パンが障がいのある人の社会参加に本当の意味で役立つために。
チャレンジングな試みに踏み込む施設が登場する。
横浜市泉区、横浜市営地下鉄の下飯田駅前の、巨大な三角屋根の建物。
スキー場かゴルフ場のクラブハウスのような豪華な建物がファールニエンテ。
パン屋であり、石窯を備えた本格的ピッツェリア、生パスタを売りにするイタリアンレストラン。
そしてなにより、注目すべきは、このパン屋に小麦畑があることだ。
ファールニエンテの母体となっているのは、障がい者の作業施設である共働舎。
障がいのある人のパン・菓子コンテスト『チャレンジドカップ』で日本一になったこともある、製パン分野でパイオニアといえる施設。
大きな夢に満ちた構想は、広大な土地を利用しないか、という話が不動産業者から持ち込まれたことにはじまった。
ファールニエンテの鈴木康介さんは語る。
「障がいのある人の施設を建てないかというお話があった。
敷地が広すぎるし、暮らすためだけの施設なら土地がもったいない。
そしたら、作業所のような施設がいいんじゃないか。
最初の構想は小麦畑があるということ。
それから、レストランもやってみたい。
畑は2反あり、1反は小麦、1反はレストランで使う野菜を作ろうと思っています」
広大な土地が駅前に。
ここは市街化調整区域にあたり、農地を保全することが義務づけられているため、一等地に残されていたのだ。
そもそも共働舎は、パンだけでなく、小麦作りも行っている。
神奈川県秦野市に畑を借りて、障がい者の手によって種蒔きから収穫を行い、事業所内に石臼を置いて製粉、「ぼくらの小麦」というブランド名で販売、神奈川県内のパン屋などでも使用されているのだ。
ファールニエンテには1000坪の敷地があり、店舗に隣接する畑で1tの小麦を収穫、自家製粉してその小麦粉によってパンを作る。
これから種蒔きを行い、来夏にはうつくしい実りの光景が姿を現すだろう。
パンが自然の恵みとしてあることを、消費者の目の前でわかるように展開する。
消費地と生産地が共存する横浜市泉区ならではの事業。
農業の発展のために六次化(生産・加工・販売を一手に手がける)が叫ばれる現在、北海道・十勝の麦音などにつづいて、日本でも数少ない試みとなる。
共働舎の施設長で、ファールニエンテのプロジェクトオーナー萩原達也さんはその意義を強調する。
「横浜市泉区は面積の半分を農地が占めるほど、農業が盛んです。
いま農業従事者が減って、どんどん高齢化している。
農業は大事な産業。
ファールニエンテは入り口(生産)と出口(販売)を一体につなげている。
この場所だったらできる」
ファールニエンテは夢に踏み込む。
そうした施設を、障がい者の手を借り、ゆだねながら運営していくのだから。
「現在、20人の利用者(作業施設で働く障がい者のこと)がいます(定員は40人)。
その人たちがシフトで動いて、365日営業します。
この施設では3つの事業『就労移行支援事業』『就労継続支援B型』『就労継続支援A型』を行います。
就労継続支援A型は、障がいのある人と雇用契約を結ぶ。
最低賃金をクリアする890円の時間給を支払います」(鈴木さん)
この施設が画期的な理由はここにある。
障害者自立支援法に基づいた雇用の形態は3つに分けられる。
そのうち、就労継続支援A型は、通常の事業所に雇用されるのが困難な人に対して雇用契約を結んで、最低賃金以上の給与を支払うものだ。
パン作りを行う作業施設の大部分は就労継続支援B型で、雇用契約は結ばない。
最低賃金さえ支払われず、作業所の売り上げに応じての支払いとなっている。
理想は就労継続支援A型であるけれど、雇用契約を結ぶことは、当然施設の経営をむずかしくする。
それでも、ファールニエンテは、障がいのある人に健常者と同等の社会参加を行ってほしいという理想のために、それを行うのだ。
売り場にせり出した、円形の石窯。
障がいのある人が果たしてピッツァを焼けるのか、不特定多数が訪れる環境は精神的にハードではないかと心配した。
ところがそうではなく、これも障がいのある人に社会参加を促すための舞台装置なのだ。
そのヒントを、萩原さんは横浜市青葉台のプロローグ・プレジールから得たという。パン屋に隣接するカフェスペースでピッツァやパスタを供するこの店は、休日には行列ができる人気店となっている。
「共働舎では3,4年前から、プロローグ・プレジールの山本敬三シェフに教えてもらっていて、窯ができる人もいる。
障がいのある人も十分できる仕事です。
共働舎の利用者にも40代が増えてきて、ご両親が亡くなられる人が出てきた。
障がいのある人って、親が死んじゃうと、名前を呼んでくれ る人ががくっと減るんですよ。
そうすると、社会的なつながりが減って、その人の生活の基盤が危うくなっちゃう。
こういうお店に立って、石窯でピッツァを焼いているところが見えれば、お客さんに顔と名前を覚えてもらえる。
世間の人とつながれるのは、障がいのある人にとってすごく大事なことです。
なにもできないかわいそうな人じゃない。
いろんなことができる。
そういうことを知らせる舞台として、いい場所になったと思います」
障がいがあるからといって、お店に行くことをためらったり、就きたい仕事に就けない社会であってはならない。
健常者も障がいのある人も区別なく働き、飲食や買物ができる場所が、ファールニエンテである。
強力なバックアップがある。
チャレンジドカップを主催する特定非営利活動法人NGBCは、障がいのある人のパン・お菓子作りを支援している。
大繁盛店プロローグの山本シェフをはじめ、NGBC所属の人気店・企業が、ファールニエンテを、是が非でも成功に導こうと応援している。
ブーランジェリー・ボヌールは接客の研修を受け入れている。
この店の象徴となる石窯を作った櫛澤電機はまた、主宰する「パン屋さんよろず相談室」で培ったパン屋開店支援のノウハウを、注ぎこむ。
「みっちゃん(櫛澤電機澤畠光弘社長)は、駅前、幹線道路沿いで、広い駐車場があるこの立地なら、1日100万売れる店も不可能ではないと太鼓判を押してくれています。
箕輪さん(ブーランジェリー・ボヌール社長)には接客の研修をしてもらったし、応援の人もよこしてくれている。
みんなが協力してくれないと、この店はできなかったでしょう」(萩原さん)
中心となってパンを作るのは、パン屋さんよろず相談室でたくさんのパン屋を開店に導いてきた足立総次郎さん。
このベテラン職人は、横浜市泉区産のゆめしほうを石臼で挽いた「ぼくらの小麦」を使って、どんなパンを作るのか。
「この『ぼくらの食パン』は国産小麦100%、そのうち『ぼくらの小麦』は50%入ってる。
他のパンにも少しずつ『ぼくらの小麦』が入ってるんだよ。
だけど、なんでもかんでも入ってるわけじゃなくて、フランスパン、リュスティックみたいな、歯切れを出したいパンが中心。
国産小麦はタンパク値が低いから、皮のざくっとした感じが出るでしょ。
石臼で挽いていて風味がいい小麦だから、パンの香りもよくなってくる。
(『ぼくらの食パン』を見せながら)普通、国産の全粒粉を50%使ったらこんなにふっくらならないよ。
よくできてるでしょ?(笑)」
ぼくらの食パンからは甘い香りが発せられていて、そのうち濃厚な香ばしさとなる。
口溶けに驚く。
口に入れた瞬間から中身はなし崩しになっていくのだから。
小麦が甘く、そしてうっすらとミルクの甘さ。
毎日食べられるやさしい濃度で。
そして、石臼で挽いた国産小麦らしい草っぽい香りは襲いつづけて、畑のイメージを伝えてくる。
食パンのラインナップが充実しているのはうれしい。
私が注目したのは、イタリア食パンである。
型に入れず、丸くつくる。
オリーブオイルの香りが鼻腔に抜け、舌を刺激する。
そして、小麦といっしょになってうまみとなり、唾液で溶けておいしい液体となって、舌を潤す。
それが、喉へ流れこむときの快感。
ちょっと引きがあり、香りには穀物感を残す。
でもイタリアのパンよりも、もっとふっくらしていて、ストレスはない。
食パンとイタリアのパンのいいとこどり。
朝食にも、パスタなどイタリアンにも合わせられる、この店らしいパン。
障がいのある人の手で高品質なパンを作り、ストーリーによって付加価値をつけ、きちんとした価格で売る。
たとえば、「プレミアムホワイトブレッド」は、1斤が500円を超す特別な食パン。
国産のホップから発酵種を起こし、手間と材料を惜しまず作られる。
山梨県北杜市の生産者・浅川定量さんによるホップ。
そもそも浅川さんとの関係は、NGBCと共働舎が協力し、山梨県で小麦を生産しようとしたときにはじまる。
仲立ちとなったのが、八ヶ岳「バックハウスインノ」の故・猪原義英さん。
自ら小麦を生産、自家製粉してパンを作るパイオニアである。
素材の生産とパン作りがともにあるという理想は、猪原さん亡きあとも生きているのだ。
「プレミアムホワイトブレッドは1CW(カナダ産小麦)のおいしいところをそのまま食べさせたいので、『ぼくらの小麦』は入れてない。
ふわっとさせたいのに入れちゃうと、生地が締って硬くなっちゃうから。
昔からホップ種は作ってたんだよ。
新商品を作るために努力してるんじゃなくて、いろんな人とつきあってるうちに自然にストーリーができちゃう。
猪原さんが小麦作りを習った人が浅川さん。
米もめちゃくちゃうまい。
麦もすばらしくて、粒がこんな大きくて、中身がぶちっと入っている」
人と人の共感やつながりから、素材が生まれ、パンが生まれる。
そうした水平な関係性は、パンを指導する足立さんと、パンを作る利用者(障がいのある人)とのあいだでも変わることがない。
「この店を成り立たせるために、いっぱいパンを作って、いっぱいパンを売らなきゃいけないといったって、それだけじゃ済まない。
ここは就労継続支援A型の施設だよね。
俺がパン作りをぜんぶやって、『どうだ、売れただろ』といっても、それじゃ駄目なんだよ。
ここにいる人たち(利用者)のもってるものをどれだけひっぱりだしてやれるか。
それは俺の腕にかかっている。
このデニッシュ見てよ。
仕込みして、シートバター使って3つ折して、カットして 成形と、ぜんぶやってもらってるんだからね。
(はじめたばかりの人、長期間つづけて働いている人のデニッシュを比べながら)これだけ進歩したんだよ。
こういうことしてかないと、この施設を作った意味がなくなっちゃう。
俺の思いはここにあるんだよ。
個々の利用者にどうやってスキルを教えるか。
売り上げだけあげるなら、職人がぜんぶやりゃいいじゃん。
袋入れるのだけ、利用者さんにやらせたりというのではなく、個人個人がぜんぶの仕事をできるようにならないと駄目じゃん。
そのために、おだてたりすかしたりしながら、大変なんだから(笑)」
健常者が働いて、パン屋をなりたたせる。
それだけでも簡単ではないが、ファールニエンテで足立さんがやろうとしていることは、それにとどまらない。
障がいのある人が、材料の計量から生地の仕込みまですべて行ってパンを作り、最低賃金を支払って経営を行っていく。
そのために、かってシェフをしていたパネテリア・ピグロをたたんで、共働舎の厨房に入り、1年間パン職人を育成した。
「仕込みのとき、生地を発酵させるときの温度や湿度の把握や、時間を計ったりすることはできるよ。
見極めほとんどわからないけど、繰り返しやっていけば、だんだんわかるじゃん。
生地温度の調整もどうにか自分でできるようになった。
でも、やり方覚えるけど、忘れる。
このあいだまでできてたのに、忘れちゃうわけ。
『えっ!』てなるよ(笑)。
普通は『やれてただろ!』って大きい声を出しちゃうじゃん。
こういう子たちに、やってもらうためには辛抱しなきゃいけない。
俺はいらいらしたりしないし、辛抱でもないんだけどね。
その子なりにやってればいいと思ってるから」
障がいのある人が尊重されて働き、生きていく術としてのパン作りの技術をマスターすること。
そしてなにより、消費者がパンやピッツァを食べて楽しみ、ひとときのやすらぎを得ること。
ファールニエンテとは、イタリア語で「なにもしないこと」(dolce far nientet=なにもしないことの甘美さ)を意味する。
障がいのある人が楽しく働き、お客さんが声をかけという環境。
それは、ファールニエンテな時間を過ごすのに、まさにうってつけではないか。
障がい者と健常者がるべき関係を築く実験がいまはじまろうとしている。
ファールニエンテ
横浜市営地下鉄ブルーライン下飯田駅、相鉄いずみ野線ゆめが丘駅
横浜市泉区和泉町1011-1
045-392-3225