174軒目(東京の200軒を巡る冒険)
パンを成形しながら、青木哲夫さんが呟く。
「外から見られながらやるのおもしろいな」
しげくに屋は角地にあって、作業台は路地に開いた窓に面している。
道ゆく人が作業を見やり、青木さんも見送る。
知っている人がいれば挨拶を交わす。
パン職人として、地域の人たちとつながっている感覚を、こんなにリアルに得られるパン屋は意外と珍しいのではないだろうか。
「1回は差別化しようと思って、ベーグルとハード系のみにしたけど、お客さんに『あんぱんないの?』ってよく訊かれるもんで、町の普通のパン屋さんにまたなってましたね。
自家炊きのあんこやクリームを使ったパンだから、よろこんでもらっていたんでしょうね」
商店街のなつかしいパン屋のようなたたずまい。
いま流行のパンへの憧れもあるし、作り方も知っている。
それでもあんぱんやクリームパンを作るし、フランス産小麦のバゲットも、自家製酵母のパンも、ベーグルも置いている。
ブーランジュリーで、ベーグル屋で、町パン屋。
不思議な折衷ぶりが、しげくに屋の魅力である。
「大学卒業後、手に職をつけたくてパン屋に勤め、休みの日にはパン屋巡りをしていました。
たまプラーザ、パンペルデュのクロワッサンを食べたときは衝撃でしたよね。
どうやったらこんなにおいしいクロワッサン作れるんだろう。
パンペルデュの淺野正己さん・井出則一さん(デュヌラルテなどをプロデュース)は尊敬する人です。
その後、パンペルデュに募集が出たとき、応募しました。
面接でクロワッサンの作り方を聞いて、『こんなにバター使っていいのか?』と思い、『普通の食パン、あんぱん作りたいんで』って、お断りさせてもらいました。
そのとき断らないで、やってればよかったって考えたこともあったけど、あのクロワッサンの記憶がずっと頭にあったから、ここまでやってこれたのかな。
バターが120%のブリオサンや。
アルトファゴスの志賀さんのパンも衝撃を受けました。
そういうの食べて、どうやって作るのか、考えるのが楽しい」
青木哲夫さんの記憶に残るパンがある。
現実にどうだったかは確かめようがなく、時が経つごとに記憶はすばらしいものになり、永遠に追いつけない神聖なものとなる。
それが、目標となり、夢となって、職人仕事を支えている。
町パン屋としてあんぱんを作りながら、一方で淺野・井出・志賀といったパンの革新者も視野に置く。
行き過ぎないが、平凡じゃない。
それが、しげくに屋の独特さである。
フランス産小麦の熟成レトロバゲット(300円)
皮の食感がすばらしかった。
乾いた落ち葉を踏むような、ざっという音がして、皮が一度にばりばりと砕け散る。
強く焼かれているせいで、皮は苦みを含んでいて、水分は完全に飛んで、強い甘さになっている。
中身も軽やか。
溶け際に残す、皮の強さにやや隠れがちであるが、バターに似たさわやかな甘さが印象的である。
「気泡がぼこぼこで、水分が多くて、甘みがあって、香りがあってっていう、いまどきのバゲットを以前は作っていたんですけど、疑問が湧いてきた。
それでいいのかなって。
いまはスタンダードなバゲットになりました。
パンを作っていて、いろんな疑問が出てくる。
たとえば、長時間発酵って本当にうまいのかな?
いくつもあって。
答えを探して、疑問をひとつひとつ潰して、解決していってる途中です」
自家製酵母パン ミルクフランス(210円)
引きがなく、ざっくりした歯切れで、ばりばり割れる。
ソフトフランスでもバゲットでもなく、全粒粉入りのハードパンを持ってきているところがユニーク。
自家製の練乳入りミルククリームは、ココナッツアイスクリームにそっくりなところに萌える。
硬めに作られたそれは、たっぷりと盛り上げて塗られ、濃厚な甘さに口の中がひりひりするのに、食べれば食べるほど、もっと欲しくなる。
よく焼けたパンの乾きにクリームが滲み、強い甘さがリーンなパンにかえって好相性。
店に並ぶパンのうちベーグル率の高さにそそられる。
ちょっとしたベーグル専門店並みの品揃え。
「むっちり」と「もっちり」という2種の基本生地。
アールグレイやホワイトチョコやドライレモンや塩豆など、ツボを突く具材が混ぜ込まれている。
「ベーグラーの方に受けそうなものを作れたらいいな。
そう思ってベーグル専門店なんかでいろんなもの食べても、うーん、自分には合わない。
自分が食べれて、自分がおいしいなと思うベーグル作ろうとしたのがはじまりです。
うちはパン屋なんでちゃんと発酵したのを作ろうか。
最初はイーストだけで作ったり、自家製酵母だけで作ったり、ストレート法で作ったりいろいろ試してみました。
いまは3日間かけて作ってます。
ベーグルは口の中に残りがち。
それがいやだから生地を2日置いてみたら、口溶けがいいし、香りもよくなった。
中種1日、翌日本捏ね、成形してからまた1日置いています。
最終的には茹でて焼くんで、そこで自家製酵母だけだと酸味が出る。
ごく少量、市販の酵母もプラスしてそうならないように。
うちはパン屋のベーグルです」
ベーグル専門店はベーグルを食べるぞ、という気合い、あるいは心構えで行く。
しげくに屋のベーグルは普通にお腹が空いてパンを食べる気持ちで食べられる。
よく熟して、きちんと味わいがある。
ベーグルの世界観を共有しているからおいしいのではなく、普通においしい。
もっちりベーグル 赤えんどうの塩豆(260円)
ベーグルと本格ハード系の中間という独自の境地は、男のベーグル。
皮はよく焼けてハード。
中身の引きも強く、簡単には噛み切らせてもらえず、硬い芯を噛みしめねばならない。
噛むごとに様相は変わってくる。
小麦のそれよりもよりうっすらとほのかな、米の甘さを滲みださせるせいで、噛みごたえ、歯にくっつく感じ、皮の香ばしさとあいまって、かき餅と錯覚させる。(「もっちりベーグル」は米粉入り)
そして、これは豆パンの新展開でもある。
塩豆だけをシンプルに入れて。
塩気は生地に働いて、先述のうっすらとした甘さを、濃厚さへと急旋回させる。
青木哲夫さんは被災地でパンを売っている。
パンになにができるか、自分になにができるのかを問う、挑戦であり、冒険である。
「うちは(移動販売用の)車があるから、その車で被災地にパンを売りに行っています。
石巻のものを売る支援を行っているボランティアさんと話をした際、被災地は店がないと聞いて。
そういうところを回ろうかな。
2ヶ月に、3ヶ月に1回が精一杯ですが。
『来てくれてありがとう』と言ってもらえる。
これも支援のひとつの形かなと思えるようになりました。
安く売るわけでも、ボランティアをするわけでもないですが。
それを承知で買ってくれる人がいる」
行ってみなくてはわからない。
なにが望まれているのか、なにが必要とされているのか。
被災地の人と同じ目線に立ちたい。
その場に立つからこそ、見えてくるものが、わかってくることがある。
「『たいへんね』と言われるんじゃなくて、隣の町からパン売りにきたよぐらいの気持ちで受け入れてもらえればいいんですけど。
そのほうが相手にとっても、自分も、気持ちが楽だし。
被災地に行きはじめていちばん最初に出会った、石巻のお味噌屋さん『山形屋商店』には必ず寄ります。
いまは他のお味噌屋さんに自社ブランドの製品を作ってもらってるみたいなんですけど、工場を立て直すには大きな資金が必要なので、なかなか立ち上がることができない。
うちの車の空いたスペースに山形屋商店さんの味噌やしょうゆも置いて、売っています。
山形屋さんも昔は車で売ってたそうで、車に味噌積んでたら、それを見た人がすぐに『あ、山形屋さんだ』と。
味噌は10キロ根こそぎ売れたが、パンは1斤しか売れませんでした(笑)。
『味噌売れましたよ』って言ったら、
『すごいねー』って笑って、やる気を出してくれました。
被災地だと売れないので東京を回っているそうですが、地元でもこれだけ需要があるんだと、改めてわかったと言ってましたね」
自分が必ず役に立てるなどとは到底思えず、半信半疑で行く。
行ってみれば、出会いは必ずあるものだ。
予期せぬことが起こり、会話が生まれ、心が通じ合う。
「最初は仮設だけまわっていたんですけど、それだと差別になるので、復興市場も出させてもらったり。
売るのに必死でそんなに話もできませんでしたが、だんだん話せるようになってきました。
なにができるのかといったら、なにもできない。
ただ、話を聞くしかない。
たわいもないことで、わいわいがやがや。
それが少しでもプラスになるのなら」
青木さんはボランティアとしてパンを配っているのではなく、パンを売っている。
儲けは出ないが、利益があれば、その分お菓子などを寄付する。
「『パン、ただじゃないんだ』って言われることもあります。
ボランティアさんによると、
『これからのことを考えると、お金を出して買うものだと自覚する、そこからはじめないといけない。売りに来てくれることも大切』だと。
子供なんかみんなもらえるものだと思っている。
これから先、ずっともらいつづけるわけにはいかないですからね。
『ありがとうございました』とみんなに言われる。
自分が本当は言うほうなのに。
ありがたいし、申し訳ないし」
「ありがとう」がありがたい。
それは、被災地に行った者の実感としてある。
役に立てるかどうかは、常に手探りである。
「ありがとう」と言ってもらえるかどうか、それが道しるべなのだ。
自分自身からも「ありがとう」という言葉が自然に口をついている。
与えるよりもっと多くを、被災地で得ていると思う。
「車の扉を開けたら、いっぱいにパンがあるようにもっていきます。
『うわーっ』て、買ってくれる。
昼まではお店の分を作って、それから8時ぐらいまでまたパンを焼いて、そこから包装、それから車で高速を走らせて持っていきます。
以前はスタッフに販売をやってもらって、自分は作るだけで脇から見ていましたけど、自分が売らないとだめですね。
自分が話したいし。
作るだけじゃなくて、お客さんの口に入るまで。
楽しいですね。
走って戻ってきて、『おいしかったからまたください』って買ってくれる人がいたり。
予約をしてくれたり、わざわざ隣の仮設からきてくれたり。
『遅い! パンが少ない!』って怒ってたおばちゃんが、『来てくれてありがとう』と言ってくれた。
1回目は『すいませーん』だけだったのが、2回目は『前に来てたでしょ』、3回目には会話ができてたり。
ありがたいことですね。
パンを通して話ができたらおもしろい」
パンの力。
言葉の力、笑顔の力、やさしさの力。
臭い、恥ずかしい、ダサイと思っていた価値が、あの場所では必要とされている。
それを体験し、確認することは、被災地に行った者にとって日常を生きる勇気となるのだ。
被災地で生まれた、人とのつながりをうれしそうに語る青木さんの表情が、それを物語っていた。
JR中央線・西武多摩川線 武蔵境駅
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