パンの研究所「パンラボ」。
painlabo.com
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
タルティーン ベーカリーの真実 創始者チャド・ロバートソンに訊く
黒船、到来。
サンフランシスコから、超大物が日本に上陸する。
タルティーン ベーカリー。
08年に、"食のオスカー"「ジェームズ・ビアード財団賞」で最優秀ペイストリー・シェフ賞を受賞、アメリカのベストベーカリーに選出された店。
東横線の地下化に伴い跡地に建設される話題の商業施設「ログロード代官山」の目玉として、この春オープンする。



「タルティーン ベーカリー&カフェ」
日本1号店
2015年春オープン

渋谷区代官山町13番1号 ログロード代官山 5号棟

タルティーン ベーカリーのオーナー、チャド・ロバートソン。
日々粉にまみれ、魂の結晶である「カントリー・ブレッド」(パン・ド・カンパーニュ/田舎パン)を作り上げた。
彼は本気だ。
日本の小麦と一から向き合い、カントリーブレッドの新バージョンをリクリエイトするつもりである。
2015年2月4日、代官山T-SITEで行われたこのトークショーは、チャドの静かなる決意表明だった。

開演前の控え室、チャド・ロバートソンは小さなポットを持ち出した。
そこには、彼がサンフランシスコから持ち込み、日本の小麦でついだ発酵種が入っているのだ。
「時間がきた」
といって、粉と水を入れ、種継ぎを行う。
かってパン酵母(イースト)がなかった時代、パン職人たちはなにより種を大事にし、種を抱いて寝、腰に結びつけて一日中持ち歩いたという。
種とともに生きるサムライ。
チャド・ロバートソンに、私はそんなイメージを重ねた。

「たしかに天然酵母を育てていくのはすごくむずかしいんですけど、種継ぎは自分の娘にごはんをやるようなもので、ある意味儀式みたいなものなんですね。
あらゆるところにスターター(初種)を持ち歩くことをしていて、そういうことも日本のスタッフに伝えていきたいと思っています」

タルティーン ベーカリーを東京に作る。
ベストベーカーといわれるチャド・ロバートソンには、多くの出店オファーがあったが、それらを蹴って東京を選んだのはなぜだったのか。

「ずっと日本の文化に興味がありました。
食もそうですし、クラフト(陶器など手仕事のもの)も大好きだったんです。
私は日本と関係が深くて、はじめて弟子入りしてくれたベーカーは日本人でした。
彼女は新しい店で日本に戻ってきて働いてくれるかもしれません。
また、うちのヘッドベーカーのロリは日系人で、彼女にこのお店の立ち上げをまかせようと思ってます。
日本人といっしょにやるのはごく自然なことなんです。
日本人とも何度か仕事をしたことがあります。
日本人の哲学、ディテールにこだわるところ、クオリティにこだわるところを、私はリスペクトしているので、ぜひ日本でやりたいと思いました」

チャドがパンを志すことになったきっかけ。
リチャード・ブルドンが設立した伝説的なパン屋、バークシャーベーカリー
そこで自家培養発酵種(天然酵母)パンとの衝撃的な邂逅を果たした。

「最初は料理人になろうとしていました。
テキサスで育ちましたが、そこから出たいと思ったんですね。
料理人になれば、世界中どこでも職があるだろうと思って。
それで料理学校に入ったんですけど、先生のひとりに『おもしろい店があるから会いに行ったらどうか』と言われて、週末マサチューセッツのパン屋リチャード・ブルドンさんに会いに行きました。
テキサス育ちの私は、発酵種、長時間発酵のパンの匂いに衝撃を受けました。
こんなにいい匂いのパンは見たことも食べたこともありませんでした。
帰るときには弟子になりたいと決めていて、『弟子にさせてください』と頼んだんです。
『いいよ』と言われて、そこからすべてがはじまりました。
師匠はカリスマみたいな人です。
そのときガールフレンド−−いまの妻(リズさん。ペストリーシェフ)ですが−−もいっしょにいて、急にパン屋になると言いだすなんて『クレイジー』だと言われたんですけど、いまでもそれをつづけているわけです」

カントリー・ブレッドのオリジンへ遡る。
チャド・ロバートソンは大西洋を渡り、アルプスへと旅立った。

「あるときリチャード・ブルドンに
『私の師匠のところに行ってみろ。そろそろ他の人から習ったほうがいい』
と言われたんですね。
それで、フランスのアルプスにある、大きな薪窯のパン屋パトリック・ルポール(ブーランジュリー サヴォワイヤルド)に行きました。
そこに妻と引っ越して働くようになりました。
ものすごく水分量が高くて、手でもっただけだとテーブルの上にべちゃんとなってしまう、スケッパーを使わないと扱えないような生地でした。
自家培養発酵種を使っていて、発酵は長時間、薪窯をひじょうに熱く350℃まで上げて、そこからだんだん温度を落としながら焼いていく。
素材はとてもフレッシュな挽きたての全粒粉と湧き水。
そこでたくさんの経験を積みました。
フランスにいつづけたかったんですけど、若いんだから国に帰って自分のパン屋を開けと言われて、それで薪窯のあるパン屋をオープンしました」

彼は生涯かけて追いつづけることになる魂のパンをその薪窯パン屋で学んだ。
アルプスの透き通った空気と、おいしい湧き水、フレッシュな小麦粉。
発酵を見守り、火と対峙し、まさにパンを作ることは自然と対話することだった。

「パンは、粉と塩と水と薪窯を使って焼きます。
最初に教えられたのは、パンを焼くにあたって自分ができるのは、場を用意して「導く」ことだということです。
自然のプロセスに手を貸すということです。
自分の焼くパンは、最高の材料と発酵種を使って、発酵に目を配って作ります。
1日に3回種継ぎをして、酸味と甘さのバランスが適切になるようにしています。
自分がちょうどいいと思うのは、種継ぎをしてから1時間しか経ってない若い種。
それから生地をこねて、とても長い発酵をとります。
材料の可能性を引き出すために、発酵の力を材料の力といっしょに働かせます。
それを一旦オーブンに入れたら自分の手を離れて、あとは自然にまかせるしかない。
オーブンから出てくるとき、パンにはひとつひとつ表情がちがって、サプライズがあります。
もっとも楽しくて、満足する瞬間です。
それが自分にとってのパン作りだと思います」

「若い種」。
それがチャドのパン作りにとって、キーワードとなる。
さまざまな香りの萌芽、それが熟しすぎず、ひとつになる前の状態で、若々しいままに共存させようとしているのではないか。
そう思ったのは、トークショーのときに供された、わずかサンフランシスコで15時間前に焼かれたばかりのカントリーブレッドを食べたときである。

それはサンフランシスコから運ばれたとは思えないフレッシュさ、やわらかさであった。
最初にやってきたのは、荒々しい野生酵母の香り一撃。
かなりワイルドなパンだと覚悟した。
ところが…。
口溶けはクリーミー。
次々と溶け旨味の液となって、ごはんをよく噛んだときのあのやさしい甘さがあふれるのだ。
そして、ゆるやかな酸味、ヨーグルトのような乳酸菌的な甘さ、穀物的な香り…瞬間ごとにさまざまな風味が訪れて、香りたちがセッションをはじめるのだ。
なんとスケールの大きなパン。
選ぶのではなく、あらゆるものを含み込み、肯定する懷深さ。
これが、チャド・ロバートソンが見つけた「若い種」というタイミングの力なのだ。
そこには北米産小麦のパワフルさも寄与しているにちがいない。

フランスでチャドが体得したのは、パンだけではなく、パンと一体となった豊かな食文化だった。

「実際のところ、フランスではいろいろ食べあわせるというより、パンばっかり食べてました。
ただで働いていたので、ただで食べられるパンを食べていたのです。
ジャーを持っていくと農家が絞ったワインを入れてもらえるワイナリーがあって、水よりも安い。
飲んでいたのはそういうワインでした。
地元で作られたチーズが安かったんですね。
それで、カリフォルニアに帰ってからは、自分の店に乳製品を取り入れました。
私は取り入れるのが得意なんです。
日本での最初の滞在でもダシが大好きになりましたし」

サンフランシスコ近郊ポイントレイズ。
国定公園にもなっている海辺の丘陵地帯に、チャド・ロバートソンは最初の店を持った。
レンガの薪窯を築き、機械を使わずあえて手ごねで生地と向かい合った。

「最初の店はポイントレイズにありました。
冬でも寒すぎることがなく、気温が発酵にちょうどいい場所で、長時間発酵に向いています。
世界中どこに行ってもその温度帯(65°F=18.3℃)を使って発酵をとります。
家の隣りに隣接したコテージを工房にしていたので、仕事と住居がいっしょでした。
そこでひとりで働き、ベーシックな方法でパンを焼いていました。
窯があって温度が上がりやすいので、冬は窓を開けて温度を調節しながら、実験を繰り返していました。
いまは機械を取り入れているんですけど、そのときは手ごねでやりたかった。
というよりは、プリミティブなパン作りに戻ってやってみたかったんですね。
根源的なところからスタートしてなにができるか。
それを2年間つづけたわけです
日本でもそんなふうに、挽きたての粉を使って実験をして、カントリーブレッドをネクストレベルに上げていきたいと思っています」

サンフランシスコは一年を通じて気候が温暖で、温度はある程度一定している。
サンフランシスコサワードゥと呼ばれる、この地域に特有の発酵種は、そうした気候条件の賜物である。
フランスのルヴァン種によるパン作りと、地域に根差したサンフランシスコサワーのベストミックスこそ、タルティーンのパンなのだ。
翻って、東京の気候はどうか。
夏は高温多湿、冬はサンフランシスコより冷える東京の気候を味方につけられるか。
タルティーン ベーカリー トーキョーの成否を握るポイントになるだろう。

もうひとつのポイントは素材。
彼が日本にきてまずはじめたのは、日本の小麦と製粉所を探すことだ。

「きのうはそばの製粉所を訪ねたんですけど、そばの製粉はゆっくり挽いて風味を残す。
そばの製粉は風味を最優先します。
自分は20年間、発酵によって風味を出すことに尽力してきたんですけど、これからは粉。
製粉も手がけて、新鮮な粉の風味を追究していきたいと思います」

チャド・ロバートソンが、来日早々そばの製粉工場を訪れたと聞いて、鋭い嗅覚に舌を巻いた。
小麦の製粉が製パン性を考慮するのと異なり、そばの製粉はなによりも風味を重視する。
チャドが考えるパンのスタイルを日本の伝統に探すなら、そばがもっとも近しい。
彼は、パンを作ることは「メディテーション」(瞑想)だと言う。
それもそば打ちと共通している。

「日本の素材は世界的に評価されています。
季節を重視する文化があって、旬のものをもっともおいしいタイミングで出すんですね。
残念ながら、パン用小麦は例外みたいで、それはもしかしたら、小麦文化の国ではないからかもしれません。
数年前にアメリカ西海岸でも、挽きたての小麦のムーブメントが起きました。
コーヒーでは20年前からすでに起きていた動き。
ブルーボトルコーヒーのジェームス・フリーマンさんがあちらにきてらっしゃいます。
友だちなんです。
コーヒーも挽きたてがいちばん。パンも同じなんですね。
パン職人も鮮度について考えるようになった。
肉や魚はすごく新鮮さにこだわっているのに、小麦だけは古いものを出されたりします。
穀物は特にそういう傾向があります。
それを変えるムーブメントを起こしていきたい。
日本の製粉技術は正確ですけども、新鮮さについてはそうではありません。
細かく挽きすぎていますし、外皮をぜんぶ除いてフレーバーをなくしてしまうというやり方が残念なので、パートナーとしていっしょにやってくれる製粉所を探しています。
他のパン職人と組んで、自分たちで粉を作るようなムーブメントを起こせたらいいですね」

期せずして、同じくサンフランシスコ発であるブルーボトルコーヒーのオープニングパーティ翌日に、このトークショーが行われたのは象徴的である。
第三世界の農場を訪れて自ら豆を仕入れ、その風味がもっとも活きるような焙煎・抽出を行う、サードウェーブコーヒーのムーブメント。
それに触発され、アメリカ西海岸で、挽きたての小麦によるパン作りが、すでにブームになっていたというのだ。
昨年「小麦ヌーヴォー」が行われたり、日本でも同じムーブメントが同時並行的に動きだしていたところだった。
まさにグッドタイミングで到着した「黒船」が「挽きたて」のムーブメントを強力に後押しすることだろう。

「日本の小麦がどれぐらい使えるかについてはリサーチ中です。
池田さんにアドバイスをもらったり、正人(THINK GREEN PRODUCE代表取締役の関口正人さん)と製粉所をまわっているところです。
できれば日本の小麦を100%使いたい。
それができるかはわからないんですが、うまくいくバランスでやりたいと思います。
できるだけ日本の農家をサポートしたい。
それで足りなければ、各国の小麦を使うことを考えたいと思います。
日本の小麦の質はすばらしいですし、いまのところ焼きあがったものもとてもおいしいので、いい予感がしています」

サンフランシスコに、日本の十勝産キタノカオリ(アグリシステムのもの)が持ち込まれ、すでに試作が行われている。
「I like Mochi Mochi」(日本の小麦はもちもちの食感が特徴)とチャドは笑って言う。

ミューズリーやグラノーラといった穀類を見直す動きも、タルティーンが大きな関心を寄せるところだ。

「雑穀がぎっしり詰まっているパンなんかもこれから作っていきたいと思っています。
カントリーブレッドをベースに、いろんな穀物を練りこんだようなパンをどんどん作っていきたい。
そばだったり、押し麦だったり、大麦だったり、そういうものを入れたい。
栄養価があるのにいまあまり食べられていない穀物をとれるように。
穀物にはフレーバーがあります。
パンと合わせることでフレーバーの集合を作り、満足感のあるパンを作っていきたい」

サンフランシスコでは、かぼちゃの種、粗挽きのとうもろこし、ローズマリーを入れた「ポレンタ」、ゴマ、フェンネル、ポピーをまぶした「セモリナブレッド」を提供するなど、タルティーンのパンは穀物の香りにあふれている。
それは現代が失ってきた食文化への回帰だ。
チャドは日本の伝統的な穀物に関心を抱いている。
アワやヒエといったいま食べられなくなった穀物、玄米のような精白しない素材にも新たな光が当てられるはずだ。

「かって人びとはもっと全粒粉を食べていたはずです。
消化できるまで調理するのはいまよりもたいへんだったはずなのに。
日本にきて麦ごはんにとろろをかけて食べたんですけど、麦ごはんには香りがあるので白米よりとろろに合いますね。
現代では、精白したり、精米したものが好まれるようになっていっていますが、玄米のほうが栄養価もあると思います。
パンもいっしょで、全粒粉や雑穀のほうが、味も風味も繊維質もあります。
かってのところに原点回帰させたいと思っています」

チャドはうなぎやそばといった日本食を好む。
焼き鳥から得たインスピレーションは、カントリーブレッドのスライスに醤油を塗ってバーベキューのように焼くというNYでのイベントに結実した。
あるいは、焼きそばパンを作るというアイデアまである。
カフェで供されるピッツァやタルティーヌにも日本ならではのメニューが登場する予定だ。
タルティーヌと日本食が出会ってどんなケミストリーを起こすか、興味深い。

「いろんなものに対して僕はオープンでいたい。
人からも素材からも、日本にきてインスピレーションをすごく受けているんですね。
サンドイッチを作るのも日本の素材を使いたいし、いろんなものから影響を受けて決めていきたいと思っています。
パンに重量感があって、旨味がたくさんあると、お肉とかおかずみたいな扱いで、焼いたりとかできると思うんですね。
最高の素材を使って、自分のできることをやりたいと思います」

カントリーブレッドは発酵種だけで作られるが、バゲットのような薄い皮が要求されるものや、クロワッサンやブリオッシュのような「ペストリー」には、パン酵母(イースト)も併用される。

「生地は3、4種類がありまして、ポーリッシュ種を使ったり、若いものや熟成したものを使ったり、パン酵母も使うんですけど、必ず発酵種は合わせるようにしています。
発酵種を入れると消化しやすくなりますし、栄養価も高いからです。
ブリオッシュでも、(最後の種継ぎからの熟成が)1時間ぐらいの、作ったばかりの発酵種を使うんですね。
そうすると、すっぱくないんですけど、すごくおいしいものができます。
バゲットもそうで、若い発酵種を入れると、甘くて深みがある、おいしいものになります」

サンフランシスコのタルティーン ベーカリーで、午前中の名物はクロワッサンだ。

「おいしいクロワッサンは東京にすでにいっぱいあって、パリよりも多いぐらいなんですけど、僕もこの町で作るのがとても楽しみです。
バターを折り込んで、発酵種も入れて、24時間の長時間発酵を行います。
挽きたての小麦を使います。
日本ならではの素材でフレーバーをつけようと思っています」

かっては手でこね、薪窯を使っていたが、いまは手に入る限り最高の機械を求める。
たとえば、サンフランシスコにある巨大なオーブン。
それは薪窯に匹敵するような破格の蓄熱量を誇るけれども、段ごとの温度調節ができない。
だから、午前中にペストリー(クロワッサンなどのヴィエノワズリー)を焼き、午後にパン(カントリーブレッドやバゲット)を焼く。
夕方にこなければパンを手にすることができないという風変わりな、しかし頑固な営業形態は、このオーブンに起因するのだ。
東京ではどうなるのか。

「サンフランシスコで使っているオーブンは日本に支店がなくて、ハイン社(ルクセンブルグ)の同じようなタイプのものを使うことになりました。
前から使いたかったオーブンなので、楽しみにしています。
段ごとに温度調整ができるので、パンを1日3回出しながら、同じオーブンでペストリーも焼こうと考えています」

ハイン社のオーブンはヨーロッパでも最高の性能を誇る。
炉床に石が使われ、内部に張り巡らされたパイプを特殊なリキッドが循環することにより、薪窯に近い効果を得ることができるのだ。

かってチャド・ロバートソンは午前中サーフィンを楽しみ、午後にパンを焼いていた。
仕事に埋没せず、人生を楽しむという姿勢は、パン作りにもいい循環を起こしているにちがいない。

「タルティーン ベーカリーのシフトには夜勤がないんですね。
朝4時に働きはじめたとしても午後には終わります。
東京では2シフトにしたいと思っています。
6時にはじめたら午後早めには終わる。
もうちょっと遅めの10時にはじめたら夕方には終わる。
クレイジーな時間帯に働かせることはしません。
効率を上げて、できる時間にできることを一生懸命やってもらって、パンの新鮮さを保つためにもすごく大事だと思います」

日本のベーカリーはどこでも長時間労働を強いられている。
タルティーンでは、仕事の効率を上げ、集中して取り組むことで労働時間を短くしている。

「タルティーンには世界中いろんなところから働きにきた人がいます。
はじめてきた人は、働いている人の態度とか、幸せそうな感じとか、リラックスしていることにびっくりするんですね。
だんだんなじんでくると、ただリラックスしてるだけじゃなく、すごく真剣だということがわかる。
それはバランスを保っているからだと思います。
お互いにサポートしあって、チームワークがとても強いですし、たとえば病気のときにも助け合って、ストレスがない。
とても自信があるので、リラックスしているんですけど、真剣なんですね。
そのバランスだと思います」

リラックスしているから楽しく、真剣に仕事ができる。
真剣だから集中して短時間に仕事ができる、というバランス。
ややもすると長時間労働になりがちな日本のベーカリーに、タルティーンが新しい風を吹きこむことを期待したい。(池田浩明)

2015年2月4日、DAIKANYAMA T-SITE GARDEN GALLERYで行われた、TARTINE BAKERY Chad Robertson Talk Session In Tokyoにて収録。
出演は池田と関口正人さん。

翻訳協力・茂木恵実子(フェルマンタシオン)

(北海道の小麦畑を訪ねるチャド・ロバートソン)

パンラボ特別編集『パンの雑誌』をガイドワークスより5月下旬に発売します。
タルティーン ベーカリー日本上陸に密着したドキュメントも掲載する予定。
お楽しみに。
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ブーランジュリー メルク(岡町)
7軒目(関西の200軒を巡る冒険)

カルヴェルの弟子が国産小麦に傾倒
「パンの神様」レイモン・カルヴェル(日本にフランスパンの神髄を伝えた、元フランス国立製粉学校教授)の弟子。
そう自ら任ずる古山雄嗣さんの姿を、国産小麦の大生産地・十勝で見かけたときは意外に思った。
カルヴェルといえば、彼の監修の下に作られたのが、フランスパン専用粉・日清製粉リスドオル。
この粉を使うことが、フランスパンの正統だと信じ、国産小麦を使用することを躊躇するパン職人が少なくないのだ。
にもかかわらず、古山さんはいま国産小麦に傾倒している。
私が問うと、答えは明瞭だった。

「ひとつの粉しか使うたらあかんなんて、カルヴェルさん絶対言えへんわ。
あの人は材料に固執したことなんてない」

(アグリシステム主催の小麦ヌーヴォーツアーにて土蔵信さん[左]の農場で。中央の帽子をかぶった人物がブーランジュリー メルク古山雄嗣シェフ)

60を越えたベテランがスタイルを変え、さらに進化しようとしている。
古山さんは近年、十勝産小麦の使用へと大きく舵を切った。

「内麦にすごく興味がある。
北海道の農家さん、パン屋のことを考えてくれとる。
日本のパン屋の味方や。
こういう内麦って年によって(製パン性が)ええことも悪いこともある。
悪いことあってええんよ。
お客さんに、今年の粉こうやからこういうパンできましたでええんや。
それがほんまの手作りや。
品質の安定とか考えんでええ。
そういう粉をなんとかするのがパン職人。
できんかったらパン屋やる資格なし。
小麦粉は農産物やろ。
それを大手製粉会社が(あまりに便利な小麦粉を作って)工業製品のようにしてもうた。
うまいパン作りたいから、とにかく(風味の)ええ粉もってこいいうことや」


「パンの物性は高分子工学といっしょや」
パンを科学する。
早口の関西弁でまくしたてる。
常識にケンカを売り、パン業界の旧弊に噛みつく。
極めて理論的に。
最初はまるで怒っているように思えるけれど、話に耳を傾けていると、それが真実を愛するというたったひとつの情熱からやってくることに気づく。
それは元研究者という経歴と大いに関係がある。

「大学では化学を専攻しとった。
高分子工学いうてな、接着剤をやっとったんや。
大阪府立技術研究所を出て、会社に就職した。
ところが52で親父が亡くなって。
えらいこっちゃ、会社辞めなしゃあない」

突然、家業のパン屋を継がなくてはならなくなったのだ。
生地に触ることすらはじめてだったにもかかわらず。

「パンのことなんて、なんもわからへんわ。
とにかく専門書を読んで、発酵ってどういうことか調べた。
パンの物性も高分子工学といっしょやとわかった。
接着剤を練っとったんが、パンを練るようになっただけ。
粘弾性理論いうのを研究しとってな。
粘性と弾性。
平たくいうたらな、ピストンとバネいうことや。
ピストンは粘っこくて、引っ張ったら戻るまで時間がかかる(粘性)。
バネはすぐ戻るやろ。
弾性や。
パン生地は両方を兼ね備えてる。
こうやったらできんねんなということはわかったけど、理屈だけではでけへん。
失敗しながらやっとったら、理屈と経験がうまいこと合うてきた」

発酵とボリューム・食感の関係。
どう練れば、どうふくらむのか。
神秘的に見えている発酵の世界に、科学の照明は明快な見取り図を与えたのだ。


「腕のいい職人は生地に空気を抱き込まん」
一方で、古山さんは伝統を重んじてもいる。
そこに、過去のパン職人たちの叡智と思考が積み重なっているからだ。
彼は、ドイツの長い伝統を引き継ぐ老舗に教えを乞う。

「フロイン堂(神戸にある手ごねと薪窯の店。昭和7年創業)に1年通った。
毎週木曜日に親父さんと話してて。
勉強になったわ。
パンに対しての考え方は、あそこのパンがベースになってる」

フロイン堂は手ごねを伝統とする。
船と呼ばれる公園のボートのような巨大な桶に大量の粉と水を入れ、両手でこねる。
こねあがった生地は最後に頭の高さまで抱え上げられ、船の底に叩きつけられる。
それはなぜなのか。

「パン職人は、生地を叩いたらよくふくらむいうけど、それはちがう。
あれは空気を抜くためのもの。
あの空気が発酵を阻害すんねん。
腕のいい職人は、空気を抱き込まんように仕事する。
丸めるより畳んで、空洞ができんようにする。
窯に入って生地があたたまり、空気が膨張すると、気泡を破りよるやろ。
フロイン堂でやっとわかったんや。
空気が入ると窯伸びが悪い。
ぼこって穴が空くねん。
だから、丸め方が大事」

メルクトースト
ぷりぷりして、すーっと溶けていく。
純白のうつくしい香り。
ミルクが滲みだし、後味に麦が香りだす。
中身を噛むと、きゅっきゅと鳴り、ぷるんぷるんとはずんで、そしてしゅわーっと甘さが口中に弾ける。

「でけへんやろ、こんな軽いの」
と言いながら、古山さんはクロワッサンを持ちだす。
「きれいやろ、この内相。
でんぷんの性質が強くなるから、クロワッサンで長時間発酵はよくないねん。
酵素活性によって粘りが強くなって、コシがついてしまうから。
冷蔵発酵してるんやけど、捏ねあげ温度を下げて、生地をやわらかく作る。
そうすると、軽くて口溶けいいクロワッサンになる。
クロワッサンはちょんまげ持てるぐらい軽くなかったらあかん。
コーヒーに漬けて食べるような食事パンやからね」

ちょんまげとは、クロワッサンの中央の背の高い部分のこと。
たしかにメルクのは自重がおそろしく軽いので、そこを持っても崩れない。
リーンという言葉が、クロワッサンの表現に使われることはあまりないが、あえてそう言いたい。
皮はさくさく、中身はふわふわ。
癖や余計な香りがなく、あっさりとして、みずみずしい。
一気に溶けて、口の中から存在が消え去る。
そしてバター感だけがふんわり漂っている。
たしかに、あまりの軽やかさゆえ、ごはんにお茶をかけるように、コーヒーに浸してみたくなるのだ。

なぜ国産小麦はもちもちするのか
古山さんは科学的思考をもって国産小麦に取り組む。
たとえば、国産小麦ならではのもちもち感。
それがなぜ生じるのか、科学的に説明できる人は多くない。

「国産小麦は低アミロースいうて、でんぷんの中に比較的アミロースが少なくてアミロペクチンが多い。
アミロペクチンが多いともちもちするといわれるけど、理屈はむずかしいねん。
アミロース:アミロペクチンの比率。
外麦でも内麦でもだいたい2対8。
内麦がアミロペクチン多いといっても約4%(品種にもよる)だけやねん。
なにがちがうかというと、アミロースは直線で、アミロペクチンは枝分かれした形。
アミロペクチンはからみが多くなって、粘っこい。
高速で練ったら、よけい繊維がからむやろ。
生地が痛みやすい。
だから国産小麦はデリケート。
ベンチタイムを充分にとらんと、生地が破れるねん。
水をたくさん入れなあかんし。
やわらかい生地を仕込んで、低速でゆっくり練って、ゆっくり発酵させる。
わしの場合、はじめはイーストも入れない(パート・オートリーズ法)。
ゆっくり待って作らんとでけへんねん。
だから、街のパン屋(リテールベーカリー)向きの小麦やねん。
大手は高速で練るから絶対無理よ。
国産小麦は理屈をわかってせなあかん。
職人の勘だけでは手強いで」

国産小麦ならではの風味、そして繊細であるゆえパンが作りづらいということに、むしろリテールベーカリーの生き残りの可能性を見る。
技の勝負なら絶対負けへん。
古山さんの鋭い言葉からは職人魂がびりびり伝わってくる。

カルヴェルに導かれ秘境のパン屋へ
フランスパンを世界中に伝道したレイモン・カルヴェル。
1954年以来約30回の来日を果たし、2005年に逝去したこの人物は、私にとって歴史上の偉人だが、古山さんの心のうちには、目の前にいるかのような濃厚さで記憶がしまわれている。

「講習会で、いちばん前に座って質問した。
顔を覚えてもらおうと思って。
自分が作ったバゲットの写真を送ったら、ちゃんと返事が戻ってくる。
講習会のアシスタントをやらせてくれたり。
フランスのパン屋も紹介してくれて、15、6軒を3ヶ月でまわった。
パリでも3回会ったね。
電話したら、アパルトマンにきてくれる。
『あそこ行け』『ここどうやった?』。
カルヴェルさんが教えてくれる店、とんでもないとこばっかりやで。
地図にないんやから」

「300年つづいてる、フランスでいちばん古いパン屋のひとつ。
カルヴェルさんの友だちの店やな。
そこのパン、フランスでいちばんうまいやろ。
サン=ナゼル・レゼールという200人の村。(リヨンから東へ行ったアルプスの山岳地帯に位置する)。
アノールさん、当時65のおじいさんがやってた。
石窯でこんな大きな2キロのカンパーニュを焼いてる。
行商人が、買いにきよる。
20個ぐらい袋に入れて、(近傍の)各村に売りにいく。
後継者おれへん。
『わしの代で終わりや』言うとった。
アノールさんといっしょに、ムッシュ・デュマという、(もうひとつの)300年つづいてるパン屋にも行った。
パン・ド・ボケールというパンがあって。
生地を伸ばして、水を塗って、畳む。
水塗ってるから、ファンデュみたいに割れる。
そんなパン歴史の本にしかのってない」

この世には知られていないパンがまだまだ眠っている。
水を塗ることで、生地をくっつかないようにするというのだ。
歴史の彼方へ過ぎ去ろうとする見知らぬパンたちの礎の上に、レイモン・カルヴェルの近代的な製法はあり、さらに現代のパンがある。
そのことに敬意を払ってパンを作ることと、そうでないことには、目に見えないけれどはっきりとした差があるはずだと思う。

パン・ド・ロデヴ
くしゅくしゅっとした感じの中身が、しゅわっと溶けてなくなる。
気泡膜が薄いせいにちがいない。
発酵の香りは梅干しにも似て、すがすがしい。
皮は薄くてぱりぱりで、くるみのような香ばしさがあり、噛むたびに旨味があふれる。

古山さんはフランス修行に、4人の子供と妻を連れていった。
費用、時間…かかったものは多かったはずだが、それでも同行させたのは、なぜだったのか。

「5歳、3歳、2歳、1歳の子供と嫁はん、連れてった。
なんでかいうたら、価値観の共有。
価値観がちがうと生きづらい。
特に嫁はんとは同じ仕事を365日やるわけやろ。
同じ価値観もたなあかんねん。
ひとりでフランスに行ったら、そこで自分が見たもん、聞いたもんと、嫁はんとのあいだにギャップができる。
あのときどうやったこうやった言うても、わからんやろ。
バゲットはパリではこう食べるとか、お客さんに伝えるのが大事。
それが、フランスのパンのこと(販売する妻が)知らんかったら、話にならん。
パン職人にもよう言うねん。
『おまえの作ったパン、奥さんがPRしてくれんと、売れへんやろ』」

かって古山さんに「フランスの食文化は三位一体」と教えられたことがある。
ワイン、チーズ、そしてパン。
古山さんはワインやチーズにも造詣が深く、惜しくも閉店したメルクカフェではそれらとパンとのマリアージュを楽しむこともできた。
パンは単体ではなく、食文化の一角と古山さんが考えるようになったのは、フランスでの経験が大きい。

「なんでフランスには山羊のチーズ(シェーブル)と羊のチーズがあるのか。
山岳地帯で羊は登られへんから、山羊を飼う。
南フランスの平地ではロックフォールとか羊のチーズが食べられてる。
チーズがその土地の原乳から作られるように、地元で生産できる素材から食べ物は作られる。
それが土地土地の文化になるんや。
地元でとれたもので地産地消する。
ワインも、よその地方のなんか飲まへん。
日本でも田舎料理あるのといっしょ。
そういうこと知らずして、パンなんかできへんわ」

古山さんが国産小麦に真剣に取り組もうとしているのは、地産地消が当たり前であるフランスの食文化を知ったことが背景にある。
考えてみれば、日本のパン作りは、はるばる北米から小麦粉を運んでくることが当然視されていた。
ワインであれ、チーズであれ、あるいは他の食材であれ同じこと。
世界中からもっともおいしいもの、もっとも安いものを買い漁って自分のものにする。
そのことになんの違和感も覚えない麻痺が、私たちの食が乱れた根底にあるのではないか。
失われた大事なもの。
それを取り返そうとする老兵に古山さんが見えた。

小麦粉に限らずあずき、ハム、卵…とメルクではおいしい素材を使い、手間を惜しまずあらゆるものを自家製造する。
「小豆なんか最高級。
和菓子でもなかなか使えへん十勝の大納言。
我々あんこ屋やないから、あんこ炊く技術ない。
技術ないの素材でカバーせなしゃあない。
せやから『最高の小豆もってこい』言うてる。
銅鍋であずきをゆっくり炊く。
卵でもそう。
無添加の抗生物質入ってないものを京都から仕入れてる。
卵に入っている抗生物質はアトピーの原因といわれてるんやで」

あんぱん
甘さは飛び跳ねず、最初から最後までつーとおだやかに推移していく。
いつまでも衰えない長い余韻。
上品な甘さと上質な小豆によるものにちがいない。
それはあっさりとした生地とすごくなじむ。
さわさわと歯切れ、しゅわしゅわと溶ける。
あんこと生地のシンクロする口溶け、心地よさを倍増させる。

十勝でオーガニックの小麦を挽く製粉工場(アグリシステム)を見学した直後、このふすま(小麦の外皮)で低GIの病院用パン(パン・オ・ソン)を作りたいと熱っぽく語っていた。
職人技と「理屈」でもっとよい社会にできないかという視点を、古山さんはいつも持ちつづけている。

「粉アレルギーも深刻や。
それまで大手のパン入れとった近所の保育園に、うちのパンを卸しはじめた。
いままでパンを食べられへんかった子供が、食べれるようになったいうて、お母さん、店の前にきて泣くんやで。
添加物はよくない。
あんなもん食べつづけたら絶対あかん。
マヨネーズもうちは自家製。
うちのは卵と酢と油だけやもん。
それでサンドイッチ作ったら、むちゃくちゃうまい」

厨房が物語る思考と努力
厨房を見せてもらう。
そこには、ベテランパン職人の、思考と努力の跡が刻まれていた。

自作のホイロ(最終発酵をとるための機械)。
ガスを引き込みお湯を沸かすようになっている。
「いつも湿度75%、温度28℃。
生地の表面を触って、しっとりした状態になる。
これがいちばんええ」

特注のオーブンは、炉床に厚めの石を使うことによって蓄熱性が高められ、石窯のような効果を発揮する。
そしてミキサーのフックは、粘弾性理論から最適だと導かれたこね方ができる形をメーカーにアドバイスした。

「これメーカー(エスケーミキサー)と共同開発したんや。
先端に生地をひっかける。
このフックは、ミキサーボウルの壁に生地がくっつきそうと思ったら逃げるから、摩擦熱かかれへん。
ひょうたん型になってるから。
回転数もローが1分間に98回転しかせえへん。
むちゃくちゃゆっくりにしとる」

そして、ミキサーの横にかけられた古い湿度計。
これは古山さんのパン作りにとって、もっとも重要な「基準」だという。

「厨房に入ったら最初に湿度計見る。
それ見て、その日の段取り決める。
温度把握せんと、どうやって仕事するねん。
カルヴェル先生、パンを作るとき、いつも小さいメモ帳に書いてた。
室温、粉温、仕込み温度もぜんぶメモしとる。
『先生やったら、そんなことせんでも勘でできるんちゃいますか?』って言うたことある。
『ばかもん!』
ものすごい大きな声で怒られて、恥かかされた。
『君はなにもわかっとらん。
計量・温度・時間は、パン作りの3要素。
それ守って、やれ』
あの人はぜんぶメモしはる。
そうせなあかんわけやからやろ。
カルヴェル先生でも100回が100回は成功せえへん。
料理、お菓子とちがって、パンは焼きあがるまでわからへん。
ミステリアスな仕事やで」

古山さんは毎朝厨房にきて湿度計を見るたび、師の教えを思いだし、胸に刻むにちがいない。(池田浩明)

阪急電鉄宝塚線 岡町駅

06-6854-3005
6:00〜18:00(日曜休み)

200(阪急宝塚線) comments(0) trackbacks(0)
シニフィアン・シニフィエのパンづくり上映会@京都
京都で「パンの水先案内人」活動を行っているPAINLOTの主催で、「シニフィアン・シニフィエのパンづくり」を映画館のスクリーンで見ようというおもしろい企画が行われる。
クラフトとインテリジェンスが合体した、志賀勝栄さんのハイパー名人芸。
それが実寸大より大きく映し出され、多くの人の視線にさらされるとは、なんとも刺激的な体験ではないか。
残念ながら志賀勝栄シェフのご参加はいただけない。
第一人者の代わりは到底務まらないけれど、私が志賀シェフのアクロバティックな思考について思うところをお話させていただく予定。
映像の中に登場するシニフィアン・シニフィエのパンを食べることもできる。
お近くの方はぜひ足を運んでください。(池田浩明)


【以下、PAINLOTによる公式情報】

【前代未聞ーー。スクリーンで見るシニフィアン・シニフィエのパンづくり。】

“パンを食べワインを飲むことは身体の混合である”(『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著、P102、河出書房新社、1994年)

シニフィアン・シニフィエ。言語学や思想に関心をお持ちの方であれば、この言葉にピンとくるのではないでしょうか。筆者も学生時代に現代思想を学んでいたため、店名を知ったときに大変驚いたことを覚えています。

東京三宿にある、そのお店は日本でも著名なパン屋さんです。否、「パン屋さん」というカテゴリーを越境し、パンづくりの領域を拡張し続ける存在と言えるでしょう。低温長時間発酵、多加水、気泡をつぶさない生地、こねないパン……。日々の研究からパンを生み出すのは、パン職人・志賀勝栄さんです。レシピは本や講習会などで惜しげも無く公開し、新しいパンづくりの普及にも取り組んでいます。

一方で、2014年に刊行した『パンの世界 - 基本から最前線へ』ではレシピを掲載せず、中身は文字で埋め尽くされているという、これまた異例の本となっています。しかし、パンの歴史を自身の経験を交えながら紐解き、発酵や酵母についてじっくりと言及できるのは、60歳を迎える今でもパンづくりの第一線に立つ志賀勝栄さんだからこそ。

パンづくりの工程を映画館で上映する。これは前例のない試みだと思います。当日は上映に登場する山型食パンのパン・ド・ミ、志賀勝栄シェフの代名詞であるバゲット・プラタヌ、そして赤ワインの生地にドライフルーツやナッツをふんだんに使用したパン・オ・ヴァンの試食が付きます。また、京都初、関西地方でも稀となるパン販売会も開催。

さらにさらに、トークショーにパンラボの池田浩明さんをお迎えします。シニフィアン・シニフィエ志賀勝栄さんへ取材経験もある池田浩明さんは、パン本や雑誌、ラジオなどのメディアでひっぱりだこの「パンの伝道師」的存在。シニフィアン・シニフィエの哲学とは何なのか? みなさんと一緒にパンづくりを鑑賞し、実際に味わいながら、お話を伺います。

“いずれにせよ、シニフィエというものは、シニフィアンとの関係の外には存在せず、最終的なシニフィエとは、シーニュ(記号)の彼方に拡大して適応されるシニフィアンの存在そのものなのである”(『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著、P86、河出書房新社、1994年)

■パンの日
4月12日は「パンの日」。1842年4月12日、江川太郎左衛門は「兵糧パン」を本格的に製造した日とされる。その昔の戦では、お米は炊くと煙が立ち上り、敵に居場所を把握されるため、保存性と携帯性に富んだパンが重宝されたという。「パンの日」はパン食普及協会が1983年に制定し、毎月12日にキャンペーンを実施しているベーカリーも多数。シニフィアン・シニフィエも「パンの日 限定パン」を販売している。

■池田浩明 http://panlabo.jugem.jp/
パンを食べ、パンについて考える「パンの伝道師」。パンの研究所「パンラボ」では全国のベーカリーを取材する。222店舗をまわり458種類をコンプリートした『パンラボ』、パンだけ食べて日本横断した『パン欲』、東京200軒を巡る冒険『サッカロマイセスセレビシエ』など著書あり。また、雑誌やラジオなどのメディアでも寄稿や出演多数。現在、関西200軒を巡る冒険も敢行中。

■シニフィアン・シニフィエ http://www.signifiantsignifie.com/
2006年10月オープン。東京は池尻大橋と三軒茶屋の中間に位置する三宿にお店を構える。カフェ・アルトファゴス、パティスリー・ペルティエ、ユーハイム・ディー・マイスター丸ビル店、フォートナム・アンド・メイソンなどでシェフ・ブーランジェを兼任した志賀勝栄さんがオーナーシェフを務める。圧倒的な研究量から生み出されたパンは、多くの支持を受け、世界ベストレストラン20位に選ばれた、東京南青山のNARISAWAなどにも卸している。

■京都みなみ会館 http://kyoto-minamikaikan.jp/
京都駅にも近い、世界遺産に登録された東寺から歩いてすぐにあるミニシアター。その歴史は古く、1964年に開館。ワンスクリーンの小さな映画館であるものの、気鋭若手スタッフによる独自のオールナイト上映を精力的に開催するなど様々な企画を実施。PAINLOTとの企画では、京都のベーカリーを中心においしいパンと映画を楽しんでもらう催し"パンと映画をめしあがれ"をPAINLOTと不定期で開催中。

■PAINLOT http://painlot.com/
パンロット(PAINLOT)はパン(PAIN)の水先案内人(PILOT)として、様々な「パン」に関する情報をシェアするためにスタートしたプロジェクト。新店舗、マルシェ、パンイベント、新刊情報などのニュースを中心に、文化、歴史なども探求することを目的とする。独自イベントも不定期で開催。

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企画名:シニフィアン・シニフィエのパンづくり上映会
日時:2015年4月12日(日) - パンの日 -
時間:11時半から13時半
場所:京都みなみ会館
上映:シニフィアン・シニフィエのパンづくり - ミキシングから焼成までの全行程(約40分)
トークショー:シニフィアン・シニフィエ志賀勝栄のパンはかく語りき
トークゲスト:パンラボ池田浩明(約40分)
物販:シニフィアン・シニフィエのパン(売切次第終了)、志賀勝栄シェフサイン入り本&DVDの数量限定販売、パンラボや池田浩明さんの本&グッズ販売とサイン会
料金(パン・ド・ミ、パン・オ・ヴァン、バゲット・プラタヌの試食付き):
・【3月31日まで受付】パンセットチケット2700円(鑑賞チケット大人1枚、パン・ド・ミ ハーフ(6枚切り)、バゲット・プラタヌ ハーフのセット。物販へ並ばずにご購入いただけます。売り切れの心配もございません。)
・大人1800円(当日2300円)
・中学生以下900円(当日1300円)
・3歳以下無料(試食無し)
チケット販売場所:京都みなみ会館、PAINLOTメール予約(info@painlot.com)
協力:シニフィアン・シニフィエ
共催:京都みなみ会館
企画:PAINLOT

※メール予約者は当日11時15分までに場内ロビーにてチケットをお引き換え下さい。
※入場順・販売順は京都みなみ会館でチケット購入者→メール予約者→当日券購入者の順番になります。
※『シニフィアン・シニフィエのパンづくり - ミキシングから焼成までの全行程』上映時間は約40分です。
※トークショーは約40分です。
※シニフィアン・シニフィエ志賀勝栄さんの来館はございません。
※パンの販売はトークショー後に実施します。多くの方にご購入頂けるよう、お一人様1種類につき1個ずつとさせて頂きます。余った場合は更にご購入頂けます。
※パンのみのご購入は15時より実施します。完売の場合、販売はございません。当日の状況はPAINLOT(@painlot)または京都みなみ会館(@minamikaikan)のツイッターでお知らせします。
・人気のバゲットや食パンは完売が予想されます。確実に購入したい方は「パンセットチケット」をご利用下さい。
※志賀勝栄さんサイン入り『パンの世界』『酵母から考えるパンづくり』『シニフィアン・シニフィエのパンづくり - ミキシングから焼成までの全行程(DVD)』は数部販売しますが、ご購入検討の方は3月31日までにお知らせ下さい(こちらは上映をご覧にならない方もお申込み頂けます)。
※池田浩明さんの本『サッカロマイセスセレビシエ』を販売。ご購入でサインをして頂けます。
※パンラボキーホルダーの販売も行います。
※パンや本をご購入される場合、エコバッグのご持参をお願い致します。

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