6月27日、ル・プチメックの新しい店が京都大丸に登場した。
フランスをテーマにしてきたル・プチメックが、ドーナツとベーグルというNYのパンで勝負するサプライズ。
デパ地下はプチメック祭りと化していた。
ドーナツ・ベーグルを求める人たちで、開店から閉店までずっと長蛇の列ができている。
私服姿の西山逸成オーナーはその傍らに立ち、客の反応に聞き耳を立てていた。
「ひまわりの種がついてるベーグルを見た人に、『わしはハムスターちゃうわ』って言われて、さすが関西やと思いました(笑)。
それを僕はおもしろがってるんですよ。
百貨店はそういうお客さんだと思ってるし。
パンマニアだったら、そんなこと絶対言わないでしょ。
ここに並んでる人のほとんどはうちのこと知らない人です。
僕は最初から、デパートにはデパートのやり方があると思ってやってるんですよ。
いままでデパートが売ってきたものとはちがうものを作って、どこまでいけるかやってみたいって好奇心があって、それでこのお話を受けたんです。
想像以上に狙い通りだったので自分自身びっくりしてます。
僕が最初にドーナツとベーグルでいくって言ったとき、うちのスタッフも驚いたし、まわりの人も驚いたんですけど、僕は確信してました。
絶対いけるって。
ふた開けてみたら、あまりにもドーナツ・ベーグルを買うお客さんばっかり」
「どうしてドーナツなの? って言われるかもしれないけど、デパートのお客様は年齢層が広いので、最大公約数に受け入れられるものを考えました。
そこを、自分が売りたいからってハード系をごり押しするのは、僕はちがうと思ってました。
それをおもしろいと僕は思わないし。
うちのハード系をなにがなんでも認めさせるんだっていう意気込みはないんです。
ここでは、デパートにくるようなお客さんにおもしろがってもらえることをやってます。
レフェクトワールなら原宿みたいなアパレルの町にいるクリエイターたちにおもしろがってもらえるものはなにかを考える。
町場のパン屋は近所の人たちがおもしろがってくれるものはなにかを考える。
デパートはデパート特有のお客さんいらっしゃるわけで、その人たちによろこんでもらえるものはなにかって考えたとき、僕はドーナツだと思ったんですよ」
「ドーナツ・ベーグルっていままで一度もやってない、僕が開けてない引き出し。
3ヶ月前からスタッフに言いました。
『ドーナツをやる以上、おいしくなかったら、うちのお客様から、『あーあ、よけいなことしやがって。おとなしくハード系作っときゃいいのに』って絶対いわれる。
だから、そのお客様に、『プチメックはドーナツもできるんだ』『ベーグルもできるんだ』って思わせるぐらいおいしいものじゃなかったら、出さないかもしれないよ。
それができたら出す』って。
それぐらいじゃないとやる意味がないし、逆効果になる。
『やらんほうがよかった』って言われる。
もう3ヶ月間ドーナツ・ベーグルの試作ばっかりやってました。
最初スタッフは混ぜもの(生地に具材を練りこむこと)をしてた。
僕はすぐにやめさせた。
『やめろ。
混ぜものなんてあとでどうにでもなるんだから。
ドーナツも、ベーグルも、なにも入ってないプレーンがおいしくなるまでやりつづけろ』
時間の9割はプレーンに費やしました。
『きれいですね、この上がけ』って取材の方にも言ってもらったけど、それは1日2日で決めちゃったようなもんで、肝心なのは生地なんですよ。
ニューヨークでも食べたし、日本でも食べたんですけど、既存のドーナツって生地自体はそれほどおいしいと思えなかったんですよ。
上がけのチョコレートなどでごまかしてるのがドーナツなんだなって、僕は思いました。
おいしい生地さえ作れれば、上がけは技術的に難しいものでもない。
ちゃんと生地を作って、ちゃんとした材料で上がけを作ればおいしくなるのはわかってたんで。
生地をやりつづけて、これならなんとかOKだろうっていうのができたのは、1週間ちょい前。
これでOKだって。
昔、バゲットを一生懸命作ったときと同じくらい、ベーグルやドーナツも一生懸命考えてやれば、当然ある程度いいものができるだろうっていうのは自分の中であったんで」
「オープンまで1週間を切ってるタイミングで、日本製粉さんが『こんな粉あるんですよ』って持ってきてくれた粉(ブリリアント)が、僕にとってはすごくいい粉で。
『これで、ベーグルやってみて』ってスタッフにやらせたんですよ。
焼けたときに、香りもぜんぜんちがうし、うちの子らでも気づくぐらい見た目がちがうし、持った感触ちがうし、断面ちがうし、食べたらぜんぜんちがうし。
それで思わず『粉ってすごい』って、フェイスブックに書いたんです。
ベーグルでここまで変わるんだったら、絶対ドーナツもいける。
翌日にドーナツを同じ粉で作ってみたら、やっぱり劇的に変わったんですよ。
それ食べてみて、『まちがいない、これで絶対いける』ってOK出したのが1週間切ったとき。
だから、そのタイミングでその粉と巡り合わせがあったのは運だと思ってる。
少なくとも今の日本代表よりは、ぼくの方が ”もってる”と思った(笑)。
なんでその粉がよかったか。
ちゃんとした職人さんにこんな説明したら怒られるかもしれないけど、僕の素人考え、主観ですよ。
その粉は白いんですよ(小麦粉の種類によってクリーム色やグレーなど若干のニュアンスがある)。
いわゆる強力粉。
タンパク量も僕たちが食パンやブリオッシュに使うものと変わらない。
だけど、ぎゅって粉を握って離したとき、すごくばらけるんですよ。
ということは、粒子が粗い。
これは、『おもしろいかもしんない』って思った。
で、スタッフに生地を仕込んでもらったら、『西山さん、これ、水もっと入ります』って。
『そんなに入るんだ、じゃ入れてみて』。
僕の感覚では、水がいっぱい入るのって、灰分が高いフランスパン用の粉(小麦の粒の、皮に近い外側まで挽いている)だった。
タンパク値が高い、こんなきれいに精製された粉(一般にタンパク質の多い粉は、麦の粒の中心の白い部分だけを挽いている)で、そんなに水が入るのはめずらしいと思って。
で、やってみたら、イメージ通りの食感、ボリュームの出方。
うちの子らも『この粉すごい』って。
僕個人の印象では、ハード系向きの粉(味は強いがタンパクは少ない)と、ソフト系向きの粉(味は弱いがタンパクは多い)のいいとこどりの粉に思える。
ベーグルにしても、きれいにあがるし、食感もいいし」
京都大丸での新店準備の視察のために、ニューヨークのブルックリンを西山さんと訪れたとき。
地元の有名店ベルゲンベーグルで西山さんが口にした感想とは、
「NYのベーグルって意外と硬くない」だった。
そしてこうも言った。
「日本でベーグルって硬いイメージありますよね。
だけど、これを再現するのは、むずかしいことではない」
たしかに、ベーグルに対して抱いていた硬いというイメージは、NYで打ち砕かれた。
皮はがっしりとした噛みごたえがあるものの、それを噛み破れば、むしろぐにゃぐにゃにすら感じられるほど中身がやわらかかったのは、予想外だった。
中からは北米産小麦ならではの豊かな香り、麦の外側の雑味まで放たれる。
北米産の小麦粉をおいしく食べるために長年かかって培われた方法がベーグルなのだ。
アメリカで挽かれた小麦は、日本のものに比べて粒子が粗いといわれる。
粗いゆえに口の中で溶けて、濃厚に香りを発する。
西山オーナーが締切ぎりぎりで手にした粉は、アメリカの粉と同じ特長をもっていたのではないか。
ル・プチメックのベーグルを食べてみる。
歯を使うのは香ばしい皮を噛み破るときだけでいい。
中身は勝手に溶けてくれる。
現れた麦のジュースは具材に対するソースになっている。
西山オーナーのサンドイッチ創作欲を刺激する新たな生地となったにちがいない。
塩漬け豚とランティーユ。
NYベーグルにフレンチの具材がサンドされるという夢。
ランティーユ(レンズ豆)について説明するならば、甘くない粒餡といえばいいのか。
口づけの瞬間、皮と香ばしさとともに立ち上がる、ランティーユの野趣。
齧りつくなり、ここに豚の脂がとろけ滲みわたっていく。
噛みしめるごとに現れる麦の興奮。
噛むことのよろこびと味わうことのよろこびはここで完全にクロスしていた。
「ぜひドーナツを食べてみてください」
よほどの自信作らしく、西山さんはそう言ってすすめる。
ドーナツを食べるときに必ず感じてきたストレスや野蛮さ。
そういうものだ、という固定観念をル・プチメックのドーナツは崩しきった。
大福のように、びよーんと糸を引き、そしてぷちんと切れる。
油の重さは感じさせない。
噛んだところからどんどん溶けて白い麦の香りを発散する。
カラフルなスプレッドで色づけされていても、かならずこの麦の味わいに戻ってくる。
その白さは甘さをニュートラルにし、もう一口を欲させる。
バナナドーナツ。
バナナの熟れた香りを嗅ぎながら、バナナチップスをこりこり噛めば、バナナのフォンダン(クリーム状のアイシング)と相まって、さらに香りが口の中にじんじん広がっていく。
濃厚に広がっていくけれど、ナチュラルなものだけに透明感があって、生地の味わいも透かして映し出す。
生地はバナナに負けず白い甘さを、ベーグル以上にジュースのように滲みださせる。
「このバナナのフォンダン、試作のときに、
『香るけど味がしないからだめ。もっとバナナの味強くして』って言いました。
『ドライのバナナを粉砕して、まぶしてみて』と。
バナナのフォンダンつけて、ドライのバナナもつけてるんですよ。
だから、バナナバナナ。
ふわもちでしょ。
売り場にはベーグルがわーっと並んでて、ドーナツがわーっと並んでて、見方によってはジャンクな、黄色とか赤とかがありますよね。
だけど、最初から決めてたのは、そこにかけるものは、業者さんから仕入れて、溶かしてつけるだけっていうのは絶対しないでおこうって。
自分たちでできるだけ加工しよう。
最初、スタッフに『ドーナツどこで買う?』『どんな味がある?』って聞いたら、いちごミルクだ、なんだかんだって、みんな同じ答えになった。
『なんでみんないっしょなの? なんでもっといい材料を使わないの? 僕はチョコレートはクーベルチュール(製菓用の脂肪分の高いチョコレート)を使って自分で作るよ』って言いました。
『それしたらおいしくなるのに、なんでみんなやんないんだろう』ってことをやっただけなんです。
カシスにフランス産のピューレを使ったり。
カシスってイメージがわきにくいのか、出にくいものではあるんですけど、おいしいのはカシスだと思います」
カシスの酸味とうっとりするような香り。
やばい、という言葉が頭の中をかすめる。
それは宿命のようにドーナツのオイリー感とぴったり合って、止まらなくなる。
マンゴーも然り。
ビニール袋を開けたとき、まるでいま南国から運ばれてきたばかりのマンゴーそのものが入っているかと錯覚するほどの印象を受ける。
ドライフルーツのクランチに同じフルーツのフォンダンを重ねるという手法。
果実の中にあった甘さも香りも爆発的に引き出し、あとは油の滲みわたらせる力を借りて、舌に焼きつけ、口も鼻もいっぱいにしてしまう。
人間の欲望をむき出しにする手段を、ル・プチメックは開発したようなのだ。
「コンセプトはアメリカを意識した店ですが、アメリカにあるものをすべてコピーするんじゃなくて、食材やそこで使われている技術はフランス。
ニューヨークに行ったとき、こう思いました。
僕らは、なんでこのサンドイッチを作ったのか、なんでこの材料をはさんだのかって説明ができる。
意図を持って作ってるから。
でも、食べた印象として、アメリカのサンドイッチはそばにあったものを、はさんだって印象を受ける。
それが、たまたま100回に1回奇跡が起きておいしいものができるのがアメリカだって。
ドーナツにしてもベーグルにしてもアメリカのものだけど、僕は意図を持って作ってるんですよ。
ジャンクな材料はだめだし、赤い色がほしかったらちゃんとしたフルーツのピューレを使う。
それをすれば、結果としておいしくないわけないでしょっていう」
一昨年のレフェクトワールの開店頃から、西山オーナーはアメリカのデザインに傾倒している。
カフェやホテルなどジャンルを問わず、かっこいい内装をネットで探してコレクションし、それをコラージュして、この店を自らデザインした。
黒いサッシが縦横に走るガラス張りの外観。
デパートにいる臨場感もありながら、雑踏からは切り離される。
ガラスに沿って設けられた木のカウンター、レジの上を走るパイプに取り付けられたライト、レンガ積みをペンキで白く塗った壁。
それらは西山オーナーが見つけたアメリカのかっこいいものである。
「アメリカがいまの流れだし、時代に合ってると思う。
店作り自体は、デパートに合わせようっていうのは考えてないです。
我を通させてもらいました。
完全に独立させてくれって。
業者さんもイメージ通り作ってくれたし」
デパート指定の業者と戦い、オーダーしたのとちがう色に塗られたサッシを塗り直させたという。
自分のイメージを実現するために、軋轢を厭わず、体を張ったのだ。
木の台の上にのったガラスの冷蔵ケース、そしてまるで水道からそのまま清水が流れ出てくるように、家具と一体となった浄水器。
これもブルックリンのカフェで見て気に入り、盛んに写真を撮っていると思ったら、店づくりに取り入れられていた。
狭い店舗であってもイートインスペースを作り、自由に飲食ができるようにし、店の雰囲気も活性化させるコンセプトは1号店以来つづくもの。
外見はアメリカ、料理はフランス。
異なる文化をハイブリッドさせ、デパ地下に驚きを現出させる。
ル・プチメックとは、このわくわく感のことなのだ。(池田浩明)
ル・プチメック大丸京都店
京都市下京区四条通高倉西入立売西町79
075-211-8111
阪急京都線烏丸駅より徒歩1分(地下道直結)
地下鉄烏丸線四条駅より徒歩2分(地下道直結)
10〜20時