせるのはシェフの責任だと信じるからだ。
「料理の世界でもソシエ(ソース担当)、ストーブまわりが花形。
パンもそうじゃないかと思います。
各工程のしわ寄せがくるのが窯。
まず仕込み、分割、成形、発酵とって窯。
各ポジションでー2点、ー3点のミスがあって、最後窯に、100点でくることはない。
いちばんそのパンをわかってる人間が対応しないとできない。
生地と会話ができないと。
見たり、触ったり、嗅いだり、五感をフルに活用して、何度で、何時間であがってくるかという数字も大事だし。
その対処の仕方をどれだけ知ってるか。
温度設定や時間、窯の中の入れる場所を変えながら」
パンのオーラ。
山と積まれ、鈍く光るバゲットの表情が凛々しい。
出来が一定であるからなのか、たたずまいはどれも端正で、買われていく瞬間、食べられる瞬間を無言のうちにじっと待っているように見える。
ルージュ(300円)
ピーカンナッツ、ドライチェリー入りのパン。
皮を乾かせ、中身には十分に水分を残す。
瞬間的に皮が破砕し、その砕け散りぶりがナッツと実にシンクロする。
一方で中身は湿り気にもかかわらず軽やかで、あっさりと溶けていく。
また、しっとり感による、ちょっとひんやりした舌触りも、チェリーの果肉、あるいはすっぱさと響きあう。
と同時に、チェリーの甘さと、しっかり焼きこんだ皮に特有の甘さにも、バランスがある。
ベーのパンはこんなふうに緻密な計算と技術が一体となっている。
「実家は福島の田舎でパン屋をやってるんですが、東京の専門学校を卒業したあと、東京のパン屋で1年半働き、家業を継ぎました。
5年ぐらい親の元で働いていました。
その頃、たまに那須に遊びに行くことがあった。
いま考えたら大したパンじゃなかったんでしょうが、そこで食べたクルミのハード系のパンがおいしくて。
自分もハード系のパン焼いてみたいな、と思った。
自分でもやってみましたが、うまくいかなかった。
東京で働いていたときも、なにせそこまで突き詰めてやってなかったので。
東京でもう1度修行したいと、親を2年ぐらいかかって説得しました。
親父は19で店を出して苦労した頑固な職人。
反対されたが、諦めなかった」
「頑固な職人」と呼ぶ父の血は、國島シェフ自身がきっと濃厚に受け継いでいるのだろう。
彼の語り口や、仕事ぶり、なによりも作りだすパンから、そう思う。
実家を継ぐという定まった軌道から外れて再び上京したのは、大事な忘れ物を取り戻すためではなかったか。
國島さんは、そのために探していた師をすぐに見いだす。
「アンジェリーナを見たときは、当時カルチャーショックを受けました。
そのときは募集がなくて入ることができませんでしたが、紹介で入ったデイジイ(川口の有名店)で働きながら、休日にはアンジェリーナに足を運んでいました。
隅さんはパンの表情とかにものすごくセンスがある人。
アンジェリーナには、そこに惹かれたというのもありますね。
店の雰囲気作りもすごくよくて、フランスの田舎のパン屋さんみたいな感じ。
シャンソンを流していました」
アンジェリーナは健在だが、いまは移転し、國島さんの最初に見た店舗はすでにない。
だから、当時の店舗はいま見ることができないが、2000年代初頭に訪れた私にも、アンジェリーナは圧倒的な印象を与えた。
まだまだブーランジュリーの名にふさわしいパン屋は少なかった頃でもあり、これがフランスパンだ、と思ったものだ。
國島シェフはやはり諦めることなく、3年かけてアンジェリーナに入った。
「元々ベーカリーカフェをやりたかったこともあり、パンのほうが人が足りているのはわかっていたので、売場だけでもいいのでといって入れてもらいました。
キッチンで働きたいと。
隅さんはケーキや料理が好きな人なんで。
当時の僕は包丁が使えなかった。
にんじん1本切れなかった。
短冊切りもわかんなかったし、千切りもできない。
隅さんがそこから教えてくれた。
パンだけだったら、そんなに必要ないのかもしれないですけど、料理とお菓子とパンはつながっているところがある」
料理を学ぶことは、パンを深いレベルで理解することにつながるだろう。
隅シェフの影響はベーの店の中にも見つけることができる。
たとえば、ベーではパンのみならず、トータルで食を提供しようとしている。
この小さな店舗で、パン以外の食べ物がこんなに充実していることは珍しい。
コンテやブリーなど、ヨーロッパから輸入されたチーズ。
地元大泉学園の名店であるル・ジャンボンのハムやソーセージ。
そして、自家製の惣菜。
サンドイッチも本格的で、手間とオリジナリティを感じさせる。
「パンのラインナップも食事を意識したものを出したい。
よその店ではいいと思うんですけど、うちでは、『このパン、いつ食べるパンなんだろう?』というようなものは出したくない。
このパンはこういう食事のときに食べてほしいな、と思いながら作っています。
オーソドックスなフランスパン(パン・ド・べー)はオールマイティ。
バゲット・ミュールは魚介系の食事、フュメ・ド・ポワッソン(魚のダシ)につけていただくと相性がいい。
お肉系だったらバゲット・コンプレは動物性の脂肪と相性がいい」
パン・ド・ベー(200円)(写真上の中の上のバゲット、写真下の中の右のバゲット。隣りはバゲット・ミュール)
ブーランジェリー ベーのラインナップの中で、パン・ド・ベーはスタンダードで日々の食事にも買いやすい価格のバゲット。
反り返るようにクープが立ち、かりかりと小気味よく弾ける。
皮の硬さとまったく対称的な中身のやわらかさ、湿りに驚く。
気泡の中へ唾液が入り込んでいく感覚があって、それゆえにしゅわしゅわと溶けていく。
そのとき、塩のミネラル感を感じさせながらおだやかな甘さが揺れながら滲む。
溶けた皮もなお香ばしさを発し、鼻腔へ甘い香りが立ち上っていく。
「オープン当時から5年目ぐらいまで、けっこうとんがった仕事をしてた。
だんだんいまの自分に合った、そういうパンになってきたのかな。
ダメなものはダメという考え方でやってきましたけど、そういう考え方はしなくなりましたね。
そんな背伸びはしなくていいのかな。
以前は自分に自信がなかった、プライドが高かったというか。
お客さんにおいしいねといわれても、正直うれしくなかったんですよね。
納得できるパンが焼けてうれしいなとは思っても。
最近ようやっとお客さんが想像できるようになった。
おいしいねといって食べてる姿を。
お客さんが自分のパンを食べてる姿が見たいなって」
作るパンがその人の人間性を写す。
年齢とともに嗜好も移り変わる。
また、子供ができるという人生の大きな節目も、人の感性に影響を与えずにいないだろう。
「去年、子供ができて、保育園のお誕生日会でシュークリームを焼いたんです。
子供たちがシュークリームを食べてる姿が見たいなと思って。
いままでは自分のプライド賭けてやってきましたが、そんなのたかがしれてる。
地域密着って言いながらも、職人が食べておいしいパンを目指してた。
ものすごくとんがってた気がしますね。
このパン食べてわからないんだったらいい、みたいな気持ちで作ってた気がしますね。
コンセプトとかいろいろありましいたけど、コアな部分にはそれがありました。
恥ずかしいですけどね。
スタートが遅かったせいで、デイジイに入ったのも26。
新卒の人と仕事する劣等感が強かったんでしょうね。
それをバネに仕事をしてるうちにそうなってしまった。
デイジイにいた頃、19、20の人に使われる。
しょうがないなと思う半分、悔しい気持ちもものすごく強くて、でも、そう思っても仕事ができないので、気持ちのままに進んでしまったのは、よかったのか悪かったのかわからないですけど、最近は変わってきたのかな」
職人のこだわり、とはよく言われる言葉だ。
それは、客が気付くかどうかわからないほどの、繊細なレベルに及んでいることだろう。
ときには、マニアックでない客にとって必ずしも望ましいといえないこだわり(例えば、硬い皮)にさえ、寝る時間を削って心血を注ぐ。
それは、単に客を置き去りにしていることなのだろうか。
國島さんの衝動、理想とするパンを焼くために払われる、人生を賭けた努力。
それを理解はしていなくても、職人の厳しい仕事がもたらすなにかに触れたくて、私たちはパン屋に足を運ぶ。
そうしたストイシズムの空気が、ブーランジェリー ベーにはある。
パンとは、あるいは別の言い方をすれば、「作品」とはそういうものなのだ。
他人からは理解できないほどの高みに達しているものは、作者のやむにやまれぬ衝動や、コンプレックスに発している。
だから、國島武人さんのいう「劣等感」を聞いて、私は大いに納得し、ますますベーのパンをおもしろいと思った。
もうひとつ、國島さんのパンに変化をもたらした、直接のきっかけがある。
「やり方も以前とは変わったりしましたね。
セーグルも、パン・ド・ベーも変わった。
パン・ド・ベーはいままで細かいマイナーチェンジしかしてませんでしたが、半年ぐらい前がらっと変えましたね。
ある人のパンを食べてショックを受けた。
もっちりしているのに口溶けがいい。
皮もがっつりしているのに、すっと溶けていくというフランスパンを食べてショックを受けた。
それがルセットを変えるとっかかりでしたね。
自分の気持ちも、好みも変わった。
(飛騨高山トランブルーの)成瀬(正)さんのパン、講習会で食べたら、『ん? 』と思った。
『今まで食ったことないな』と。
うまかったんですよね。
成瀬さんの本、西川(功晃、サマーシュのシェフ)さんの本、読んでたんですけど、なんでそこまでミキシングかけるのかわからなかった。
なるほどな、そういうことなのか、とやっとわかった。
窯伸びなんですよね。
窯で生地を伸ばすことによって、フランスパンの皮が薄く、口溶けのいいパンが焼けるんだなと。
いままでの自分の作り方では、高温短時間ということだけ先行していた。
ところが、成瀬さんのやり方は、窯伸びさせるためにミキシングも強めにし、その段階である程度しっかり生地を作ってしまう。
その前の僕のやり方は、あまりミキシングしないで、寝かせたり、パンチでつないでいく。
使う粉とのバランスもあるんですけど。
しっかりつないで、窯伸びさせることで、皮も薄くて、口溶けのいいフランスパン焼けるのかなとわかった。
もっちりしてるのと、口溶けいいのとは、相反するものです。
自分自身、内麦(国産小麦)にこだわってるんですが、そんなときに成瀬さんのパンに出会って『なんだこれは』と。
パン・ド・ベーも内麦をメインに使っていたんですが、いまはフランス産7割、レジャンデール(日清製粉の強力粉)3割に変えました。
ある程度灰分があってタンパクが低い粉を探していましたが、やっぱりフランス産なのかなと。
自分に合う粉が見つかった」
成瀬シェフのパンを食べて衝撃を受けたのは、もっちりした食感と、口溶けよさという反対概念が、1本のバゲットの中でともに実現されていたからだ。
そこに自分の焼くべきバゲットの可能性を見た。
味わい深く、食べごたえもあって、しかも口溶けいいバゲットへ。
パン・ド・ベーをワンステージ上へと引き上げるきっかけとなった。
このエピソードからもわかるように、國島シェフのパン理論というのは、あらゆるファクターを、相反する概念の関係として捉えることである。
たしかに、パンとは相反する2つからできていることが多い。
皮と中身、パンとフィリング、軽さと重さ…。
その両者のあいだにどのようにバランスを取るかが、自分の追い求めるパンを作る上で決定的に大事だと、國島さんは考える。
「バランスを考えながらいつも作っています。
配合を考えるのも、実際に焼くのも、バランスを考えてます。
どれぐらい皮を厚く、薄くするのか。
保湿性はどれぐらいもたせればいいのか。
たとえば、クリームパンなら、このぐらいの皮で、このぐらいのクリームの量、皮の香ばしさ、厚さに負けないクリームの量。
それぐらいインパクトあったほうがいいんじゃないか。
ブリオッシュも、どれぐらい発酵とれば、どんだけ口溶けがよくなるのか。
口溶けとボリュームが出すぎれば、味は薄くなるし。
どれぐらい発酵を抑えて濃くするか。
店のラインナップもそうです。
ハード系ばっかりじゃなく、甘いものばかりでもなく。
バランスの落としどころをどこにするのか考えながら焼いてますよね」
クリームパン(180円)
断面写真を見てわかる通り、隙間なくクリームが詰め込まれている。
手に持つとずっしりとした重さを感じる。
特に中心部は薄皮のワッフルのようにクリームの味を猛烈に感じ、そのリッチさが幸せな気分にさせてくれる。
それは、パンが薄くてクリームが多いということもさることながら、こんがりと焼かれて軽やかな、菓子パン生地の一気の口溶けも大いに貢献している。
跡形もなくパンが溶けても、バターの甘さだけ後味に残る。
それがクリームのおいしさをさらに加速させるのだ。
クリームもしっかりと甘く、4噛みぐらいしたところで、甘さの輝きがさらに跳ね上がる。
國島シェフがもっとも大切だという、バランス。
皮か中身か、水気か乾きか、硬さかやわらかさか。
生地のベストなバランスを最終的に決定するポジションこそ、「焼き」に他ならない。
それが國島さんが、窯前を決して譲らない理由であろう。
そして、ファクターの対立とは、本当は二者択一や一次元的な「あれかこれか」ではないのだと思う。
繊細微妙な、ここでしかないという決定的な瞬間において、決して両立しえないものが両立し、パンに奇跡さえ呼び込む。
その瞬間を求めて、パン職人は窯前であくなき努力を続けるのだ。