陸前高田・希望のお花見ツアー
2014.05.31 Saturday 01:50
被災地・陸前高田をパンで応援する活動「希望のりんご」。
5月10日、11日、私たちは久しぶりに陸前高田の土を踏んだ。
地元の人たちと炭火を囲んでバーベキューをする。
向かった先は、3・11の際には避難所となった和野会館。
アップルロードから急勾配を登ったところにあるこの公民館からは、広田湾を眩しく望むことができる。
到着すると、ピンクのバンダナを巻いたアップルガールズ(陸前高田を元気にするためのお母さんたちのグループ)がきびきびと立ち働いていた。
ベーカリーコンサルタントである加藤晃さんの指導のもと、みんなで赤飯と桜餅を作る。
和菓子も洋菓子もパンも一流の加藤先生が惜しげもなく披露する技術。
たとえば、赤飯にかけるゴマは、塩水で浸けてから炒っておく。
すると、ゴマの香気と塩気が口の中で広がってすごくおいしい。
この技には、Zopfの伊原シェフが鋭く反応、「うちでもあんぱんでやろう」と大よろこび。
加藤さんの情熱。
食べ物を作ること、教えることが大好きで、それはアップルガールズにも乗り移る。
そこかしこで笑いが起きる。
ホットプレートひとつでプロ顔負けの桜餅ができた。
桜の葉は加藤さんの古巣である亀屋万年堂から、あんこは内藤製あんからご支援をいただいたもの。
ご理解とあたたかい支援でこの活動は続けられている。
いま「まるごと陸前高田協議会」が立ち上がっている。
これは一般市民が手づくりのおもてなしをして観光客を受け入れ、陸前高田の魅力を発信しようという試みである。
そこでアップルガールズもお弁当を作る役割を担っているのだが、私たちの活動において、加藤さんや、ラ・テール洋菓子店の中村逸平シェフが教えたお菓子もメニューの一品に加えてくださっている。
この絶品の赤飯もそんなふうにお役立ちできたらと思う。
陸前高田はおいしいと改めて思う。
海の幸、山の幸。
(菊池貞夫さん)
りんご農家の菊池貞夫さんは鹿撃ちの名人。
自ら撃った野生の鹿肉を焼いてくれた。
臭みもなく、野趣に富み、豊かな肉の風味の中には、木の実のような香りさえあった。
アップルガールズ菊池清子さんの実家「こんの直売センター」で購入したホタテ。
こんなにやわらかく、やさしく、純粋な磯の風味がするホタテを東京で食べられるとは決して思わない。
ホヤの苦みと甘みのすばらしい共存。
これも、時間が経つとすぐに臭みを発するものだけに、陸前高田でしか食べられない味である。
思わず自然の恵と漁師さんのお仕事に感謝の気持ちが芽生える。
実はホヤが食べられるようになったのは、この5月からのことだ。
初物のホヤを食べ、希望のりんご農家・金野秀一さんは感動で涙が出た、と言った。
ホヤがこの大きさに育つまで3年かかる。
津波によって海が荒れ果ててからはや3年過ぎたことをそれは意味する。
近隣の仮設住宅の住民の方にお越しいただいた。
かってこの避難所で、物資のない中生き延びるため、ひとつのおにぎりを分け合って食べ、ろうそくの光に実を寄せあった。
食べるものさえない中からの復興。
この思い出の場所で食べるものはそのせいかとてもおいしく、愛おしいのだ。
バーベキューはまた、地元で復興のために活動する人たちと私たちとの交流の場になった。
陸前高田市役所の山田壮史さん、復興支援のNPOであるSAVE TAKATAの松元玄太さんと岡本啓子さん。
米崎町のりんごを販売したり、ジャムを作ったりという活動をされている。
志を共有する者として今後協力していこうと約束をする。
「希望のりんご」の活動はこんなふうにいろんな人と出会うたびに、少しずつ歩みの速度を早め、未来への輪郭が見えはじめているのだ。
建築家の薩田英男さん。
ユニセフの支援によって被災地に保育園を建てる活動を担った。
ここ米崎町で昨年、子供たちのために「竹のワークショップ」を開いた。
陸前高田は竹が自生する北限の土地である。
この竹を使って、土壁や竹の舞台を作ったり、流しそうめんをして、子供たちといっしょに遊んだ。
夏には竹で基地や竹とんぼを子供たちと作るワークショップを企画している。
私たちもなにかできないか。
竹の中に生地を入れてパンを作ったらどうだろう。
そんなアイデアに伊原シェフは好奇心をくすぐられ、どんな火を入れ、どんな生地にしようかと夢中で話す。
職人が新しいことに取り組むときこんなに楽しそうにするのだと感銘を受けた。
金野さんと、近くの竹林まで、実験のための竹を切りに行く。
のこぎりを使っていとも簡単に竹を加工していくけれど、素人にはむずかしいのだろうなと思う。
薩田さんと伊原さんはその竹を抱えて帰った。
どんなことになるのか、夏が楽しみだ。
空き地に車を置き、3.11以降不通となっている、荒れはれた大船渡線の線路を越える。
すると、海沿いの地に咲き誇る花園があった。
伊藤さんの自宅がかってあった場所で、700本ものチューリップが満開だった。
この花にはひとつの願いが込められている
「こんなふうに花を植えて、きれいにしてれば、兄さん、帰ってこれるかな」
お兄さんはいまだに行方不明のままだ。
折しも月命日。
このうつくしいチューリップは最高の手向けになっているにちがいない。
私たちも手を合わせた。
昨秋、私たちが植樹をお手伝いした、農業試験のための新品種のりんご。
どうなっているか見に行ってみると、もう花をつけているので驚いた。
次の秋にはりんごも実るということだ。
米崎町の丘を覆う、りんごの白い花。
同じバラ科の桜に似ているけれど、ちょっと厚ぼったく、堂々としている。季節が巡りくれば花が咲くのは当然だとは思っても、実際目にするとその当然のことにわくわくし感動するのはなぜなのだろう。
私たちはみんなはしゃいでいた。
金野さんの日常は、私たちの非日常であり、すごく楽しいものなのだ。
桜の花を高精度のルーペで観察する。
中央のめしべとそれを囲うおしべ。
1年のうちの2,3日という受粉の時期を迎え、めしべは水で濡れたようになり、花粉をキャッチしやすくなるのだ。
ひとつの枝にりんごの花は5つつく。
最初に咲くのは中心の花で、りんごの生育ももっともいい。
この花に成長力を集中させるため、もったいないけれど他の花は摘んでしまう。
この作業が花摘みで、多大な労力を必要とする。
私たちはこのお手伝いをしたけれど、完了したものはほんのわずかで、改めてりんご1個が実るまではたいへんだと実感する。
やりはじめるとけっこう楽しいものでもある。
思わず時を忘れて、作業に熱中した。
りんご園のところどころに置かれた巣箱。
農家の受粉作業を助けるために、養蜂家が置いた蜜蜂の巣箱である。
反対に、養蜂家にとっては、これだけ集中して花が咲く場所で蜜を集められるのは、ありがたいことだ。
共存共栄。
人類が長く続けてきた食べ物の採集方法には、自然を痛めつけず、その循環に沿った方法であることが多い。
それを後押しすることが、そのまま復興にもつながるとしたら、希望のある未来を描ける。
「希望のりんご」でもこのりんごのはちみつを販売したり、はちみつを使ったりんごのコンフィチュールを販売したいと思っている。
私たちはりんご園からさらに斜面を上がった。
米崎町の海とりんごの木を一望できる場所。
栗の木が立つ未利用地があり、ここに作業所や集会所兼カフェを作れないかと思案している。
地震のときには、津波の様子を心配しながら見つめたというこの場所を、観光資源としてのランドマークにすることはできないだろうか。
りんごを使ったパンやお菓子を名物にしたい。
地元の人たちの要望を丁寧に汲み取り、協力を得る。
そして、私たちと活動をともにする一流シェフたちのノウハウや知名度を注ぎ込めばそれも可能なのではないか。
希望に満ちた仕事を陸前高田に生み出すことで、若者の流出を止めることにもつながる。
いまはまだ、ただの「希望」にすぎない。
だが、イメージを描き、みんなで共有すれば、いつか実現できると信じている。