パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
2冊の本、2人のパン職人 志賀勝栄著『パンの世界』
シニフィアン・シニフィエの志賀勝栄シェフも職人の中の職人にちがいないが、そのありようは松崎さんと対称的である。
ビオブロートのパンが伝統の中に回帰していくように見えるのに対し、志賀さんは『パンの世界』の中でこう書く。

「人間の歴史の中で誰も味わったことのない風味、誰も経験したことのない食感を目指しているわけです」

サブタイトルにある「基本から最前線まで」を語るのに志賀さんはうってつけである。
志賀さんほどにいつも最前線に立ちつづけ、遠くまで歩みを進めたパン職人は現代にほとんどいないのだから。

私はある期待をしながら本を開いた。
志賀さんに話を聞いているときに感じるわくわくどきどき感を、ページからも感じられたらと。
志賀さんのパンの現場ではいつも新しいことが起こっている。
パンの可能性は新たに開かれ、大げさかもしれないけれど、それは人類の未来さえ切り開くのではないかと実感する。
言葉を換えれば、知的好奇心が心の中で飛び跳ねて仕方ないのだ。

第2章「日本のパンの可能性」では自らの歩みを振り返る。
半生を振り返ることが即、日本におけるパンの可能性の探求の記録とイコールになってしまうところが、志賀さんのすごさだ。
たとえば、いまや当たり前の技術となったが、「発明」当時は驚異をもって迎えられた低温長時間発酵バゲット。
(実はドンクのシモン・パスクロウさんに教えてもらった、フランスの戦前のパンのレシピが元になっていることが書かれているのも興味深い。)
それは日本のパンのレベルを格段にアップさせるとともに、寝ている間に発酵が進められるために、多くのパン職人に睡眠時間を与えた。
発酵時間を変化させるだけで、おいしさという付加価値が付け加えられ、作業工程さえ省略される。
この気づきは志賀さんの方向性を決定づけた。
「発酵のもつ新たな可能性に目覚めたのはこのときからです。私の原点だと思います」

第3章「小麦粉を考える」。
国産小麦の時代を迎えて、ますます必要となる小麦についての理解にうってつけの手引きである。
原産地や、グルテン・灰分(ミネラル)のことなど、基本中の基本。
わかるようでわかりにくい、国産小麦、北米産小麦、ヨーロッパ産小麦のちがいについては、端的にこう書かれる。

「日本の小麦はいまだに黄色っぽい。土壌にカロチノイドが多いのか、キタノカオリなんて黄色と表現していい色をしています。そして甘い。土壌が石灰質のヨーロッパの小麦粉はグレーがかっていて、味はシャープです。アメリカの小麦粉は白くさっぱりしている。灰分が高いほうが、味の印象はストレートに出てきて、その分ヨーロッパの小麦は主張があるのですが、アメリカの小麦にはそれがない」

北海道・十勝でのパンのレベルアップに注力した人だけに、追肥の問題や穂発芽など、小麦と農業の関係にまで踏み込んでいる。

発想のジャンプ。
志賀さんのわくわく感を言い表すならそんな言葉になるだろうか。
それがもっとも感じられるのは最終章「パンを作る」。
パン入門書であるから、ミキシングやベンチタイムといった基本が解説される。
ところが、「私の場合は」という段になると、アクロバティックな技が繰り出されることとなる。
「幅の狭い塀の上を歩いていて、1ミリ踏み外しただけで下に落ちてしまうような世界」
と表現する、製法のぎりぎりを突くパン。
工程でのさまざまな工夫がパズルのように複雑に組み合わせられることによってそれは生まれてくる。

たとえば、志賀シェフのスペシャリテ「バゲット・プラタヌ」がミキシング4分、17℃で18時間発酵させるのはなぜなのか。
レシピ本であれば、数字だけで終わってしまうところを、その根拠まで記してある。
深い考察に満ちて。

「バゲット・プラタヌの小麦粉は、フランス産のオーガニックとカナダ産小麦の2種類のブレンドです。
オーガニックは残留酵素が多く、長時間こねると、酵素がどんどん生地の中へ出ていく。酵素がたっぷりあれば、発酵には役立つはずです。しかし、タンパク質やデンプンが分解されすぎてドロドロになると。成形もできない。(中略)長時間発酵で旨味を増したいと考えるなら、こね時間を最低限に抑えるしかありません」

「2日前に作った生地を置いておく場所すらないので、作業は24時間で終わらせる必要がある。(中略)
一次発酵は18時間より長くできない。その条件下でたどりついた温度が、バゲット・プラタヌなら17度なのです。
 温度を15度に下げると、18時間の発酵で同じ旨味を出すことはできません。18時間で発酵させるには、酵母の投入量を増やすしかなくなる。しかし、酵母を増やすと、それだけ糖分が消費される。アミノ酸、核酸、有機酸と並んで、糖分も旨味のひとつになるからそれは避けたい。(中略)
 糖の消費を最低限に抑えたうえで、きちんと発酵させなければいけない。パンの骨格になるグルテンも、ギリギリつなげておかないといけない。そうした条件をひとつずつクリアしていった落としどころが、バゲット・プラタヌの場合は『17度で18時間』でした。」

「17度での発酵だと、ときに酵素が大暴れする」とも書かれる。
温度を下げれば、発酵は容易になるが、狙った旨味は出ない。
さまざまなファクターがせめぎあう、ガラス細工のバランスの上に、志賀勝栄シェフのパンはある。

志賀さんが自分の本を読んでほしいと思っているのは、実は若いパン職人であると前書きに書かれる。
既存のレシピをただ踏襲するのではなく、自分の頭で考えたオリジナルのパンを焼くために、理論の深い理解は必須だ。
それを助けるのに、これほどの好著はない。(池田浩明)


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2冊の本、2人のパン職人 松崎太著『ベッカライ・ビオブロートのパン』
『パンの世界 基本から最前線まで』(志賀勝栄著、講談社選書メチエ)
『ベッカライ・ビオブロートのパン』(松崎太著、柴田書店)

2ヶ月あまりのうちに出された2冊の本を机の上において、私は満ち足りた気分でいる。
大好きなパン職人2人が立て続けに本を出したのだ。
偶然ではあるが、この2冊はよく似ている。
口絵、及び巻中のカラーページをのぞいて、写真がなく、字ばかり。
そして、読者として想定されているのが、同業者だけでなく、パンに多少なりとも関心のある一般読者なのである。
パン職人が出す本といえば、たいていはレシピ集であり、そこにあるのはカラー写真とレシピが主な内容である。
この2冊はそうではない。

ベッカライ・ビオブロートの松崎太さんは以前話していた。
ドイツでマイスターの学校に通っていた頃、古書店を探し歩いて買った昔の本を読んで勉強した。
それは字ばかりの本で写真はなかった。
ひるがえって、日本の本はなぜ写真が多いのだろうと。
松崎さんは字ばかりの本を書いた。
本書の前半では自らの半生を追っていて、松崎さんのパンを知るためにどうしても必要なのである。

上記したような写真ばかりのパンの本には、たくさんのパンのレシピが提示されていて、それらはすっかり完成した状態にある。
松崎さんの本には、「フォルコンブロート(全粒粉のパン)」と、その派生形である「ラントブロート(サワー種を使った大型パン)」の2種のレシピしかのっていない。
そして、そこに至るまでの失敗や、成功の元となる着想を得た瞬間について書かれている。
こんな具合に。

「このときに先生が、『28℃を超えると発酵過多で種がダメになってしまうから絶対に超えないように!」と言った。(中略)そこで他の生徒が28℃になるように材料の温度を測って、水の適温を計算するなか、僕は30℃になるように計算した。先生にはもちろん内緒で。
 ところができあがった種はなんと32℃近くとなってしまった。(中略)
 翌朝、先生が一人ひとりの種をチェックし始め、僕は、内心ドキドキしていた。さすがにまずかったかなぁと思った。
 僕の番になった。先生が種の膨らみを見て、香りをかいで、こう言った。
『Sehr Gut!(ゼアグート、とてもよい!)』」

そのあとでラントブロートのレシピを見ると、種を起こすときの温度は32℃になっているのだ。
もうひとつ大好きな箇所がある。
松崎さんが敬愛する師匠、小麦畑に囲まれたオーガニックのパン屋を営むユルゲン・ツイッペルについて書いているところだ。
ひとつ説明しておくと、松崎さんは毎日パンを焼き、ランニングし、読書することを日課としている。

「ユルゲンは丸めの段階で、一瞬、てのひらを生地の下に滑り込ませるようにして、見事に生地をとじてみせた。(中略)
 そのちょっとしたことを習得するのに、僕はかなりの時間と労力を費やした。ユルゲンの動きが頭には残っているのに、どうしても丸める動作から閉じる動作への一瞬の切り替えのタイミングがつかめなかった。
 ある日、僕は仕事を終えて、近所の湖の畔(ほとり)をいつものようにランニングしていた。(中略)
 最後のアップダウンの坂を越えて、なにげなく腕をプラプラさせたときに、突然そのタイミングをつかんだ。なぜだかわからないがそう確信した」

なにかをつかむことは一瞬にして起こる。
そして、そこに至るまでの道は途方もなく長い。
私は職人にあこがれる。
なぜかといえば、彼らは試行錯誤を繰り返しながら成長し、技術を自分のものにして仕事だからだ。
松崎さんは数少ない全粒粉のパンしか焼かない。
たったひとつかふたつの「自分のパン」を焼くために人生をささげる人がいることに私は感動する。
こつこつとパンを作り、もくもくと走り、たんたんと本を読む。
このような繰り返しの音をもつ言葉が、私にとっての松崎さんのイメージだ。
この本はライターが聞き書きしたのではなく、松崎さんが自ら書いた。
私は松崎さんの文章に、パンを作るときと同じリズム、同じ息遣いを聞く。(池田浩明)

(つづく)



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パンキャラバン

12月3日、プランタン銀座でパンまつりが開催される(〜9日まで)。

その中に登場するのが「パンキャラバン」。

パンで旅するパンキャラバンは、その日のパンを食べる。


今回が初の試みだったパンキャラバン、何とスタートは沖縄にしてしまった。

少し前のブルータスカーサのパン特集でも沖縄はパンの聖地みたいなこと書いてたよね。

実際いいパン屋さんがたくさんあるから。


沖縄の当日のパンを東京で食べるって。。。


飛行機で飛んで来るのさ!!!


かなり困難だったけど、何とか夕方5時くらいにはプランタン銀座にパンが届くように出来た。

この企画のミーティング@沖縄のときの写真がこれ。



ちゃんとミーティングもしたけど、その後はみんなが持参したパンを囲んでパン食べ食べ会♫

おいしいしたのしいし、すんごくいい一日だった。


あのミーティングから2ヶ月、何とかパンキャラバンが走れることになった。

朝から一番遠くは北のほうにある八重岳の頂上の八重岳ベーカリーにはじまって、

名護のパン・ド・カイト、パンチョリーナから車を飛ばして、

途中でさらにパンをピックアップし、10時前に那覇空港。

お昼頃の飛行機に乗り、午後羽田着。

空港でしばし足止めを食らって、その後猛ダッシュで銀座へGO。


そんなスケジュールなので、パンが届くのは夕方。

でもその日(深夜?)に焼かれたの沖縄のパンがやって来る。

いろんなパンまつりがあったけど、沖縄の当日パンがあるのは「初」でしょ。


出店は日よって変わるし、数も限定なので、出たとこ(行ったときが)勝負。

そんでもって5時までは何もないわけぢゃない。

沖縄名物オキコパンの「ゼブラパン」と「うずまきパン」の販売

(これも沖縄以外ではほとんど販売されていない/通信販売はあるけどね)もあるし、

今回のパンキャラバンのために作った沖縄パン屋さんマップもある。

これはプラウマンズランチ&ベーカリーの屋部龍馬君(写真後ろ側のヒゲと帽子のひと)が

お友達のデザイナーまさくんと作ってくれたもの。

「沖縄のおいしいパン屋さんマップがほしい」という私のわがままから生まれたこのマップは、

私の想像よりもずっとずっと素敵でクリスマスプレゼントにしようと思ってる。

200円だし(写真は100円ってなってるけど、これは間違い)。



早く12月3日にならないかな〜。

あっ、でもその日はオーヴェルニュでパンセミナー「クリスマスのパン」だ。

4時半には終わるだろうから、ギリギリ沖縄のパンにありつけるかな。

ダッシュしよっと。

みんなも当日の沖縄パンめがけて、5時にプランタン銀座へGO!!!


◎ ○ ◎ まさこぱん ◎ ○ ◎


パンの漫画

JUGEMテーマ:美味しいパン

渡邉政子さん comments(0) trackbacks(0)
新オープン! 小麦畑のあるベーカリーカフェ「ファールニエンテ」
パンが障がいのある人の社会参加に本当の意味で役立つために。
チャレンジングな試みに踏み込む施設が登場する。
横浜市泉区、横浜市営地下鉄の下飯田駅前の、巨大な三角屋根の建物。
スキー場かゴルフ場のクラブハウスのような豪華な建物がファールニエンテ。
パン屋であり、石窯を備えた本格的ピッツェリア、生パスタを売りにするイタリアンレストラン。
そしてなにより、注目すべきは、このパン屋に小麦畑があることだ。

ファールニエンテの母体となっているのは、障がい者の作業施設である共働舎。
障がいのある人のパン・菓子コンテスト『チャレンジドカップ』で日本一になったこともある、製パン分野でパイオニアといえる施設。
大きな夢に満ちた構想は、広大な土地を利用しないか、という話が不動産業者から持ち込まれたことにはじまった。
ファールニエンテの鈴木康介さんは語る。

「障がいのある人の施設を建てないかというお話があった。
敷地が広すぎるし、暮らすためだけの施設なら土地がもったいない。
そしたら、作業所のような施設がいいんじゃないか。
最初の構想は小麦畑があるということ。
それから、レストランもやってみたい。
畑は2反あり、1反は小麦、1反はレストランで使う野菜を作ろうと思っています」

広大な土地が駅前に。
ここは市街化調整区域にあたり、農地を保全することが義務づけられているため、一等地に残されていたのだ。
そもそも共働舎は、パンだけでなく、小麦作りも行っている。
神奈川県秦野市に畑を借りて、障がい者の手によって種蒔きから収穫を行い、事業所内に石臼を置いて製粉、「ぼくらの小麦」というブランド名で販売、神奈川県内のパン屋などでも使用されているのだ。

ファールニエンテには1000坪の敷地があり、店舗に隣接する畑で1tの小麦を収穫、自家製粉してその小麦粉によってパンを作る。
これから種蒔きを行い、来夏にはうつくしい実りの光景が姿を現すだろう。
パンが自然の恵みとしてあることを、消費者の目の前でわかるように展開する。
消費地と生産地が共存する横浜市泉区ならではの事業。
農業の発展のために六次化(生産・加工・販売を一手に手がける)が叫ばれる現在、北海道・十勝の麦音などにつづいて、日本でも数少ない試みとなる。
共働舎の施設長で、ファールニエンテのプロジェクトオーナー萩原達也さんはその意義を強調する。

「横浜市泉区は面積の半分を農地が占めるほど、農業が盛んです。
いま農業従事者が減って、どんどん高齢化している。
農業は大事な産業。
ファールニエンテは入り口(生産)と出口(販売)を一体につなげている。
この場所だったらできる」

ファールニエンテは夢に踏み込む。
そうした施設を、障がい者の手を借り、ゆだねながら運営していくのだから。

「現在、20人の利用者(作業施設で働く障がい者のこと)がいます(定員は40人)。
その人たちがシフトで動いて、365日営業します。
この施設では3つの事業『就労移行支援事業』『就労継続支援B型』『就労継続支援A型』を行います。
就労継続支援A型は、障がいのある人と雇用契約を結ぶ。
最低賃金をクリアする890円の時間給を支払います」(鈴木さん)

この施設が画期的な理由はここにある。
障害者自立支援法に基づいた雇用の形態は3つに分けられる。
そのうち、就労継続支援A型は、通常の事業所に雇用されるのが困難な人に対して雇用契約を結んで、最低賃金以上の給与を支払うものだ。
パン作りを行う作業施設の大部分は就労継続支援B型で、雇用契約は結ばない。
最低賃金さえ支払われず、作業所の売り上げに応じての支払いとなっている。
理想は就労継続支援A型であるけれど、雇用契約を結ぶことは、当然施設の経営をむずかしくする。
それでも、ファールニエンテは、障がいのある人に健常者と同等の社会参加を行ってほしいという理想のために、それを行うのだ。

売り場にせり出した、円形の石窯。
障がいのある人が果たしてピッツァを焼けるのか、不特定多数が訪れる環境は精神的にハードではないかと心配した。
ところがそうではなく、これも障がいのある人に社会参加を促すための舞台装置なのだ。
そのヒントを、萩原さんは横浜市青葉台のプロローグ・プレジールから得たという。パン屋に隣接するカフェスペースでピッツァやパスタを供するこの店は、休日には行列ができる人気店となっている。

「共働舎では3,4年前から、プロローグ・プレジールの山本敬三シェフに教えてもらっていて、窯ができる人もいる。
障がいのある人も十分できる仕事です。
共働舎の利用者にも40代が増えてきて、ご両親が亡くなられる人が出てきた。
障がいのある人って、親が死んじゃうと、名前を呼んでくれ る人ががくっと減るんですよ。
そうすると、社会的なつながりが減って、その人の生活の基盤が危うくなっちゃう。
こういうお店に立って、石窯でピッツァを焼いているところが見えれば、お客さんに顔と名前を覚えてもらえる。
世間の人とつながれるのは、障がいのある人にとってすごく大事なことです。
なにもできないかわいそうな人じゃない。
いろんなことができる。
そういうことを知らせる舞台として、いい場所になったと思います」

障がいがあるからといって、お店に行くことをためらったり、就きたい仕事に就けない社会であってはならない。
健常者も障がいのある人も区別なく働き、飲食や買物ができる場所が、ファールニエンテである。

強力なバックアップがある。
チャレンジドカップを主催する特定非営利活動法人NGBCは、障がいのある人のパン・お菓子作りを支援している。
大繁盛店プロローグの山本シェフをはじめ、NGBC所属の人気店・企業が、ファールニエンテを、是が非でも成功に導こうと応援している。
ブーランジェリー・ボヌールは接客の研修を受け入れている。
この店の象徴となる石窯を作った櫛澤電機はまた、主宰する「パン屋さんよろず相談室」で培ったパン屋開店支援のノウハウを、注ぎこむ。

「みっちゃん(櫛澤電機澤畠光弘社長)は、駅前、幹線道路沿いで、広い駐車場があるこの立地なら、1日100万売れる店も不可能ではないと太鼓判を押してくれています。
箕輪さん(ブーランジェリー・ボヌール社長)には接客の研修をしてもらったし、応援の人もよこしてくれている。
みんなが協力してくれないと、この店はできなかったでしょう」(萩原さん)

中心となってパンを作るのは、パン屋さんよろず相談室でたくさんのパン屋を開店に導いてきた足立総次郎さん。
このベテラン職人は、横浜市泉区産のゆめしほうを石臼で挽いた「ぼくらの小麦」を使って、どんなパンを作るのか。

「この『ぼくらの食パン』は国産小麦100%、そのうち『ぼくらの小麦』は50%入ってる。
他のパンにも少しずつ『ぼくらの小麦』が入ってるんだよ。
だけど、なんでもかんでも入ってるわけじゃなくて、フランスパン、リュスティックみたいな、歯切れを出したいパンが中心。
国産小麦はタンパク値が低いから、皮のざくっとした感じが出るでしょ。
石臼で挽いていて風味がいい小麦だから、パンの香りもよくなってくる。
(『ぼくらの食パン』を見せながら)普通、国産の全粒粉を50%使ったらこんなにふっくらならないよ。
よくできてるでしょ?(笑)」

ぼくらの食パンからは甘い香りが発せられていて、そのうち濃厚な香ばしさとなる。
口溶けに驚く。
口に入れた瞬間から中身はなし崩しになっていくのだから。
小麦が甘く、そしてうっすらとミルクの甘さ。
毎日食べられるやさしい濃度で。
そして、石臼で挽いた国産小麦らしい草っぽい香りは襲いつづけて、畑のイメージを伝えてくる。

食パンのラインナップが充実しているのはうれしい。
私が注目したのは、イタリア食パンである。
型に入れず、丸くつくる。
オリーブオイルの香りが鼻腔に抜け、舌を刺激する。
そして、小麦といっしょになってうまみとなり、唾液で溶けておいしい液体となって、舌を潤す。
それが、喉へ流れこむときの快感。
ちょっと引きがあり、香りには穀物感を残す。
でもイタリアのパンよりも、もっとふっくらしていて、ストレスはない。
食パンとイタリアのパンのいいとこどり。
朝食にも、パスタなどイタリアンにも合わせられる、この店らしいパン。

障がいのある人の手で高品質なパンを作り、ストーリーによって付加価値をつけ、きちんとした価格で売る。
たとえば、「プレミアムホワイトブレッド」は、1斤が500円を超す特別な食パン。
国産のホップから発酵種を起こし、手間と材料を惜しまず作られる。
山梨県北杜市の生産者・浅川定量さんによるホップ。
そもそも浅川さんとの関係は、NGBCと共働舎が協力し、山梨県で小麦を生産しようとしたときにはじまる。
仲立ちとなったのが、八ヶ岳「バックハウスインノ」の故・猪原義英さん。
自ら小麦を生産、自家製粉してパンを作るパイオニアである。
素材の生産とパン作りがともにあるという理想は、猪原さん亡きあとも生きているのだ。

「プレミアムホワイトブレッドは1CW(カナダ産小麦)のおいしいところをそのまま食べさせたいので、『ぼくらの小麦』は入れてない。
ふわっとさせたいのに入れちゃうと、生地が締って硬くなっちゃうから。
昔からホップ種は作ってたんだよ。
新商品を作るために努力してるんじゃなくて、いろんな人とつきあってるうちに自然にストーリーができちゃう。
猪原さんが小麦作りを習った人が浅川さん。
米もめちゃくちゃうまい。
麦もすばらしくて、粒がこんな大きくて、中身がぶちっと入っている」

人と人の共感やつながりから、素材が生まれ、パンが生まれる。
そうした水平な関係性は、パンを指導する足立さんと、パンを作る利用者(障がいのある人)とのあいだでも変わることがない。

「この店を成り立たせるために、いっぱいパンを作って、いっぱいパンを売らなきゃいけないといったって、それだけじゃ済まない。
ここは就労継続支援A型の施設だよね。
俺がパン作りをぜんぶやって、『どうだ、売れただろ』といっても、それじゃ駄目なんだよ。
ここにいる人たち(利用者)のもってるものをどれだけひっぱりだしてやれるか。
それは俺の腕にかかっている。
このデニッシュ見てよ。
仕込みして、シートバター使って3つ折して、カットして 成形と、ぜんぶやってもらってるんだからね。
(はじめたばかりの人、長期間つづけて働いている人のデニッシュを比べながら)これだけ進歩したんだよ。
こういうことしてかないと、この施設を作った意味がなくなっちゃう。
俺の思いはここにあるんだよ。
個々の利用者にどうやってスキルを教えるか。
売り上げだけあげるなら、職人がぜんぶやりゃいいじゃん。
袋入れるのだけ、利用者さんにやらせたりというのではなく、個人個人がぜんぶの仕事をできるようにならないと駄目じゃん。
そのために、おだてたりすかしたりしながら、大変なんだから(笑)」

健常者が働いて、パン屋をなりたたせる。
それだけでも簡単ではないが、ファールニエンテで足立さんがやろうとしていることは、それにとどまらない。
障がいのある人が、材料の計量から生地の仕込みまですべて行ってパンを作り、最低賃金を支払って経営を行っていく。
そのために、かってシェフをしていたパネテリア・ピグロをたたんで、共働舎の厨房に入り、1年間パン職人を育成した。

「仕込みのとき、生地を発酵させるときの温度や湿度の把握や、時間を計ったりすることはできるよ。
見極めほとんどわからないけど、繰り返しやっていけば、だんだんわかるじゃん。
生地温度の調整もどうにか自分でできるようになった。
でも、やり方覚えるけど、忘れる。
このあいだまでできてたのに、忘れちゃうわけ。
『えっ!』てなるよ(笑)。
普通は『やれてただろ!』って大きい声を出しちゃうじゃん。
こういう子たちに、やってもらうためには辛抱しなきゃいけない。
俺はいらいらしたりしないし、辛抱でもないんだけどね。
その子なりにやってればいいと思ってるから」

障がいのある人が尊重されて働き、生きていく術としてのパン作りの技術をマスターすること。
そしてなにより、消費者がパンやピッツァを食べて楽しみ、ひとときのやすらぎを得ること。
ファールニエンテとは、イタリア語で「なにもしないこと」(dolce far nientet=なにもしないことの甘美さ)を意味する。
障がいのある人が楽しく働き、お客さんが声をかけという環境。
それは、ファールニエンテな時間を過ごすのに、まさにうってつけではないか。
障がい者と健常者がるべき関係を築く実験がいまはじまろうとしている。

ファールニエンテ
横浜市営地下鉄ブルーライン下飯田駅、相鉄いずみ野線ゆめが丘駅
横浜市泉区和泉町1011-1
045-392-3225

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森の生活者【鳥取パンツアー2】
店名に惹かれて鳥取駅から目抜き通りを歩いていく。
5分ほど進んだところに橋がかかっていた。
橋の上に立つと、建物に遮られていた視界は開け、見通しのきいた風景が遠くまで眺められた。
小さな川とそれに沿って小さな緑地と小道。
いい町だ。
橋まできて、そんなふうに思えたのだった。
よく晴れた日曜日。
車の速度も道を歩く人の速度も心なしかゆっくりに感じられた。

森の生活者は、川のほとりの古いビルの2階にある。
窓に沿ってしつらえられたカウンターに座ると、袋川を見下ろすことができた。

店主・森木陽子さんは、数年ぶりに帰郷し、この風景を再発見した。
「学生の頃、ここは普通に歩いていたところです。
店をはじめるとき、いろいろ物件を探していたのですが、ここに上がって上から見たら風景が変わって見えたのが新鮮で。
ここで店をやったら楽しそう。
人がこなくても、一日中ぼーっとしていても楽しそうだし。
自分の中の鳥取って、この道のイメージ。
この景色がいちばんきれいだと思います」

店名は『森の生活』の著者ヘンリー・ソローの『孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智』にちなむ。

「お店の名前なににしようかな、と思ってたとき、あの本に出会いました。
森の生活者ってかっこいい。
響きだけで選びました。
自然っぽい漢字を一文字入れたいと思っていて。
『愉しむ』という漢字も『楽』より好きだし。
4〜5人で集まって食べるカフェではなくて、ひとりでコーヒーを飲んで帰れる店を作りたい。
実はあの本を読んだのは、お店をはじめてから。
読んでみてから、そういうことがやりたいんだなと、だんだん思うようになって。
言葉とか漢字が好きで、『生活』という漢字も好きでした。
うまく文章にはできないけど、お店で表現したい言葉をたまたま付けれたな」

『森の生活』とは、人里離れた森の中にソローが棲み、孤独な生活を送ることで、
たしかに、森の生活者でカウンターに座り、ベーグルを食べながらひとり高みからうつくしい風景を見ることは、孤独というカプセルに入り込んだような「愉しい」体験である。

この店のベーグルにすっかり心を捉えられた。
あっけないほどの軽さ。
オーブンであたためられて、表面の薄い皮だけがぱりぱりとしている。
もちもち感も重たくない。
コーヒーを読みながら、本を読みながらでもすいすい食べられる。
けれど、単なる軽いだけのベーグルとはちがって、国産小麦らしい生々しさはしっかりと感じさせてくれる。
ベーグルを喫茶店のトーストに接近させたならこんなふうになるだろう。

森の生活者を森木さんは「ベーグル喫茶」という新しい業態として構想した。
本があり、コーヒーの匂いがして、客たちが思い思いの時間をすごしているというたたずまいは、まさに喫茶店なのだった。

「喫茶店がすごく好きなんです。
気取らずに行ける。
カフェにはきちんとしたかっこうで行かなきゃいけないけど、喫茶店ならふらっと行ける。
なるべくおしゃれにならないように。
脱おしゃれが目標(笑)。
お客さんに笑われながら、BGMにラジオをかけたり」

私が見るところ食器もインテリアも十分におしゃれだが、そうでなくてはならないという力みが感じられないので、客も楽な気分でいられる。
それは本棚にも表れていた。
読んでみたくなるような本が並んでいるけれど、衒学的ではないし、かっこつけすぎでも、狙いすぎでもない。
ときどき、『妖怪クイズ百科事典』などという本が差してあるのも、書棚の前に立つときのちょっとした緊張をやわらげてくれる。

森木さんの課外活動も楽しい雰囲気を作るのに役立っている。
近所で店を営む友人たち「食堂カルン」や雑貨屋「山ニ鳥」などといっしょにジン『森鳥カルン』(写真はトットリMAP号)を作ったり、パン屋ではない人が主な出展者となるパン販売イベントを開いたり。

「いま鳥取県にはおもしろい人が集まってきている。
たみ(湯梨浜町のゲストハウス)、星粒憩食店(鳥取市のカフェ)のように移住者によるお店ができたり。
このへんにも、食堂カルン、山ニ鳥、ボルゾイレコード、アンティークグリーンなど、ちっちゃいお店がぽつぽつあって、みんなひっそりやっている。
なんにもないところでなにかをしようとしている。
自分たちが楽しみながら、どうしたら町がよくなるか。
ちっちゃいことだけど、なにかやってみようかと。
なにもないと思っていたけど、それが逆におもしろいのかもしれないと、帰ってきてから思えました。
自分が生活してるところだから。
自分のいいと思うことをやって、町の人がいいと思ってくれて、そこに人が集まってくれればいいな」

町おこしというほど大げさではない。
おもしろいことへの感性を共有できる人とコミュニケートしたいというごく個人的な活動なのだ。

ベーグルショップのオーナーには独学で学んだ人が多いけれど、森木さんは西宮市の名店でパンを作っていたバックボーンがある。
「ブーランジェヤマウチ(現リョウイチヤマウチ)で3年弱働きました。
面接のとき、オーナーさんが言っていた。
『パン屋を開店するなら7〜8年、ベーカリーカフェなら3年は働いて基礎を押さえないと開けないよ』。
職人めっちゃ厳しいと思いながら(笑)。
パン好きなんですけど、基礎もわかってるかどうかわからないぐらい。
食パンもハード系もやってたら、ぜんぶ中途半端になるかな。
それなら、1個の生地にしよう。
この辺にベーグル売ってる店がなかったんで、ベーグルにしよう」

一般的にいって、ベーグル専門店のベーグルと、パン屋のベーグルは異なっているように思う。
後者は前者よりきちんと発酵がとられ、ふわふわして、熟成感もきちんとある。
パン屋勤めの経験があり、現在ベーグル専門店店主である森木さんのベーグルはどちらでもなく、両者の中間でいいとこどりのような感じがある。

「パン屋さんは、他のパンのタイミングもありますが、ベーグル専門店はベーグルを焼くためだけに設備を使えるので、それがいいのかもしれません。
いちばん最初のベースは務めてたお店の配合です。
でも、粉は好きなのがいいなと思って、知ってる粉をいろいろ取り寄せて、検討しました。
いま使っているのは、春よ恋、北海道産石臼全粒粉。
まだまだ勉強中です。
味はこっちがおいしいけど、翌日も食べられるのはこっちかな、とか。
自分のおいしいと思うものと、町から求められるものと、生活できるだけのもの。
その3つを変化させていければいいのかな」

フィリングにもセンスを見せる。
すももジャムのおいしさ。
甘さと酸味に、心地よいバランスがあって、果実の香りをふくよかに感じさせる。
白あん+クリームチーズはベーグル史に残る発明だと思う。
あんこの甘さの蔭に潜むようにチーズの酸味。
鼻に抜ける豆の香りをなぜか引き立てる乳酸菌の香り。

「おみやげに1個だけもらったチーズまんじゅうがすごく感動して。
チーズと白あんのベーグルを作ってみようかなと思って生まれたんですけど、お互いが活かしあってる気がする」

喫茶店なので、カウンター越しに森木さんの仕事をする姿は見えている。
清潔なおしぼりと、うつくしいグラスに入れたお冷やを用意する。
コーヒーは注文を受けてから、1杯1杯淹れる。
大事に焼いたベーグルを焼き戻し、ジャムやあんこを塗る。
心を尽くした手づくりのものたちが快適な時間を作りだす。
そこになんの説明もなく、あくまでさりげない。

「コーヒーがすごく好きで。
パン屋の前は、スターバックスでも働きました。
アンチおしゃれだったので、スタバに行ったことなかったのに(笑)。
人と働くのも、苦手だと思ってたけど、価値観が変わって、自分も成長できました。
それまでは、一人で陰気に働くような仕事しかできないんじゃないかなと思ってましたから(笑)。
人と関わるのってすごい。
自分だけでできないことを勉強させてもらえるから」

パンが好きで、コーヒーが好きで、本が好き。
それらが合わさって、ベーグル喫茶という、ありそうでなかった業態に至ったのは、ひとりでいる時間を大事にする人だからだろう。
孤独を愛する人の気持ちは、自身も孤独を愛する人にしかわからない。

「いまはコーヒーを淹れるのが楽しく、ベーグルを焼くのが楽しい。
焼きたくない日はないです。
焼きたくないと思って、焼くのだけはやめよう。
明日ベーグル焼きたいと思って寝るのはもちろん、なんかもやもやするな、もうだめだ、というときにも無理しないように。
ストレスのない状態を作ろうとしている。
でも、接客の仕事に疲れることがあります。
本当は引き蘢ってやりたいんです。
サポートしてくれる人がいたら専念できるんですが。
どこかお店に行ってぼーっとするのが好きだし、かまってくれない店員さんが好き。
狭い空間の中でも私は一人で楽しんでくれる空間を作りたい」

誰にも邪魔されず、どんな憂いにも惑わされず、静かで清らかな時間。
本を読み、おいしいベーグルとコーヒーをときどき口に運びながら。
もし老後がきて、なにもしなくていい時間がたくさんあったなら、こんな店で日がな過ごしたい。

森木さんは理想とする店のイメージをこんなふうに表現する。
「常に風通しのいい感じ。
風が通ったときに気持ちがいいなと思った。
そういう店にしたい。
その理想に、いつになったら近づけるんだろう。
まだまだだから、飽きずに仕事ができるんだろうな」

(池田浩明)

森の生活者
鳥取市弥生町103、0857-50-1170。
JR山陰本線 鳥取駅
9:00〜18:00
月曜火曜休み

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ル・コションドール 【鳥取パンツアー1】
おもしろい動きが起こっている。
鳥取駅前の商店街。
車社会の進展によって郊外の大型店に客足を奪われる事態は、全国と同じように、ここでも進行している。
だからこそ、ハイセンスな店が、商店街に回帰しようとしているのだ。
借りてがなくなった古いビルをリノベーションし、蘇らせる。
イベントを仕掛け、活気を生み出す。
ル・コションドールは動きだしたムーブメントの中心にいる。

倉益孝行さんはシェ・ワダ、アビアントなど関西の名店での修行後、ル・コションドールを立ち上げた。
弱冠22歳にしてオーナーシェフ。
店をはじめてもうすぐ10年になる。

「母親がガンになり、鳥取に帰ってこないといけなくなって。
あまりにもばたばただったので、その頃のことを覚えてないです。
それまでクロワッサンもひとりで作ったことがなかった。
はじめてクロワッサンを作ったとき、いろんな店でやってた工程が、やっとシンクロしたぐらいで」

パン職人としての原点は、高校のとき食べた、当時人気絶頂の有名店のパンにある。
「コムシノワさんに行ったら、こんなでかいカンパーニュがあるんですよ。
はじめて食べたとき、『うまい』じゃなかった。
これを焼けるようになればもてるな(笑)。
『俺はパン屋になる』と言ったとき、突然すぎてみんなぽかんとしましたね」

パンの放つ輝きや、存在感。
一瞬にして目を奪い、場の雰囲気さえ持っていってしまうような、パンの持つ力。
倉益さんはコムシノワのパンにすっかりやられてしまったが、その下地は家庭環境にあった。

「両親がソムリエで、たぶん鳥取では初めてとなるワイン居酒屋をやっていました。
いちばん古いパンの記憶は、店で残ったバゲットの端っこを、残った鴨といっしょに食べたこと。
かりかりしたバゲットの端が原点。
当時から、料理をのせるお皿でした」

物心ついたときから、倉益さんにとってパンとは、料理と一体となったものとしてあった。
倉益さんは、食卓を刺激するようなハード系のパン作りに力を入れるし、イベントやパーティの依頼には積極的に応える。

「パン自体がすごく好きというわけではなく、パンを作ることがよろこびなんです。
パンにまつわるシチュエーションが好き。
ワインと料理、そこにうちのパンがあったほうがいいねと言ってもらうのが、うれしい。
食べる人にとって、ちょっと驚きがあるように、ひっかかるようにしてます」

たとえば、私も参加した、2014年9月に行われたイベント「パンBAR」。
鳥取市本通り商店街の空きビルを町の活性化のために有効活用している「パレットとっとり 市民交流ホール」で開かれた。
調理場を備えたこのスペースに京都のイタリアン「イルビアット」の水谷啓郎さんが招かれ、パンに合う料理を用意する。
そこで倉益さんが思いを込めて披露したパンはこのようなものだ。

パン・オ・ルヴァン。
「普段はミキサーで練っているパンですが、この日は手で練りました。
ミキサーのほうがしっかり練れるんですけど、ちゃんと食べてほしいなと思うときは、手で捏ねます。
生地の状態が手から伝わってくるし、ダメージが少ないので、なんとなくやさしい味わいがする。
ミキサーで練ったときのように空気が入って、味がぼやけるということもありませんし。
こだわりのある配合で思い入れを出したいというときにはそうします。
今日はバゲット ティエリー・ムニエ(フランスのシェリジー社製)という粉を使っています。
昔働いていたお店(シェ・ワダ)の宮本秀二シェフ(現サミープー シェフ)もフランスの粉をよく使っていたので、それに対するオマージュとして。
レストランに卸すために、ものすごく硬いパンを焼いていた。
味はものすごくおいしいんですけど、お客さんから受けが悪かった。
それをもうちょっとなんとかしたいと思いながらずっと働いていた。
そういう思い出の粉を使ったパンです」

パン・オ・ルヴァンには、手ごねならではの繊細な穀物香がアロマにもフレーバーにもあふれていた。
自家製の発酵種と粉の香りが相まって作りだされる香りは気品に満ち、思わず深呼吸した。
おいしいものをたくさん食べ、味覚の修練が自然と身に付いた人にしか作れないもの。
似た印象は、同じく発酵種を使って普段出しているパン・ド・カンパーニュにも持った。

パンの香りについて倉益さんはこんな話をしていた。
「この前関西に行って、レストランでパンを食べたとき。
この香りなんか知ってるなと思って訊いてみたら、たまたま自分の先輩の焼いたパンでした。
パンの香りってものすごく重要な位置を占めるなと思っていて。
うちの店にはあまりがしがし焼かないパンがけっこうあるんですけど、あまり焼きすぎるとパンの焦げ臭が立っちゃって、パン本来の香りが立たない。
そういうこともあって抑え気味に焼いてます」

もうひとつパンBARで印象に残った、大山小麦(鳥取県産ニシノカオリ)を使ったパン。
水が香りを運んでくる。
しっとりとした中身から、やさしい甘さ、そして大山小麦ならではのなつかしい香りがする。
たっぷりと水分を入れ、甘さやもちもち感を強調できる湯種を使ったというこのパンは、国産小麦のよさを活かすのにうってつけだった。

大山小麦のパンはなすのペーストとのあいだですばらしい相性を獲得していた。
イルビアット水谷さんに訊くと、和を意識したと。
まさに、大山小麦のもつ木造の古い家のようななつかしい香りに、和惣菜はとてもよく合うのだ。
小麦の個性を引き出し、それにふさわしい料理と合わせると、こんなに感動的な体験となる。

パンと食事の組み合わせについて感性を研ぎ澄ませていく上で、レストラン「シェ・ワダ」でキャリアをスタートさせたのはうってつけだった。

「和田信平さん(シェ・ワダ オーナーシェフ)の影響は強いです。
『料理に負けないパンを作れ』。
そんなことを言ってくれる料理の方はいなかった。
あくが強いとかいうことでなく、料理人のこだわりに対して、見劣りしないパンを作れという意味だと思っています」

ただの脇役として目立たぬ位置にいなくてはならない。
パンにまつわるそんな定説を覆す巨匠の一言は、パン職人である倉益さんに自己表現の可能性を与え、奮い立たせた。

同じく、シェ・ワダの厨房で出会った宮本秀二さんを敬愛している。
「この前も、会ってきたんですけど、宮本さんが大事にされていた、辻静雄の本をいただきました」
と倉益さんは、改めて気を入れ直さなければ、という真摯な表情で語る。
宮本さんは十代にしてフランスを料理修行でまわった経験を持ち、彼の店サミープーはフランスへのオマージュに満ちている。
トリコロールの血は倉益さんの中にも受け継がれている。
ル・コションドールのパンは、倉益さんがパリで食べたパンの記憶からできあがっているのだ。

「プージョランのバゲット、ル・グルニエ・ア・パンのリュスティック、ガナショーさんの一本クープのバゲットを食べたとき、こんなうまいものないと思いましたね。
自分の作るパンの着地点としてイメージしてます」

バゲットリュスティック
笑ってしまうぐらいのむちむち感。
焼き切らず浅めに仕上げる、寸止め。
そのために、香ばしさよりも先に、粉そのものを香らせる。
国産小麦らしいやさしい甘さのニュアンスは豊かに。
やわらかな中身が口腔にまとわりつき、気持ちいい。
後味は塩と相まってミネラリーに語ってくる。

「バゲット・リュスティックでは、粉の、飛んでいきやすい微妙な風味も活かしたいと思って、オトリーズ(粉に水を合わせ水和させる工程)を一晩とって、パン酵母を入れずに寝かせています。
皮を薄めにするため、ちょっと浅めに焼いてます。
江別製粉(北海道産小麦)がメイン、少し大山小麦を入れて。
ガナショーみたいな毎日食べてストレスのないパンのイメージ。
毎日食べたいときって、がちがちのハード系はストレスがある。
反対に、バゲット・コションドールは濃い味の出る粉を使って、カイザーみたいな濃厚なバゲットのイメージです。
夜の料理はバゲット・コションドール、昼はバゲット・リュスティックがおすすめです」

オープン当初はフランスパンしか置かない本物のブーランジュリーを目指していたが、それではいけないと諌めた人がいた。

「アビアントに入る前にバイトをしていた店がありまして。
そこの店長さんが食パンだけは無理矢理にでもやれと。
そこからもってきた湯種のレシピで食パンは焼いています。
パンネル(湯種製法の食パンが名高い宝塚のベーカリー)の配合をそのまま使える。
オリジナルでは湯種が10%だったのを、3割にしています。
大阪に行くたびに食パンを持っていって、店長さんには食べてもらっている」

角食の、食欲をそそる濃厚な焼き色、自重で潰れるほどのやわらかさを見て、即購入を決定した。
甘さが濃厚なのは予想通りだったが、快感の強度は想定以上だった。
おいしい食パンは、その甘さによって幸福をイメージさせる。
小麦の持つポテンシャルを十二分に発揮しなければそこへは至れない。
ほどよくもちもちして、なめらかで、といった食感も幸福に荷担する。
皮のキャラメル香、甘さと発酵の香りがないまぜになった感じは、いいワインを想起させた。

地方でハード系のパンを売ることを、私は『木を植えた男』に例える。
禿げ山に木を植えていくように、あんぱんを買いにきたお客さんに、バゲットのおいしさを説明し、1本1本売っていく。
まずフランスパンのおいしさを知ってもらうことからはじめなくてはならない。
パンの文化を自分がふるさとに根づかせるのだという、気の遠くなるような覚悟を持って。

「鳥取にはハード系のパンがありませんでした。
売れないというところからのスタート。
でも、売れない理由を町のせいにしちゃいかん。
それを含めて、自分が納得できることをしないといかん。
うちができたら、ハード系を焼く店が出るかなと思ったら、出てこない。
じゃ、焼かせてもらおうと。
以前、ベビーカーを押してしょっちゅうこられるお母さんがいました。
オリーブのパンをいつも買ってた。
やわらかいパンしか食べないのは、赤ちゃんには硬いパンはあげられないからだという。
牛乳でふやかしてみたり、食べ方を提案して買ってもらえるようになった。
大学で東京に行った人に、パンを送ってくれと頼まれるようにもなりました」

ル・コションドールの植えたパンの苗は、鳥取に根づこうとしている。
市内各所でハイセンスな店を手がけている、工作社の本間公(あきら)さんによるもの。
先述した「パンBAR」や、パンと料理を楽しむイベント「トットリノススメ」も、本間さんと倉益さんが仕掛けたものだ。
鳥取を楽しくする人たち。
おもしろい空間があり、そこに人が集い、そしてパンがあればおもしろくなってくる。
ル・コションドールは1本のバゲットで町を変えていく。(池田浩明)

ル・コションドール
山陰本線 鳥取駅
鳥取市栄町401、0857-27-5678
7:30〜19:00
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自分で収穫した小麦がパンになった!
11月17日、子供のための絵画・造形教室『代々木公園アートスタジオ』による「麦を蒔こう パンを食べよう」が開かれました。
このワークショップは、アートスタジオを主宰する鈴木完さんご一家が自ら切り開いた山(千葉内房・鋸南町)を舞台に行われます。
鈴木さんは週末ここに通い、自分で家を建て、畑を耕し、薪窯を作り、と自給自足的な生活を実践。
麦作りもワークショップとして、教室に通う子供たちといっしょに、機械も使わず自分の手で種蒔きから収穫まで行っています。
麦の刈り取りのことを以前パンラボblogでお伝えしましたが、その後、脱穀・製粉を経て、今回はいよいよパン作り。
そして、来年の収穫に向けて種蒔きを行います。

山に到着すると、カタネベーカリーの片根大輔さんは、さっそく計量をはじめます。
肌寒い晩秋の日、パン屋の厨房のように温度が高くないので、予定通りの時間で発酵が進むかなと心配しています。

みんなが苦労して刈り取った小麦粉は約30キロになったとのこと。
スーパーで買ってきたものとはちがって、少しグレーがかっています。
自家製粉だと、小麦の粒の皮の部分(ふすま)も少し入ってしまうために、きれいな白にはなりません。
でも、きっと香りや味はたっぷりです。

まずは、小麦粉、塩、はちみつ、パン酵母といった材料をボウルに入れ、混ぜていきます。
だんだん水と粉がなじみ、生地状になっていく変化に驚いたり、安堵したり。
そのあとボウルから取りだし、丸める段になると、手にくっつく生地に苦戦。

無事に丸め終わると、1次発酵をとります。
「これをうまく発酵させるのが僕の仕事」
という片根さんにまかせ、子供たちはそのあいだ種蒔きをします。

ロープを目印にし、15cm感覚で土を置き、5粒ほどの種を蒔いて、さらに土をかぶせる。
しゃがみながら移動しつづけなければならないので、30分もすると、足腰が痛くなってきます。
それでも根気づよくつづけていた子供たちは偉かった。

その間、発酵は進み、カンパーニュのような丸い形に成形です。
「これ、焼いたの?」
と訊く子供がいたように、種蒔きしているうちに変化を遂げていたのは不思議だったようです。
折り畳み、生地を張らせる。
ぐにゃぐにゃした生地の感触に子供たちはなにを思ったでしょう。
バヌトン代わりのボウルを型にして、ホイロをとります。

窯の中で燃え盛る薪。
こうして窯をあたため、燃えかすを取り除いて、生地を入れ、余熱でパンを焼きます。
そのあいだ、かまどではスープがぐつぐつと煮えています。
一方、子供たちは遊びに夢中。

昼の1時をまわり「お腹空いた」と訴える子供が続出する中、発酵が進まず、なかなか窯にいけません。
そしてようやく、生地を触ってみて「うん、いい感じ」と片根さんのゴーサインが出て、いよいよ窯入れ。
電気オーブンのように温度設定ができるわけでもなく、薪窯のコントロールはむずかしい。
想定したより温度が高かったようで、みるみる色がついていきます。
「もっと時間をおいて、窯の温度を下げてから生地を入れればよかった」と片根さんは反省しきりでした。

まんまるのパンも、変な形のパンも、真っ黒焦げのパンも、いい感じの色のパンも。
それぞれのパンがそれぞれの作り手に手渡されます。
自分が作ったパン、ということで感慨深いのか、みんなで見せあったり、自慢しあったり。
そして、「おいしい」という声があちこちからあがります。

もちもちとして、小麦の味がしっかりとする生地。
印象的なのは、まず鼻へ抜けていく、癖のある香り。
土の香りのような、草の香りのような。
他のミナミノカオリでは嗅いだことのないこの香りは、この土地ならではの「テロワール」なのでしょう。

野菜のスープも、いっしょに入れられた豚肉からのダシ、あとは塩・こしょうだけの味つけのシンプルなものでしたが、体に滲みこんでいくようです。
凝った料理ではない。
パンも、ホイロの機械があるわけでも、細かく温度調節ができるわけでもなく、子供たちが練った生地です。
にもかかわらず、おいしい。
私がいつも食べ、取材をしているような、一流店のパンとは異なっているにも関わらず、です。
おいしさとは必ずしもテクニックではなく、食べ物によって心が満ち足りたときに感じることなのではないでしょうか。
自然の中で働き、自然の中で食べ、そのように思いました。(池田浩明)


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麦の唄


中島みゆきの麦の唄。

朝ドラ「まっさん」の主題歌。

このドラマはウィスキー作りがテーマだから、それで麦の唄なんだろうけど、
パンラボで小麦ヌーヴォーの記事をよく読み、北海道の小麦のパンを食べる機会が増えた自分には、
たとえバグパイプの音色で始まっても、パンの唄に思えてしょうがない。
パンを含めた小麦アンセム。


かし


パンの漫画

 
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雑感・トマトとすだちのサンクス・トースト
まさこさんに信州のトマトジャムをいただいた(まさこさんの地元が信州)。
DSC_1558.JPG
赤と青のトマトジャム

ムッシュから徳島のすだちをいただいた(ムッシュの地元は徳島)。
DSC_1559.JPG

奇しくも同じ時期にトマトとすだちが揃ってしまった。
さて、これをどうしよう。
自分も一応、パンラボの末端にいる身だ。パンに合わせるのが相場だろう。

ない頭を絞ったけど、すだちを搾るようには上手く行かない。

結局、これしか思い浮かばなかった。


DSC_1557.JPG

赤と青のトマトジャムをトーストに塗る。
ムンニュ!

トマトジャムはトマトの青臭さとかがなくって、旨味と甘みが凝縮されていて、
味わったことのない「ジャム」の美味しさだった。

これだけで十分おいしい。
だけど、それだけでは気がすまないので、2枚目はすだちを搾った。

皮を握りつぶすようにすだちを搾る。
ムンギュ!
DSC_1560.JPG

信州のトマトと徳島のすだちの合体。

搾りたてのさわやかな酸味が足されて、清々しさが際立った!

ミニトマトだけを使って、コトコト煮詰めたジャム。
ミニトマトがそもそも旨味が凝縮されたものだもの。
それをコトコト煮詰めたら旨いに決まっている。

その濃厚な旨味に、
徳島のおじさんが丹念に作り、もぎ取り、箱詰めした阿波の誇りをぶっかける。
うん、そうだ。ぶっかけだ。
うどんだろうが、パンだろうが、オチャケだろうが、対象物にすだちを直接搾り垂らしたら、ぶっかけだ。
ですよね、聖地(四国)のみなさん!

ミニトマトのジャムとすだちのぶっかけトースト。
おいしい。

いただきもので作るトースト。
感謝祭の時期だし、サンクス・トーストとも言えるかな。


かし

 
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希望のりんごツアー2014秋
10月25日、秋晴れの休日。
ツアー参加者をのせたバスは、アップルロードから細い坂道をのぼっていく。
陸前高田・米崎町の丘。
前方に見えてくるのは、低い木にいまが盛りとたくさんついた赤い実。
希望のりんご農家・金野秀一さんのお宅の前で、バスが停まる。
ステップを降りていくことさえもどかしく、りんご園に降り立ち、赤い実のほうへ自然と足は歩んで行く。
りんごの魅力。
この風景には、なにも考えずとも惹かれていくような本能的な好ましさがあるのだ。

参加者一同を金野さんが出迎える。
挨拶として希望のりんごの活動のいままでの経緯を簡単に説明。
そのとき、パン屋さん・お菓子屋さん達へのあたたかい支援への感謝を述べようとして金野さんが感極まり、言葉を詰まらせた。
ツアーなどの活動が微力ながらも米崎町のお役に立てていると、こちらまで胸が熱くなった。

金野秀一さんの案内に従って、りんご畑を案内していただく。
青森、岩手など東北各県で栽培されているりんごだが、岩手県でももっとも南の沿岸地帯に位置する米崎町は栽培地として比較的温暖である。
寒さを避け10月には収穫を余儀なくされる地域も多い中、米崎町のふじは完熟する12月まで木になったままだ。
そのため、光をいっぱい浴び、自然と赤くなる。

「葉っぱがいっぱいついてるでしょ。
これが甘さの元なんです。
葉っぱが光を受けることでソルビトールという物質が作られる。
それがりんごの実にいくから甘くなるんです。
だから葉っぱがいっぱいついていて、光をたくさん浴びたほうが甘くなります。
りんごの蜜ってあるでしょ。
完熟すると糖分がそれ以上必要なくなるので、ソルビトールを貯めておくために蜜になる。
だから、あれを食べても甘いわけじゃないんだけど、蜜がたくさん入っているというのは甘い証拠なんです」

ジョナゴールド、ふじだけではない。
黄色いりんご、青いりんご、そばかすがいっぱいあったり、まだらだったり。
参加者たちは、さまざまなりんごを見ながらりんご園の中をそぞろ歩いた。

現在、収穫期を迎えているのが、ジョナゴールド。
「袋いっぱい取っていいからね」
参加者のテンションはさらにアップ。
なるべく赤い実を探して園地を歩く。
りんごを引っ張って取るのではない。
逆にもちあげてねじるようにすると、すっと枝から離れる。
思いどおりいかないのがまたおもしろい。
上についた実を取ろうと背伸びしたり、誰かの肩にとまったてんとうむしをつかまえたり。
至るところから笑い声と歓声が聞こえていた。

とったりんごをその場でかじる。
毎年思うことだが、この畑で食べるりんごがいちばんおいしい。

収穫後は、金野さんのお宅でりんごの食べ比べを行う。
1個3000円もの高値がついた紅いわて、シナノゴード、黄香、ぐんま名月など、なじみのない品種。
鮮度がよくて香りがすばらしいこともあり、それぞれに特徴があり、それぞれがおいしい。
「普段食べるときにはわからなかったけど、いっぺんに食べると味のちがいがよくわかる」
と、声が上がった。
「俺たちりんごの関係者は名前を聞かなくても食べただけでわかるんだよ」
と金野さん。

お宅を去るとき、文字通りの「希望のりんご」をもらった。
フィルムにプリンターで印刷したものを、熟す前のりんごに貼付けると、この通り字が浮かびあがる。
金野さんからの、心づくしのおみやげだった。

同じ丘の上にある和野会館。
バスから降りた途端に、青い海を目にする。
敷地の端っこの手すりのところにみんなが駆け寄り、景色に目を奪われる。

会館の中では、ラ・テール洋菓子店の中村逸平グランシェフの指導のもと、アップルガールズがジャム作りの真っ最中であった。
アップルガールズとは、津波という悲劇をいっしょに乗り越えたお母さんたちの親睦団体である。
使用したのは金野さんの、とれたてのりんご。
そして、ラ・テール洋菓子店のご好意で提供していただいた、オーガニックシュガー。

瓶を煮沸し、りんごを切る。
りんごの産地で生まれ育ったお母さんたちは下手な機械よりよほど手早く皮を剥くことができる。
大鍋でぐつぐつ煮ながらずっとかきまわしつづける。
ジャム作りとはシンプルな中に、そんなたいへんさもある。
それでも楽しく、わきあいあいと仕事は進んでいく。
「ここで作って売ろうよ(笑)」
「またみんなで集まってこんなふうに作れたらいいね」
という声も聞かれたのはうれしいことだ。

(前日にベーカリーアドバイザーの加藤晃さんの指導のもとアップルガールズといっしょに作った大福。
また、大阪のパン屋グロワールの一楽千賀さんは得意の関西風お好み焼を作ってくれた。)


中村さんによるジャムの説明。
「できるだけナチュラルにりんごの味わいを残したいので、砂糖を多くして、煮詰め時間を短くしています。
糖度は50℃。
りんごの味を殺したくないので、生のレモンを少しだけ入れて、酸味を出しています。
素材の味をできるだけ殺さず、それを活かすことを考えて作ったジャムです」

中村さんにはさらに、ジャムをおいしく食べるためのクレープを作っていただいた。
卵の香りがあるぷるんとした生地に、ミルクの香りがこよなくうつくしいホイップクリームとりんごのソテーを入れたもの。
「すごくおいしかったです」
と中村さんに言ったとき、かえってきた言葉が忘れられない。
「りんごにはかなわない」
りんごのおいしさは、作り手の腕や技術を簡単に超えて、それ自体ですばらしいものなのだと。
りんごを生み出す陸前高田という土地と、そこでりんごを作る人たちへの、限りないリスペクトに満ちた一言だった。

近くの仮設住宅の人たちと、クレープを食べて「お茶っこ」。
被災者の方と交流できる機会になればと、ジャムのラベルを作るワークショップを行った。
思い思いのりんごの絵を描く。
りんごがなっているさまをいつも見ているせいか、米崎町の人たちが、赤だけでなく、黄色も使ってりんごを描いているのが印象に残った。

みなさんにはプレーンとシナモンレーズンの2種をお持ち帰りいただいた。
米崎小学校仮設住宅でもこのジャムをお配りした。

その後、NGBC(障がいのある人たちのパン・お菓子作りを応援する特定非営利活動法人)のみなさんと、あすなろホームを表敬訪問した。
りんごや藻塩など陸前高田の産物を使いながら、お菓子を作っている障がい者施設である。
3.11のとき、怯える知的障がい者たちと、ストーブも食料もなく、こごえる苦しい日々をすごしたと、施設長西条一恵さんは語る。
被災地への関心が薄れ、復興イベントがなくなってきたいま、売り上げもへりつつあるのだと。
この人たちを応援できるようなコラボレーションが希望のりんごでもできたらと思う。

宿泊地は、リアス式海岸の景勝地、碁石海岸の崖上に立つ大船渡温泉。
海をすぐ間近に見る絶景の温泉宿である。
地元の海の幸が並ぶ夕食のあと、私たちは特別ゲストの話を聴いた。
津波伝承館の館長、齊藤賢治さんによる、プロジェクターやスピーカーをホテルの大広間に持ち込んでの講演。
衝撃の映像に、私たちは目を奪われ、声を失った。
防波堤を超える津波が車や建物さえ押し流す。
数分後に津波に飲まれるはずの人たちが歩いている様さえそこには映し出されていた。
齊藤さんが何度も強調した「備えの重要さ」。
地震がきたらまず逃げることは決して忘れてはならないというのが、3.11を経験した齊藤さんの伝えたかったことだ。
津波を生き抜いた人の言葉はとても重く響いた。

翌朝、陸前高田米崎町にある脇ノ沢漁港でバスを降り立つ。
港に停泊する第八十八丸又丸に、2人の男の笑顔があった。
佐々木正悦さん、金野廣悦さん。
お待ちかねのほたて漁体験に連れていってくれる。
波の揺れが体を揺さぶり、潮風が頬を撫で、波しぶきで服が濡れる。
それらは都会で眠っていた感性を目覚めさせてくれる。
りんご畑でも然り。
だから、陸前高田にくるとみんな笑顔になるのだ。

ロープにつけられていたほたてを引き上げる。
はじめて見る陸に上がったばかりのほたて。
たくさんのムール貝やホヤやフジツボが貝につき、さながらたくさんの宝石をあしらった王冠のようだ。
これも、米崎湾がいかに、おいしいほたてを育てる栄養分に富んでいるかの証明である。

ホタテは大漁。
約1時間の広田湾周遊を終えて港に着くと、乗船しなかったツアー参加者が出迎える。
この岸壁で、とれたばかりのホタテを食べる。
その前に、自分たちでとってきた貝殻についたフジツボなどの掃除をして、貝をあけ、身を剥く。
それは、このあと仮設住宅で行われるバーベキューの準備でもある。
佐々木さんに見本を見せてもらい、専用の道具を借りる。
貝のゴミは意外ととれなかったり、身も貝からなかなか離れなかったり。

自分でむいたホタテを、たくさん汁をこぼしながら、指で口に運ぶ。
むちむち、こりこり、海の水の塩気、磯の香り、そして貝柱にたどりつく。
圧倒的な甘さ。
食べ物が実に感動に満ちていることを実感する。

とれたばかりのほたては身に透明感があり、きらきらと輝いている。
私たち「希望のりんご」は「米崎町ホタテ組合」と協力し、このほたてを「きらきらほたて」としてインターネットで販売すべく準備をすすめている。
震災前は、米崎町ホタテ組合に集った漁師たちも、それぞれに顧客を抱え、ほたての通信販売を行っていた。
だが、津波によって顧客名簿は流出、震災以降は販売できなくなっていた。
そこで、「希望のりんご」ではインターネットの力を借りて、復興のお役に立ちたいと思った。
販売開始次第、みなさんにお知らせする予定なので、お力添えをいただきたい。

その後、米崎小学校仮設住宅へ。
お昼は、住民の方たちとともにバーベキュー。
Zopf伊原靖友店長の巻きパンは人気者。
生地に混ぜ込んだチーズが炭火でとろりと溶け、それをあつあつのうちに口に運ぶ。
パンが焼けるあいだ、子供たち、お母さんたちとする会話も、このパンのおいしさのひとつである。

梶晶子さんのポリパン教室も同時に行った。
前夜のホテルで、りんごジュースから作った発酵エキスをポリ袋に入れて、小麦粉などの材料とともに混ぜていた。
ひと晩置くとそれが生地になっている。
「生地を触る感触や焼きたてのパンの香りには人を癒す効果があります」

梶さんは被災地各地で指導、津波の衝撃がトラウマとなって、心を病んでいた人たちが回復するさまを見てきたのだという。
たしかに、赤ちゃんのほっぺたのような生地を触り、かわいい丸パンができあがると知らず知らず気持ちは上がっていた。

パンと合う、地元の食材を使ったものとして、里芋のポタージュを作る。
また、炭火で焼くさつまいもは、アップルガールズの伊藤さんが畑で丹誠込めたものだ。
さっき海でとり、みんなで貝を掃除したほたても醤油と酒をかけて焼かれる。

(仮設住宅の住民の方と話す、パラリンピック水泳金メダリストの成田真由美さん)

バーベキューに出てくる人の数は回を重ねるごとに減りつつある。
仮設住宅を出て、再建した新居に引っ越される方が多くなったためで、それ自体は祝うべきことだ。
しかし、まだ仮設住宅を出られない人はいる。
「だんだん人の数が少なくなってさびしい」
いっしょに火を囲んだ、あるお母さんの声。
土地は確保したものの、建物が建つのは再来年だという。
みんな同時に復興を進めているので、建設業者の供給は逼迫して、工事はなかなか進まない。
金銭的な理由もあるのかもしれない。
津波でみなすべてを失い、悲劇をともに乗り越えてきた仲間が去っていき、取り残されることに、いいようのないさびしさを覚えるにちがいない。
この催しで一瞬でも心にかかった憂いが晴れたならうれしいことだ。

住民の人たち、ツアー参加者が最後に記念写真に収まる。
バスに乗り込む私たちを、手をふって見送っていただく。
「また来たいです」
「思い出をずっと忘れないでいたい」
という言葉を参加者からいただいた。
被災地のファンをひとりでも多くしたい。
希望のりんごの活動はこれからもつづいていく。(池田浩明)

あすなろホーム
大屋果樹園
櫛澤電機製作所
こんがりパンだ パンクラブ
こんの直売センター
グロワール
Zopf(ツォップ)
津波伝承館
東海堂
日本製粉株式会社
ハッピーデリ
ブーランジェリー ボヌール
マルグレーテ
民宿志田
米崎町ホタテ養殖組合
米崎町女性会
ラ・テール洋菓子店
ラブギャザリング
レ・サンクサンス
和野下果樹園
そのほか、陸前高田のみなさん、ツアー参加者の方々。

写真・小池田芳晴(シミコムデザイン)

希望のりんご
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