パンの中にはすべてがある。
たとえば、どこかのパン屋に取材に行き、厨房でパンを作るところを見せてもらう。
取材のあとパンを買って食べると、さっき厨房で見たものの味がしている。
あのとき入れていたのと同じ種の香りがし、あのようにミキシングしたからこの味になり、あそこであんなふうに成形したからこの食感になる、というように。
見た目だってそうだ。
パンの内相を見るとき、そこに現れる気泡は、発酵時間に酵母が息をした跡であり、ミキサーのフックが生地をかきまわした軌跡でもある。
今回、京都の南会館という映画館でシニフィアン・シニフィエの志賀勝栄シェフの講習DVDを上映し、そのあとDVDの中で志賀さんが作っていたパン3種類を食べる。
なんて刺激的な体験なんだろう。
そのとき食べるパンはDVDを見ながらイメージしていた味と同じなのかどうか。
反対に、いま感じているこの味は、たしかにDVDの中で志賀さんがしたことの結果なのかどうか。
想像すること、発見することはすごく多いはずだ。
パンロットさん主催のこのイベントで私も話をさせていただく。
本来志賀さんが話をすべきで、私にその代わりが務まるはずもないけれど、みなさんといっしょにパンを考える機会にしたいと思っている。
3種類のパン
バゲット・プラタヌ
志賀さんのバゲットは甘いとよくいわれる。
志賀さんが先駆けとなった長時間発酵バゲットはいまや多くのパン屋で行われるようになり、むしろ多数派となった。
どのバゲットを食べても甘い状況で、志賀さんはもっと先に行っていると思う。
甘いことは当たり前で、問題はどう甘いかなのだと。
バゲット・プラタヌの皮に嗅ぐなんともいえぬ香りをどう表現すべきだろう。
その言葉をみなさんといっしょに探したいと思う。
手がかりになるのは、このバゲットの皮が赤い、ということ。
赤いことから連想して、答えにたどりつけないだろうか、と思っている。
パン・ド・ミ
先日、東京のコレド日本橋で行われた魯山人の展覧会。
そこで紹介されていた魯山人の言葉を読んだとき、思いだしたのは志賀勝栄さんのことだった。
「おいしいものは新しい」
これぞまさに志賀イズム。
「新しい」ことこそ「おいしい」のだということを、志賀さんは少しも疑わず、前に前に進んでいく。
このパン・ド・ミを人に食べさせると、その食感や味わいにみんな驚く。
そして、みんなおいしいと言う。
私も何度食べてもこの食パンに感動する。
このパンは志賀さんならではの名人芸によって作られる(それがなにかいまはまだ言わない)。
映画館の大画面でそれを見るのが本当に楽しみだ。
パン・オ・ヴァン
志賀さんのパンは考えるパンである。
志賀さんはパンを作ることを通じて考える。
それは頭で考えるというより、舌や鼻で考えるのであり、生地を触る職人の手が考えるのであり、酵母たちが彼らの振舞いを通じて考えるのだ。
そしてそれを食べる私たちは、食べることで考える。
このワインのパンになぜピスタチオとアーモンドとクランベリーとシナモンとその他のナッツが入っているのか(あるいはなぜレーズンは入っていないのか)。
それを考えながら食べていても、結局おいしすぎて考えることを忘れてしまうかもしれない。
いや、それでいい。
我を忘れて楽しんでいるときこそ、ひょっとしたらもっと考えているのかもしれないからだ。
パンについて考えることはそんなふうに楽しい。(池田浩明)
シニフィアン・シニフィエのパンづくり上映会
2015年4月12日(日)11時半から13時半
場所:京都みなみ会館(近鉄京都線東寺駅すぐ、京都駅八条口から徒歩20分)
詳しくはパンロットのホームページで