パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
十勝小麦キャンプレポート1『小麦畑体験バスツアー』 
小麦農家、製粉会社、ベーカリーが手を携える1年1度のイベント
日本最大の小麦産地、北海道・十勝地方。
全国の人たちに十勝小麦で作られるパンのおいしさを知ってもらうため、あるいは十勝のパン屋のレベルアップのために「ベーカリーキャンプ」がはじまったのが6年前。
シニフィアン・シニフィエ志賀勝栄シェフ、元ジェラール・ミュロ山院丙蝓頬シェフ、ブラフベーカリー栄徳剛シェフなど、国産小麦を熟知した有名シェフを十勝へ招き、地元のパン屋、小麦農家、全国から集まったパン関係者と交流を深めてきた。
そこで培われた知見や人びとの絆が、国産小麦の普及にどれだけ貢献してきたか知れない。

北海道農業研究センターで育種という仕事を覗いてみる
6年目の今年も7月15〜17日まで、帯広市を中心としたエリアを舞台に「小麦キャンプ」と名を代えて行われた。
第一日目の行程は、育種、生産、製粉と、種から小麦粉になるまでの現場を、順を追って巡るものだ。
参加者をのせ、帯広空港、帯広駅を出発したバスは、帯広近郊の芽室町にある北海道農業研究センターへと向かった。
かってはほとんどが外国産小麦で作られていたパンだが、近年、国産小麦のパンもポピュラーな存在になった。
農業研究機関によって開発された新品種が日本の小麦粉の製パン適性を飛躍的に向上させたためだ。
北海道農業研究センター(北農研)の長澤幸一さんが、「育種」と呼ばれる仕事について教えてくれた。

別の品種同士を掛け合わせ、新しい品種を生む「交配」はどのように行われるのだろう。
小麦の花が咲く6月中旬、別の品種の雄しべと雌しべを交配させ、掛け合わせる。
「穂の半分ぐらいをざくっと切って、上は取っ払います。
穂の真ん中あたりにある花が成長が早いのでその雌しべを使います。
同じ穂にある雄しべは、受粉しないように、花粉を出す前にピンセットで取り除いてしまう。
お父さんにしたいほうは、花が咲きはじめた穂の下の方(花粉を出す準備段階のもの)を切って雄しべを取り出して、手であたためながら花粉を出して、それを雌しべにかける。
そうしてできた実を種として使います」

新しくできあがったさまざまな種から、いらないものをふるい落とし、優秀なものを選びだす。
目指すのは、たくさんの収量が安定的にとれ、タンパク量が多くてパンを作りやすい小麦。
「1シーズンに3000種の交配種子を手作業で蒔いていきます。
前年に花粉をつけて作った貴重な品種ですが、まずは見た目でばっさりふるい落とします。
病気のものはダメだし、単位面積当たりの収量も検討します。
製粉性や、歩留まり(粒のうちどれぐらいの割合を小麦粉として使えるか)。
パン、ラーメン、パスタ、お菓子を作って、ダメとなったら、どんどん切る。
パンではグルテンがきちんとできたかどうかや、内相のでき方を調べたり、実際に食べてみて味、口溶けなどの官能評価を行います。
この作業は1年がかり。
交配から10年でやっと1つの品種が完成する。
数万種からたった1つが選びだされます」

こうして誕生したものにはどんな品種があるのか。
それまで麺用ばかりだった国産小麦において、早くからパン用として生みだされたのがキタノカオリだった。
「小麦には、秋に種をまく『秋まき小麦』と、春にまく『春まき小麦』があります。
北農研では秋まき小麦に注目してきました。
秋まき小麦は生育期間が長いため多収(たくさん小麦がとれる)が見込まれるからです。
子実が多いということは、ひと粒あたりの栄養分が薄まりやすく、低タンパクなものが多い傾向があります。
その中にあって、キタノカオリはタンパクが高めでパンに使える品種です。
けれども、農業特性が不十分(収穫期に穂発芽したり、病気になりやすい)だったものですから、アメリカの超強力小麦とかけあわせて、ゆめちからが生まれた」

「(きたほなみのような)麺用の中力小麦とゆめちからでは、グルテンの質もちがっております。
グルテンのネットワークは、生地を作ったときにグルテニンというタンパク分子が互いにS-S結合しあうことで形成されます。
1分子にS-S結合できる手が2つついているグルテニンからなるものは、中力粉に多いタイプです。
強力粉はS-S結合できる手が3つついているグルテニンを一部含むものです。
したがって、より多くの結合が生まれるようになるためグルテンも強いです。
手が3つの分子がさらに多いのがゆめちからです。
ゆめちからの兄の北海259号はもっとグルテンが強い。
ゆめちからはもちもちタイプ(低アミロース)ですが、北海259号は通常アミロースなので麺にするとぷつぷつ切れる特徴があり、パスタに向いています。
ゆめちからときたほなみから生まれた「みのりのちから」という新品種は収量がすごくいい。
グルテンも北海259号と同じタイプで強く、もちもちのタイプです」

講義のあと、実験用の圃場(畑)を訪ねる。
快晴の高い空、本州とはまったく異なる、広々とした畑に胸が踊った。
広さ約1畳ごとの区画に分けられているのは、「肥料を与える時期を変えたり、種の量を変えたり、栽培条件を変え」て実験するため。
小麦はどれでも同じではなく、よく見ると品種ごとに特徴があることがわかる。

(キタノカオリ)

「キタノカオリを見てください、昔の品種よりも背が低いですよね。
品種改良を進めていくにつれ、小麦はどんどん背が低くなっています。
低いと倒れにくく、コンバインでも収穫しやすい。
桿も太くするともっと倒れにくくなる」

(北海259号)

「きたほなみは葉っぱが垂れずに上に伸びていますよね。
こういうタイプは葉が密集したところでは下の葉に光が届くので、光合成の効率がよくなり、収量が多くなると考えられております。
みのりのちからは、ひとつの根っこから枝分かれして伸びている茎が多いため穂が多くなり収量がよいです。

(ゆめちから)

「ゆめちからには野毛があります。
野毛は収穫するときにコンバインに詰まるなど、困った点もありますが、鳥から子実を防御するのに役立つ。また、光合成にも関与していると言われております。
これらの特徴が両立すると、多収量の品種になりやすいと考えております」

いろんな品種が植わっている一画もある。北海道では見られない本州、海外の品種ばかりである。
今後育種に使われる可能性がある品種を保存しているのだ。
「ここには変わり者が植わっている。
例えば、背が高く倒れやすいのは難点だけど、病気には強いとか、収量が多いとか。どっか取り柄があるものばかりです」

生命という神秘を、進歩へ結びつける。
北海道の大きな風景の中で、自然の摂理に則りながら。
何千、何万の種を生み出しては、奇跡の一品種を拾いだすという、気の遠くなる作業だった。

小麦畑を自分の目で見る感動
次に参加者はまたバスに乗り込み、実際の小麦生産農家を見学に行く。
同じ芽室町にある竹内敬太さんの畑。
ただ見ているだけではなく、実際に小麦と触れ合う。
一行は竹内さんを先頭に金色の麦が揺れる大海原へ入っていき、畑の中で話を聞いた。

「ここではキタノカオリ、キタホナミを栽培しています。
きたほなみ4ヘクタール、キタノカオリは7ヘクタール。
東京ドーム3個分の畑です。
播種されるのは秋。
トラクターで平らにした後、グレンドリルという機械で、肥料といっしょに種を蒔きます。
芽室町の種農家で生産されたキタノカオリの種を、10アール(1アールは100平方メートル)あたり、7から8キロ蒔く。
発芽のあと雪の下でひと冬を過ごす。
雪が布団となり、凍結しないようになっています。
今年は雪がなく、−20〜30℃にもなる日がつづきましたが、この畑は大丈夫でした。
近隣でも根が切れたりしてやられ、他の作物をまいた畑がある。
雪が多くても、雪腐病という病気になる。
ですから、雪が溶ける4月中旬に小麦が出てくるのですが、自分たちは出てくるまでどきどきしています。
麦を目覚めさせる、茎数確保の意味で、ここで追肥。
凍(しば)れて浮いた根をローラーで踏み固めます。
6月中旬、穂が出てくる。
花を咲かせながら出てくる。
このとき、赤カビ、青カビが生えないよう、殺菌をします」

「7月に入ると麦の色が抜けだし、ひと雨ごとに加速します。
(この日は7月15日)あと1週間か2週間すると収穫です。
その頃は天気を見ながら時には24時間体勢で動きます。
水分量25%、粒を指で強く押してみて潰れるよりちょっと硬い状態が収穫の目安です。
5、6時間でこの7ヘクタールの畑を収穫、工場で乾燥させます。
茎の部分はロールにしばられて、牛屋さんにいきます。
飼料や麦藁に使われる。
家畜が食べて、肉や牛乳になる大事な資源。
糞尿は私たちのところへ戻ってくる。
1年数ヶ月寝かされて、畑にまく。
次の農産物の化学肥料の低減、食味の向上に役立ちます」

キタノカオリだけで7ヘクタールもある畑がなぜ5、6時間で収穫できるのか。
巨大な外国製のコンバイン。
雨を嫌う小麦の収穫に高性能のコンバインは威力を発揮する。
小麦が収穫期に長雨に当たると「穂発芽」という問題が起きる。
長雨に当たった穂の中の実が発芽して、酵素活性が高くなり、製パン性に影響が出るので、パン用としては使えなくなってしまう(でんぷん分解酵素α-アミラーゼの活性が高くなり、でんぷんの粘度が低下する)。
特にキタノカオリのような雨に弱い品種の場合、1年間の労苦が一雨で水の泡となる。
小麦農家は天気予報と空模様を睨み、祈るようにこの時期を過ごす。

「昨年、キタノカオリは町内の9割がダメになりました。
長雨が降ったら見てるしかない。
収穫期はここで寝るんですけど(と言いながら建物の屋根を指差す)、雨のしたたる音が煙突にかんかん響くと、もう心配で眠れなくなる」

小麦は製粉され、パンとして焼かれ、はじめて食べることができる。
農家が作った小麦は農協などに一括して集められて、製粉会社などに渡る。
だから、小麦農家といえど、自分の作った作物が、誰かにおいしく食べられているというイメージを抱きにくい。

「自分の小麦を食べたことがなかった。
2年前、札幌のパン屋さんに作ってもらって、おいしいんだなとはじめてわかりました。
おいしい小麦が作れるんだな、じゃ作ろうよ。
ベーカリーキャンプにきたパン屋さんとしゃべってみて、そう思うようになった。
山泳シェフがキタノカオリのことを『世界で戦える小麦だよ』と。
意味がわからなくて、『?』マークでした。
だけど、やらなきゃいかん。
そう思ってキタノカオリを作っている。
キタノカオリは見た目は、ぼろぼろした実をしている。
はじめてできたとき、『俺、なんていう小麦を作っちゃったんだ』。
『これでいいんですか?』って、農協に訊きに行きました」

雨に弱くリスクのつきまとうキタノカオリだけれど、口溶けのとき発する香りは他の小麦に抜きん出て甘く、魅惑的である。
パン職人がキタノカオリをどれほど貴重なものと考えているか知ったとき、竹内さんは穂発芽の危険を冒しても作ろうと思った。
誰かの情熱を感じて、自分の情熱が動きだす。
小麦生産者とパン職人が出会う小麦キャンプが、どれほど有意義な場か、このことからもわかる。

竹内さんと話したあるパン職人はこのように言った。
「農家さんに会って、小麦畑を見て、パンを作るときの思いが変わってきそうです」
その言葉に竹内さんも応じる。
「つながりできるとまた小麦が作りたくなるんですよね」

キタノカオリや春よ恋、ホクシンといった品種ごとにある固有の風味。
前田農産の前田茂雄さんは自分の畑でとれた小麦を品種ごとに一本挽きして販売する。
品種の味、生産者ごとの味を世間に知らしめた立役者のひとりである。

「畑の小麦を1本抜いてみてください。
小麦の粒の皮は指ではなかなか剥がしにくいんですけど、噛むと中身が出てくるでしょ。
白いところが胚乳。
小麦粉になる部分です」

キタノカオリの胚乳は甘かった。
たった数ミリの麦粒からなぜこんなにきらきらとした甘さを発散しているのか不思議なほどに。
小麦の力。
それはキタノカオリから作られたパンを食べたときに感じるおいしさと同じものだった。

農場に持ち込まれた、移動式の石窯トラック。
地元産の素材で作られた、焼きたてのピッツァを、地元ベーカリーの雄であるますやパンが振る舞った。
農家から製粉会社、原料問屋、そしてパン屋。
さまざまな人の苦労を経て小麦の恵みは私たちの元へ届く。
そう思って畑で食べるピッツァは格別においしかった。(池田浩明)

十勝 comments(0) trackbacks(0)
THE CITY BAKERY(品川・広尾)
195軒目(東京の200軒を巡る冒険)

ベーカリーという言葉の意味が変わる。
THE CITY BAKERYで待っていたのはそんな体験だった。
この店にはニューヨークの風が吹いている。
THE CITY BAKERYとロゴの入ったサファイアブルーの紙コップ、木目のうつくしいテーブルとペンダントライト。
チョコクッキーは一人では食べられないほど大きく、マフィンはいかにも無造作に詰まれる。
それらが舞台装置になるせいなのか、ここでは人びとのざわめきは音楽に聞こえ、窓の外を行き交う人びとの動きもダンスに見える。

大人気のプレッツェルクロワッサン。
まず最初にオープンした大阪で火がつき、さまざまなメディアでも取り上げられた。
それを食べることは、1度目はどきどきさせる冒険であり、2度目には食べる自分が、ニューヨークという劇の登場人物になったような気分になれる。

表面をプレッツェルのように加工することで得られる、普通のクロワッサンではありえないような、皮のかりかりとその下の中身のしっとり感のコントラスト。
トッピングされたゴマと岩塩。
容赦ない塩気は舌を直撃し、ゴマの香ばしさはプレッツェル特有の香りへと導いていく。
発酵の香りは香らせながら、熟し具合でいうとどこか足りない感じがある。
それが、岩塩に触れるところから発光し、甘く輝きだす。
塩気と甘さのまだら、強く味わいを感じるところとどこか足りない感じのまだらが、逆ベクトルのエクスタシーとなる。

プレッツェルクロワッサンには、ホームメイドマシュマロを浮かべたホットチョコレートがニューヨークで定番の組み合わせなのだという。
苦くもあり、甘くもあり、ときにすっぱくも感じられるどろっとした液体はあまりに濃厚で、口全体を塞がれたようになる。
そこへ、ぷりんとしたマシュマロが、ねめっとして、しゅーんと溶けていき、チョコとは異なる2様の甘さとなりいっしょに溶けていくのだ。
プレッツェルクロワッサンをこの液体をで流しこむ。
甘さと塩気、塩気と甘さ。
溶け合わないはずの2つが溶け合ったとき、新しい味覚の体験が立ち上がり、ニューヨークへの憧れは掻き立てられる。

THE CITY BAKERYを日本で運営するのは、ベーカリー&レストラン サワムラほか川上庵などの飲食店を経営する株式会社フォンス。
ベーカリー&レストラン サワムラの統括シェフであり、THE CITY BAKERYの立ち上げにも関わった森田良太さんは、フォンスがTHE CITY BAKERYをはじめた経緯をこう語る。

「向こうのオーナー、モーリー・ルービンはTHE CITY BAKERYを日本に出したがっていました。
提携相手を探すため、東京にきて何社か見まして、いちばん気持ちが合うのがうちの会社だったらしくて。
2008年に1回日本にきて、話をしていった。
そのとき、モーリーはまだどこと組もうか迷ってる段階だったんですが、『実際にニューヨークにTHE CITY BAKERYを見に行こう』という話になった。
工房の中を見たり、オーナーと話をしたりしたのですが、最終的にはうちの会社を選んでくれました」

THE CITY BAKERYとフォンスの組み合わせは、ベストなものだったと思う。
フォンスは、高いレベルでパンを作る技術力をもち、コンセプトをソフィスティケイトされた形で表現できるだけの店づくりのセンスを持っている。
そして、若い会社であって、新しいことをはじめたいというエネルギーに満ちあふれているのだから。

「フォンスという会社のスタイルは、型にこだわらないこと。
THE CITY BAKERYも、同じようなところがありました。
モーリーが言ってたのは『アウト・オブ・センターをいつも狙ってる』。
THE CITY BAKERYの商品は、きっちりしすぎていない。
クッキ−でいえば、ホームメイド感がある。
以前、フェスティバルにクッキーを納めなければならなかったとき、大量に作る機械を導入したそうなんです。
クッキーがぜんぶ決まった形で出てくるので、ホームメイド感がなくなった。
それがわかったので、機械を使わずに手で丸めるようになった。
生地を量らずに感覚でカットする。
あとで足りなくなったら、生地を継ぎ足したり。
本当に形にこだわらない」

アウト・オブ・センター。
人がやっていることは、決して繰り返さないという強靭な意志。
それは、プレッツェルクロワッサンの型破りな製法からもうかがえる。

「モーリーはもともとテレビのプロデューサーでした。
アート関係の仕事をやめて、ヨーロッパに修行に行き、プレッツェルクロワッサンを考えて、ニューヨークに店を出した。
普通とはちがった感覚の持ち主。
プレッツェル・クロワッサンをはじめて見たときは衝撃でしたね。
見た目も食感も普通のクロワッサンとはまったくちがいますから。
自分らが教わってきたクロワッサンの考え方がまったく覆りました。
すごい発想力だなと。
ラウゲン液(劇薬である苛性ソーダを水で溶いたもの。プレッツェルの独特の食感を生む)をはけで生地に塗っているので、ばりばり感が増します。
かなり水分量の多い配合なので、びろーんと伸びちゃって、普通だとパンにならないんですが、成形のとききつめに巻くことで、プレッシャーによって生地をぎゅっと締める。
発酵もさせません。
成形したらすぐ冷凍庫に入れる。
成形してすぐだとやわらかくて、生地が暴れるんですね。
冷凍で生地を締めることで安定する。
ニューヨークのTHE CITY BAKERYにはパン屋なのにホイロ(発酵器)がありませんでした。
『発酵どれぐらいとってるの?』って訊いたんですが、意味が通じなかった。
『どのタイミングでオーブン入れるの?』って訊いてみたら、『フィーリングだよ』(笑)。
いま思うと、発酵という概念が向こうにはない。
スコーン、マフィン、ビスケットはそのまま焼くだけですし。
ベイカーズマフィンも冷凍庫から出して、やわらかくなったら、オーブンに入れる。
多少は発酵しているのかもしれないですけど、感覚で入れている。
パン職人じゃ作れない商品ですね」

テレビやアートという、手順や常識よりもアイデアを先行させる職業の出身。
パン職人というバックボーンを持たないので、教科書的なパンの知識を叩き込まれることもなかった。
もしぱりぱりのクロワッサンを作りたいのであれば、ラウゲン液を塗ってしまえばいい。
生地がゆるくて困るのであれば、凍らせてしまえばいい。
常識にとらわれない発想によって、プレッツェルクロワッサンは生まれた。
その味をニューヨークで食べるのとまったく同じにしたいと、森田さんは最大限の努力を払う。

「まったく同じレシピですが、日本ではアメリカと同じ材料がそろわない。
いちばん苦労したのが粉選びですね。
ある製粉会社からもらったサンプルを試作して改良を重ね、5種類ぐらいの粉をブレンドして粉をつくりました。
薄力、強力、全粒粉と3種類。
THE CITY BAKERYオリジナルの粉です。
1CW(北米産の小麦粉)に、その他のものを混ぜています。
アメリカでどういうものを使っているか、麦の品種は特定できたのですが、苦労したのが挽き方です。
アメリカから同じものを取り寄せても、粒子が粗かったり、細かかったり、ばらつきがあって特定できない。
日本とアメリカの製粉技術のちがいですね。
粗いと扱いにくかったり、つながりにくかったりするんですが、粉の風味が出る。
狙ってやってるわけではないが、風味が出る粉にたどりつきましたね」

アメリカ人らしいアバウトさ。
プレッツェルクロワッサンの製法でも見たように、日本人のように細かいところにこだわらないからこそ、大胆な味になる。
小麦粉もしかりで、粒の粗さゆえに、溶けたときに口の中で発せられる風味は濃厚である。
製法においても原料においてもなるべくアバウトさを消さず、日本人的な緻密さにはふらない。
アメリカへのリスペクトとして。

「どうしても日本人なので、きっちり作るところが抜けなくて。
モーリーも、グラムを量ってるの見て、『日本人だな』と言ってましたね(笑)。
チョコクッキーやマフィンも日本人にはサイズが大きい。
現地のをそのまま出すのは決めてたが、日本のサイズで出そうかなと迷ったこともありました。
でも、あの大きさこそアメリカン。
陳列の仕方でもニューヨークっぽい感じを出してます。
こんなにずらっと並べてるところも日本ではあまりないでしょうし。
自分は、向こうのものをそのまま伝えたい、という思いで、ニューヨークに修行に行った。
甘すぎる、大きすぎるんじゃないか、というところは、社長と議論がありました。
最終的には、アメリカと同じでやって、だめだったら変えようよ、ということになった。
いまはそれで受け入れられてるし、いいなと思います」

アメリカと同じサイズで本当によかったと思う。
正直に言えば、私もチョコチャンククッキーを食べきれず残した。
でも、それはおみやげになり、別の誰かをよろこばせたのである。
パンを食べることの本当の感動。
作り手の嗜好や才能を感じることもそのひとつであるけれど、もっと大きなものは、個人を超えて、歴史や風土や自然といったものを感じる瞬間にある。
異文化という、いままで知らなかった、ごつごつした感触のなにかに触れている驚き。
だからこそ、好奇心が動きだし、THE CITY BAKERYに人びとは列をなすのだろう。

「自分自身を出すのはサワムラで、いくらでもできる。
向こうの人の思いをこっちに伝えられれば、自分の仕事は成功だなと思っていました。
なるべく現地のスタッフと話して、ごはんを食べたりして、こういうこと考えて作ってるんだろうなと思い描いた。
それを日本の人たちに伝えたいな」

ブルーベリーコーンマフィン
表面は硬く乾いていながら、中身は実に湿っている。
ぼろぼろと崩れる。
そして口が渇くような感じはまったくなく、なめらかに溶けてくれる。
やさしい甘さとともに、粉の風味がぐっと押し込んでくる。
ふすまのような香りが鼻へ流れこんで、甘さと素材感が連結するのはいかにもアメリカ的。
ブルーベリーも酸味を際立たせ、ベリーの野生感を強調する。

「マフィンにはコーングリッツが混ざっています。
向こうは生地の粗いマフィンが多い。
コーングリッツを使うことで、ほろほろと崩れる食感になって、飲み込みづらいという食感にならないんですね」

メープルベーコンビスケット
このスコーンの中には男性と女性が共存する。
言い換えれば、肉への欲望と癒しという両面が。
プレッツェルクロワッサンと同じく、またも甘さと塩気が共存する。
パンケーキでも知られた、メープルとベーコンというアメリカンな組み合わせ。
マフィンと同じく、表面かりかりにして中はしっとりという黄金食感である。(池田浩明)

品川店
JR山手線・東海道線・京浜東北線・横須賀線/京浜急行線  品川駅
03-6717-0960
8:00〜22:00
不定休(アトレ品川に準じる)

広尾店
東京メトロ日比谷線 広尾駅
03-6450-4440
8:00〜22:00

200(JR山手線) comments(0) trackbacks(0)
ブレッド&タパス サワムラ広尾店(広尾)
194軒目(東京の200軒を巡る冒険)

サワムラの朝8時半。
外苑西通りに面したガラス張りのカウンターに座って、コーヒーとともにデニッシュを食べていた女性。
スーツ姿のその人は早足で店を出ると、走ってきたタクシーに乗り込んで、青山方面に向けて走り出していった。
出勤前のひととき朝食をサワムラでとる日常を彼女は過ごしているのだろう。
絵に描いたような都会の生活。
そのワンピースとしてサワムラが欠くべからざる存在になっていることを示すシーンだった。

食事とパンとを融合させるベーカリー・カフェ・レストランという戦略。
それは、広尾という土地柄と相まって成功を収めている。
なにより、森田良太シェフの作るパンは多くの人をとらえるなにかを持っている。
その「なにか」を本人に訊いてみたいと思った。

私が訪れたとき、森田さんは一般客に混じって、レストランのカウンターでパソコンに向かっていた。
若さ、たくわえた髭。
そのスタイルはこの店の自由闊達さを表している。
経営母体となっているのはフォンス。
川上庵などの飲食店を手がける、2000年に設立された若い会社であるが、グループ店舗はすでに20を数える。

「社訓は、型にはまらずということ。
多様性の容認ですね。
いろんな人、いろんなことがあるけれど、みんないいところがあるんで受け入れましょうと。
制限もなく、決まり事もなく。
本部もなく、ミーティングも各お店で行う。
社長も軽々としている。
会社という感じではなく、自由にやらせてもらってますね。
可能性のある会社だなと思います」

経営陣はノマドのように各店舗をまわって仕事をするのだという。
それならば事務所経費もかからないし、1カ所に閉じこめられるより、自由な発想も生まれるにちがいない。

「社長はまだ40歳。
大学卒業後、地元・軽井沢で友だちと協力して川上庵というそば屋をはじめました。
本店を出したのは軽井沢の一等地、ソニープラザの跡地。
ソニーにプレゼンして、計画書を出した。
よく貸してくれたなと。
いま会社がこんなに大きくなったのは、熱意があったからだと思います」

フォンスはパン屋を立ち上げようとしていて、そのシェフとなる人材として白羽の矢が立ったのが森田さんだった。
「『軽井沢のハルニレテラスで店をやりたいんだよね』と。
軽井沢で新規オープンする店の立ち上げ。
やりがいのある仕事だなと思いましたね。
もともとサワムラは軽井沢発祥のパン屋として、売り出す計画が考えられていました。
軽井沢には浅野屋さんがありましたが、それに負けないようなパン屋をやりたい」

外国人宣教師によって切り開かれ、かってはジョン・レノンも滞在していたリゾート地。
軽井沢はパンがおいしい場所だというイメージがある。
1号店を軽井沢に作ることで、それを巧みにブランドイメージに取り込み、その後東京へと進出するのは、当初からの戦略だったのだ。
それは、森田さんの情熱が生み出す商品のクオリティによって支えられている。

「観光地に行くと、必ずパン屋さんがある。
だけど、あんまりおいしいって感じたことなかった。
観光地はその日限りのお客様が多い。
そういうお客様をよろこばせたい。
またきたいと思ってもらえるように。
地方でもちゃんとしたパンがあるんだって思ってほしい」

軽井沢ホットドック
モーニング限定メニュー。
軽井沢デリカテッセンのチューリンガーをはさむ。
ぷりっとして、きちんと肉汁が垂れ、濃厚にしてくどさがない。
このホットドッグにはパンとソーセージとのあいだに黄金比があると思う。
北海道産キタノカオリに、バター、種子島産砂糖でコクを出したドッグパンは、ほんの少しの甘さによって肉と調和する。
少し噛みしめられるほどに硬く、同時にやわらかいという、食感のバランス。
肉味で口の中がいっぱいになったあと、麦の香ばしさが追いかけてくるところにもまたバランスが存在している。

沢村カレーパン
トマトなどの野菜の酸味とフルーティな香りが口の中で渦を巻き、それからじわりスパイスがやってくる。
それはじょじょに強さを増し、とともにゆっくりと複雑さの輪郭をはっきりとさせながら、ぴりぴりの範囲を広げ、ついに食道まで熱くさせてしまう。
さわやかなコクとスパイスのすーすー感は残って、口の中を心地いい状態で満たす。
カレーのサポートにまわる生地。
シンプルな味わいの中に、甘さをほんの少し入れリーンすぎることを避ける。
歯切れよく、口溶けのスムーズさもありながら、もちもちと麦の香りもあり、とポジショニングは巧みである。

シェフたちに大胆に責任を与え、職人の創作意欲にまかせることが、商品のクオリティと自由で楽しい空気を生む。
「ほぼ自由にやらせてもらってるんで。
いろんな粉を取り寄せて、試作しますし。
(経営陣からの)指示はほとんどないです」

その経営方針は、店にいるだけでも感じられた。
「ブレッド&タパス」というコンセプトの下、レストランでは焼きたてのパンと料理という組み合わせを楽しむことができる。
オープンキッチンでは、その日入ってきた旬の魚をさばく光景が見られた。
自由があるからやる気は生まれる。

「お客様をよろこばせたい。
どういうものを求めているのか。
レストランの料理に合うパンはどういうものか。
自分でイメージして、その中で粉を選んだり。
イメージする味、食感を出すにはどういう材料を選んで作ったらいいのか、考えながら作っています」

2階のレストランへと上がる螺旋階段の壁に置かれた、さまざまな小麦の粉袋。
それは森田シェフの試行錯誤の跡を物語っている。
とともに、キャリアを積む中で出会った2人の巨匠の影響を感じさせる。
ひとりはブラフベーカリーの栄徳剛シェフ。
「横浜にあるローズホテルで勤めていたとき、栄徳さんがシェフをしておられた」
栄徳さんはブーランジェリー ラ・テール、そしてブラフベーカリーでさまざまな国産小麦を使い尽くし、極めつつある。
螺旋階段の光景は、私の脳裏で、ブラフベーカリーのバックヤードに積まれていた、粉袋の種類の多さにそのままつながった。

もうひとりは、シニフィアン・シニフィエの志賀勝栄シェフ。
「ユーハイムの工場で、2年弱働いていました。
当時は、志賀さんが工場にくるのは月に2,3回で、直接教えてもらうということはありませんでしたが、いまのほうがよく会っていると思いますね。
話をしたり、ごはんを食べに行ったり。
長時間発酵の製法がいちばん粉のうまさを引き立たせると思っています。
最初は見よう見まね。
志賀さんのレシピを持ってる人から教えてもらったり。
でも、なかなか安定しなかった。
自分なりの作り方も加えていまに至っています。
あの製法(冷蔵長時間発酵)はすごい。
イースト(パン酵母)量を抑えて、研究して。
よく編み出したなと感心しますね」

バゲットBIO
皮には、発酵バターのような甘い香、加えて檜のような香り。
中身からはこっくりとした穀物香、白さの中からミネラル感が、印画紙に画像が感光していくようにすーっと浮かびあがる。
皮は厚く、甘さも分厚く、食感はかりかりとクリスピー。
一方、中身はやわらかでしゅわっとすぐ溶ける。
通常タイプのバゲットも充分なクオリティを持っているが、これはえぐみのなさ、上品さにおいて、さらに上をいく。
フランス産のオーガニック小麦の力である。

バゲットにある濃厚な色彩。
それは小麦のでんぷんが長時間発酵によって充分に糖化されたことによるものだ。
「糖分が残れば残るほど色は黒くなります。
長時間発酵の醍醐味です」
その甘さは食べずとも、鼻を近づけただけで感じられるほど濃い。
大事なのは、それが飽きないことだ。
コントレックスを使用して硬度をフランスの水に近づけるていて、さらにミネラルを感じさせていることも、そこに寄与しているのではないか。

多種多様な製法を自在に操る志賀勝栄シェフの引き出しの中から、森田さんが特に着目したのは「老麺」だった。
パン酵母を直接入れるのではなく、生地を元種にして、そこに粉と水を加えて仕込む。
老麺、すなわち「古い生地」。
前日の生地を取っておいてパンを作ることは、人類が古くから行ってきたプリミティブなやり方であるが、志賀シェフはそこに新たな光を当てた。
パン酵母の量を極限まで抑える長時間発酵に、「老麺」は向いていたのだ。

「最初は少量のイーストでやっていたが、よくぶれていました。
そこでなにかないかなと。
老麺法は、いま作ってるパンに合っている。
少量のイースト替わりになりますからね。
直接イーストを入れるより、老麺はふくらみ方もちがいます。
食感としては、しっとり、ちょっとどっしり。
食事のパンに向いているな。
その作り方でいまほとんどの種類のパンを作っています。
老麺をベースに他の種を加えることもありますね。
レーズン種でフレーバーを与えたり、ルヴァン種で酸味を加えたり。
一般的には、老麺として使用するのは、フランスパンの余り生地です。
日持ちさせたり、しっとりさせるために使う。
うちは粉から仕込んで各パンに配合している。
老麺を重視してパン作りしています。
そこがぶれちゃうと、いろいろぶれが出る。
余り生地ですと、分割しているあいだに発酵したり、ダメージがある。
それを翌日まで持ち越すと、酸味が出たり。
ちゃんとするにはひとつの生地として仕込んだほうがいい」

前日の生地を使うのではなく、わざわざそのために一から生地を作る。
手間のかかることを行うのは、もちろん味のためだ。
日本料理店ならばダシを引く。
フレンチならフォンドヴォー、中華料理店なら鶏スープの役割。
あらゆるメニューにそれは添加され、味を決定する。
その心臓部といえるパーツこそ丁寧に作るのが、森田流である。
そこで味を決めるから、さまざまなパンのクオリティを保てる。
サワムラのバラエティ豊かなパンと店舗展開を支えるのはこの製法なのである。(池田浩明)

東京メトロ日比谷線 広尾駅
03-5421-8686
7:00〜22:00


200(東京メトロ日比谷線) comments(1) trackbacks(0)
幸せのパン
埼玉県幸手市にあるパン屋さん「cimai」。


サッカロマイセスセレシビエにも入っているお店です。

自分が初めて行ったのは「パンの漫画」に収録されている
「不思議なパン屋を巡る小旅行」の取材時。


桜が咲いている季節の昼下がり。
なんだかすごく居心地の良い店内の空気感、びっくりするほどおいしいパン。

大ファンになりました。

それ以来、国道4号バイパスを10分ほど外れるだけで辿り着けるということもあり
栃木の実家に帰る途中にたびたび寄るようになりました。


実家にお土産に持って行くのに最高なパンもたくさんあるので、
ここぞとばかりに、食べてみたいパンをどっさり買い込みます。
cimaiのパンを車に載せると、車の中が良い匂いになっちゃって大変お腹が空くので要注意です。


実家に帰った翌日の朝は、cimaiのパンが食卓を席巻します。


もちろん、お土産用のパンだけじゃありません。
買い食いパンも食べまくりです。
cimaiに寄ったら必ず食べるあんバター。


注文を受けてから中にあんことバターをはさんでくれます。


これがまた、春に食べても、夏に食べても(あんこが冷えていて美味しかった!)、
冬に食べても、絶品です。


噛むとクシュッとなるふわふわさとモチモチさが見事に同居しているコッペパンが土台となり、
甘さ控え目のおいしいあんこ、絶妙に温度管理されている板状のバターが
見事なマリアージュを奏でます。


このとっても美味しいコッペパン。
1歳半の娘に与えてみたら…。


鷲掴み!

のち……


丸かじり!!

なぜか真ん中にかじりつきました。

娘よ、なぜ真ん中に……食べづらいのに……。

大層気に入ったようで、ほとんど丸々一個食べ切っていました。


マフィンも食パンもコッペパンも美味しいですが、スコーンも最高です。
シンプルで素朴な味わいですが、ほんと〜に美味しい。
深い味わいというのでしょうか。
食感も最高で、幾重にも層になっている生地が口の中で
ホロホロと崩れていきます。

キッシュがある時間に運良くcimaiに行けたら、
キッシュもおすすめです。


この写真で美味しいだろうな…と想像した方、
その想像の5割増ぐらいで美味しいと思います。
いや、本当に。

野菜の汁がジューシーでジュワジュワ〜とくるんです。


店内で食べられるサンドイッチも食べてみました。


カリカリに焼いたカンパーニュに新鮮な野菜とチーズをはさんだシンプルなサンドイッチ。
カンパーニュの穴を埋めるように塗込められていたじゃがいものペーストが
全体をまとめあげまます。
身体の隅々まで栄養が行き渡るような気がする、しみじみ美味しいサンドイッチです。

cimaiの店内にはいっつもパンや酵母のとっても良い匂いと笑顔があふれています。
お店の人たちはいっつもニコニコしていますし。

池田さんも堀さんも、cimaiを語るときに「幸せ」という言葉を使いましたが、
家族を連れて実家に遊びに帰る途中に寄るというのも相まって、
cimaiのパンは自分の中でも「幸せのパン」として記憶されているのでした。

【ナカムラ】
JUGEMテーマ:美味しいパン
ナカムラ comments(0) trackbacks(0)
希望のりんご 真夏の陸前高田ツアー
7月26、27日、仮設住宅でのバーベキューを行うため、私たちは陸前高田を訪れた。
5月以来、2ヶ月ぶりの訪問だったが、大きな変化が生まれていた。
津波で壊滅した陸前高田の中心市街地・高田町。
地震によって地盤沈下したこの場所を10mかさあげするための、総延長3キロのベルトコンベアが全貌を現していた。
高台移転のため切り崩される近くの山で発生する土砂を、トラックより効率的に運ぶことができる。

なにもない更地を縦横に行き交う銀色のコンベアの列。
震災前の土地の記憶も、津波の悲しみも、大量の土砂の下に埋もれてしまうとセンチメンタルな気持ちにもなった。
けれど、陸前高田市がこのコンベアへの投資を決断したことで、復興はハイスピードで前に進むことになった。

震災の風化が叫ばれる中にあって、私たちと行動をともにしてくれる人たちはますます多くなっている。
建築家の薩田英男と東京理科大学の学生たちが行う、陸前高田に自生する北限の竹を使って子供たちと遊ぶプロジェクト。

流しそうめんの樋を作るために、学生たちが、希望のりんご農家・金野秀一さんが切ってきた竹の節を抜く。
私たちもこれに協力し、竹を切り、かき氷や流しそうめんを食べるための器を作った。

西荻窪でパン教室「ハッピーデリ」を主宰し、『ポリ袋で作る天然酵母パン』の著書でも知られる梶晶子さん。
ポリ袋とフライパンがあれば、オーブンも発酵器もいらず、簡単にパンができる。
上記の本の着想が生まれた日が、2011年3月11日だったという縁。
それもあり、梶さんは三陸各地で「ポリパン教室」を行ってきた。
道具のいらないポリパンなら、被災地の人たちに、パンを作る楽しみを与えられる。
ひいてはそれが心の平安や希望を与えることになると。

パンで復興を成し遂げたい。
私たちと思いを同じくする梶さんとのコラボが実現。
米崎町を元気にするお母さんたちの会「アップルガールズ」にポリパンを伝授した。
米崎町のりんごジュースを発酵させ、酵母にする。
具材もブルーベリーなど地元の産物を使う。

空気を入れてふくらませたポリ袋に、小麦粉やその他の材料を入れる。
あとは生地になるまでひたすら振るその行為が、ダンスみたいに楽しい。
「私みたく荒っぽいほうが上手に生地になるよ。○ちゃんは上品すぎるんでないの?(笑)」
と、お母さんたちは冗談を言いながら盛り上がる。
梶さんの情熱とアップルガールズの明るさまでミキシングされて、調理場からエネルギーがほとばしっていた。

大ベテランのベーカリーコンサルタント加藤晃さんがかって仮設住宅で披露した大福は、あまりのやわらかさで語りぐさになっている。
今回はアップルガールズからのリクエストで大福の作り方を教えることになった。
和菓子の経験もある加藤さんが作るあんこは、和菓子屋さん、あんこ屋さんレベルのクオリティである。

並行して行われたバーベキューの開催場所は2カ所。
米崎小学校仮設住宅では、恒例となり、住民の方々が楽しみにしている巻きパンを、Zopfの高梨真さん、斎藤弘臣さんが作ってくれた。

お年寄りも子供たちも楽しそうに棒をまわしてパンをこんがりと焼く姿はいつも通り。
今回は米崎小学校の学年行事がちょうど終わったところだった4年生たちが参加し、にぎやかなものとなった。

熱中症でたくさんの人が倒れるとのニュースが流れたこの日。
かき氷はなによりのものだった。
仮設住宅の子供たちがお手伝いし、かき氷機をまわしてくれる。
あまおう、とちおとめ、ゆずなど、国産フルーツを使ったシロップは、ジャムメーカーであるタカ食品工業にご提供をいただいたもの。
あまおうと練乳をかけたイチゴミルクは子供たちに大人気だった。

八戸工業大学第二高等学校の生徒さんと出会う。
米崎小学校仮設住宅にイラストをたずさえてやってきた。

ただの展覧会ではなく、気に入ったものがあれば、持って帰ることができる。
自分のできることをしようという高校生の気持ち。
炎天下の中、がんばっている彼らに、かき氷やパンを食べてもらった。

米崎町の前に広がる広田湾は海の幸の宝庫である。
とれたばかりの、ぷりぷりで甘いホタテがバーベキューの火で焼かれる。

オレンジ色にてらてら光るホヤがその場で切り分けられ、振る舞われる。
見た目がややグロテスクなせいで食べず嫌いの人も多いこの海産物のイメージは、米崎町で食べると一変するだろう。
新鮮なホヤはなんの臭みもなく、「海のパイナップル」といわれる通り、甘さはフルーティ。
みんなにこの味を食べさせてあげたい。

訪れるたびバーベキューの参加者はじょじょに減っている。
自分の家を建て、仮設住宅を出る人が増えているからで、それ自体はよろこぶべきことだ。
米崎小学校仮設住宅の自治会長・佐藤一男さんは、被災地の現状をこのように教えてくれた。
住宅建設の需要に、作る人の数が追いついていない。
たとえ、三陸地域以外の業者に施行を頼んだところで、事情は変わらない。
上下水道は市の指定業者だけが工事をできる。
そのために、柱を立てたはいいが、水道工事が進まずに、床を作ることができず、何ヶ月も雨ざらしになってしまう人もいるのだと。
建設費用もかさむ。
復興の動きが広がれば広がるほど、復興はむしろ遅れるというジレンマに、被災地は陥っている。

りんごがなる丘の上に立つ和野会館では、大阪のパン屋グロワールの一楽千賀さんがフルーツポンチを作ってくれた。
アップルガールズたちとすいかをくりぬき、皮を容器にして、いろんなフルーツを入れ、最後に米崎町の特産品、神田葡萄園のアップルサイダーを注ぐ。
30℃近くにまで気温が上がった暑い日にぴったりの涼やかなおいしさだった。

ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフと、リリエンベルグの横溝春雄シェフ。
洋菓子界の巨匠である2人のコラボ。
摘果(間引く作業)で出た青りんごをバーベキューの火にかけ、焼きりんごを作る。
廃棄されるしかない未熟のりんごをおいしく食べる工夫。
折しも、アップルガールズのリーダーで、私たちの活動を変わらずサポートしてくれている菊池清子さんの誕生日。
中村さんは、立派なバースデーケーキを作った。
わざわざ東京で焼いたスポンジを陸前高田へ持ち込み、ホイップクリームも現場で泡立てる。
だからフレッシュなクリームが口の中で溶けていく感じがすばらしくピュアなのだった。
菊池さんは突然のサプライズに目を潤ませた。

ケーキの中に入れたりんごのコンポート、また先述の摘果りんごは、陸前高田で復興活動を行う団体SAVE TAKATAにご用意いただいたもの。
りんごをシンボルとして陸前高田を盛り上げたいという同じ志を持つSAVE TAKATAと私たち「希望のりんご」は、協力しあって目標を成し遂げたいと思っている。

陸前高田が新しく町を作り直していくにあたっての大きな方向性として、戸羽太市長は「ノーマライゼーションという言葉のいらない共生社会」を掲げている。
人口減社会を迎え、過疎がますます深刻になりつつある陸前高田を個性で光らせるためのアイデア。
なにか私たちも協力できないだろうか。

陸前高田市役所の山田壮史さん、佐々木敦美さんを招いて、震災直後より陸前高田での活動にご同行いただいているNGBC(障害者の施設でのパン作りを支援する団体)のみなさんと話し合いを行った。
パラリンピックで15個の金メダルを獲得した成田真由美さんからは、「ゼロからの挑戦ではない、マイナスから挑戦するからもっと大きな力が発揮できる」と、自身の体験に即しての発言があった。
ただ福祉としてパンを作るだけでなく、売れるようにもっていくことで、障害者の経済的な自立に貢献してきたNGBC。
そのノウハウを陸前高田で役立てることのお手伝いもしていきたいと思っている。

翌日、米崎町ホタテ養殖組合さんのご好意で、漁船に乗せていただくことになった。
第八十八丸又丸の船長は金野広悦さん。
いっしょに乗り込んだのは、佐々木正悦さん。
家も船も津波によって流された金野さんが、3年余りを経て、やっと復興させた船だ。

昨年11月、私たちが紐を付ける作業(耳釣り)を手伝ったホタテのところへ連れていってくれた。
海中から紐を引き上げ、1年でこれぐらい大きくなるんだよと教えてくれる。
7、8センチぐらいだったと記憶しているが、いまや11、2センチとぐんと大きくなって、成長を感じることができた。

船上で、とったばかりのホタテの口を開く。
海水で洗っただけの、まだ動いているホタテを食べさせてくれる。
肉厚な貝柱の甘みが海水の塩味で引き立って、参加者からは『人生でいちばんおいしかった』という言葉も出た。

丸又丸の名は、父である又三さんから取った。
そこには金野広悦さんのこんな思いが込められている。

「震災の日は、午後から漁に行く予定でした。
ところが、2ヶ月前に生まれたばかりの孫の子守りを娘に頼まれて、自宅に残りました。
その日に限って、海に行こうという気になれなかったんです。
1時間後、地震がありました。
親父の口癖は、『震動の大きさは関係なく、揺れが長いと津波がくるよ』。
とてつもなく大きな揺れが、長くつづいたので、絶対に津波がくるって直感して、海抜35mのうちの畑に避難した。
家はなくなりましたが、おやじのおかげ、孫のおかげで命をもらえました。
88まで現役で漁師をしていた親父にあやかって、私たちに恵みを与えてくれる、この海を守りたい」

金野さんがどうしても知ってもらいたいことがあるという。
それは新しい防潮堤のことだ。

「大勢の方が地震で亡くなったし、この死を無駄にしないよう、町づくりにも意見を言っています。
いま作ろうとしている防潮堤の高さは12.5mですが、大震災での津波の高さは17mでした。
もし同じ程度の津波がきたら、なんにもならない。
それに、10mを超えるような防波堤で海を隠されたところに、都会の方々が本当にきたくなるでしょうか。
そこに暮らす住民が幸せを感じるでしょうか。
震災のとき、当初の津波の予想は3m。
(当時)6mの防潮堤があったために、みんな安心してしまい、逃げるのが遅れた。
その後、予想は10mに変更されましたが、それから逃げても遅かった。
立派な堤防があることで、逆に逃げない人がいっぱい出てくる。
生活する場所は高台に作り、地震がくれば逃げる。
そういう形が必要だと思います。
人の命を守るのはハードではなくソフト。
大事なのは、逃げるしかないと伝えていくことなんです」

陸前高田で、命からがら逃げた人たちから何度も聞いたことがある。
海が見えたから逃げられたと。
ずっと海と共生してきたこの町に、海と人間とを区切るものが必要なのかどうか。
海の見える風景は、観光資源としてもこの町の宝物なのだから。

金野秀一さんのりんご畑へ向かった。
5月にりんごの花を見てから2ヶ月余り。
りんごの実はすでに姫りんごほどの大きさに成長していた。
夏を通じて少しずつ大きく、色づいていき、ジョナゴールドの場合、10月20日ごろ収穫を迎える。
次はその頃に陸前高田をお邪魔し、自分の手で実を摘み取ってみたい。

りんごのない季節。
なにかを食べられるとは思っていなかったところに、金野さんが桃を出してくれた。
たっぷりの水分がみずみずしく口の中を潤し、あふれる香りもうつくしい。
それはホタテと同じく、私たちの本能をよろこばせるようなものだった。
それを生み出すのは陸前高田の自然である。
そこに寄り添って生き、守り、次代に伝えようとする人たちを、私たちは「希望のりんご」の活動を通じて、サポートしていきたいと思う。(池田浩明)

希望のりんご

ご協力いただいた方々・団体

大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
金野直売センター
グロワール
薩田建築スタジオ
一般社団法人SAVE TAKATA
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
タカ食品工業株式会社
Zopf(ツォップ)
日本製粉株式会社
ハッピーデリ
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
米谷易寿子(ワーク小田工房)
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
リリエンベルグ
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。

写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)
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