パンの研究所「パンラボ」。
誌面では紹介しきれなかったパンのあれこれをご紹介します。
パンのことが知りたくて、でも何も知らない私たちのための、パンのレッスン。
イエンセン(代々木八幡)
第38軒目

デニッシュにはもちろん、とてもおいしいと思えるものもあれば、それほどでもないと思うものもある。
しかしどれもが、これがデニッシュである、という常識の幅の中に収まっていることに変わりはない。
イエンセンのデニッシュに限ってはそうではない。
なにかが圧倒的にちがう。
そして一度食べると、イエンセン中毒に陥ってしまう。
まるで恋に落ちてしまったかのように、知らず知らずのうちにイエンセンのデニッシュのことを考えている自分に気づく。

それは、私だけではないらしい。
「親愛なる和田さん」
という書き出しではじまる、店内に貼られた1通の手紙。
「あなたのベーカリーが東京に有るという事はまさに、大都市に小さなデンマークを発見したほどの嬉しい驚きでした。
大使館員をはじめ妻と私は昨年中何回となくあなたのパンとペイストリーを頂きましたがデンマークの最高級品に匹敵する素晴らしい味でした。
ベア・グローツ 駐日デンマーク大使」

私が久しぶりにイエンセンを訪れた日も、朝の会議にどうしてもデニッシュが必要だといわれ、デンマーク大使館に朝7時にデニッシュ・ペストリーを納めたと、店主の和田さんは話していた。
「デンマーク人の会議では、テーブルにデニッシュ・ペストリーとコーヒーが置かれていることが当たり前なんです」
イエンセンのデニッシュを食べなければ、会議ができない人たちがいるとは。

30年前、店主の和田さんは本場デンマークでパンの学校を修了し、マイスターになった、「日本ではおそらく唯一」のパン職人である。
日本人がデンマークに留学するのは不可能で、和田さんが製パン学校に入学できたのは奇跡のようなものだった。

和田さんはイエンセンのデニッシュが日本の他の店の味と異なる理由について、バターの量が多いせいではないかという。
デンマークでは、生地に60%以上バターを含んだものしか、デニッシュ(ヴィエナ・ブロート)と呼んではいけない決まりになっている。
本場と同じデニッシュを作るために、和田さんは、この高温多湿な日本で、大量のバターを折り込んで溶け出さない工夫を試行錯誤で編み出し、たいへんな苦労を毎日つづけている。

あるいは、もしかしたらイエンセンが東京にあるということが、イエンセンのデニッシュを非凡なもの足らしめているのかもしれない。
というのは、いまやデンマークでも、添加物や方法の簡略化が幅を利かせ、30年前と同じやり方でデニッシュを作る店が少なくなっている。
日本にずっといて、30年前の方法しか知らない和田さんは、生真面目な性格も手伝い、他の方法では決してデニッシュを作ろうとしないのだ。

和田さんが敬愛するデニッシュの師にピーターゼン先生がいる。
デンマークでパンを教えている彼が、来日したときにイエンセンの看板を見かけたのは、まったくの偶然だったという。
ピーターゼン先生は、イエンセンのデニッシュが本場デンマークのものと変わらないことに驚き、以来毎年クリスマスになると店にやってきて、抜き打ち検査を行うようになった。
いつくるかわからないので、クリスマス頃には、和田さんはいつも緊張して仕事をしていなければいけないが、不合格になったことはない。

「パンは匂いである」
これがピーターゼン先生の持論だそうで、パン屋に入っただけでその店のパンがおいしいかどうかわかるという(大いにうなずける話だ)。
彼はユニークな方法でパンの検査を行う。
自宅の1階に置いたパンを置き、玄関の扉を開けはなして風がパンの香りを運ぶようにして、2階で待ち構えて匂いを嗅ぐというのだ。

ピーターゼン先生はいう。
「イエンセンみたいなパン屋がデンマークにもっとあればいいのに」と。
ユーラシア大陸を横断することなく、デンマークのトップレベルと同じデニッシュを食べられる私たちは、どんなに幸せだろう。

スモースナイル(168円)。
「スモー」はデンマーク語でバターを、「スナイル」は渦巻きを意味する。
この店のデニッシュペストリーの中で、もっとも単純にして、もっとも奥深い。
歯が表面に当たると、ずさりと小さな乾いた音を立て、それからすーっと心地よいしっとり感を伴って、歯が生地の層を噛み破っていく。
このしっとり感が大量のバターによるものだ。
バターは滲みだしつづけ、生地の味わいや、ふわりと香るシナモンと出会い、混ざりあって変化をつづけ、例えようのない愉楽へと導く。
それから中央へと食べ進み、アイシングの甘さに舌が触れた途端、力が抜けるほどの快感に襲われる。

ショコレーゼボロ(215円)。
シュークリームのように中が空洞。
噛むとへなりと押しつぶされる、その軽さが魅力である。
噛み切った底で出会うカスタードと、パン生地から滲みだすバターが、溶けながら混ざりあっていくとともに、おいしさの核融合を起こす。
さらに、しっかりと苦く、しっかりと甘すぎる、手加減のないチョコクリームが、日本人の未体験の快感を生む。
押しつぶされはしても、はっきりとできた層が、口の中で最後まで崩れないでいることも、口溶けの心地よさを倍加している。

スモーケア(395円)。
デニッシュ生地の軽いさくさくと、硬く作った、重たいカスタードのチーズケーキのようなしっとりした噛みごたえとのコントラスト。
カスタードの酸味に呼ばれた唾液が口にあふれるとき、生地から滲みだした大量のバターと合流して、本当の快楽の波がくる。
甘さは強いけれど、きらきらと輝き、透き通っている。

「快感」とかそれに類する言葉が多くなってしまった。
デニッシュの本質とは、体温でとろけるバターが、生地や副素材と口のなかで混ざりあって、刻々と変化していくことにあるのではないだろうか。
変化するもの、滲みいるもの、糸を引くように遠ざかっていくものに、エクスタシーを感じるように私たちの感覚器官はできているようだ。
ウィーンからやってきたパンを自分のものにしてしまったデンマーク人は、バターのエクスタシーに取り憑かれてしまった人たちというべきだろう。(池田浩明)

イエンセン
小田急線 代々木八幡駅/千代田線 代々木公園駅
03-3465-7843
6:50〜19:00(土曜は16:00まで)
日曜祝日休み

#038


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テコナ ベーグルワークス(代々木八幡)
第36軒目

地下への階段を降りると、ガラスの内側がきらきらしていた。
この店のベーグルはとても華やいでいる。
思わず手に取って触れてみたくなるような愛らしさがある。

パン作りを教えている高橋雅子さんが開いたのは、いちばん得意とするベーグルの店。
自家製酵母の「もちもち」、ホシノ丹沢酵母使用の「むぎゅむぎゅ」、イースト使用の「ふかふか」という3種類の食感のベーグルがあるのが特徴。

ベーグルを焼く小林千絵さんは10年間パティシエールを務めたあと、この店の店長になった。
「女の子が作っているのだから、見た目にもかわいいものをとこだわって、スタッフと心がけています。
1個1個に愛情をかけ、顔を見つつ作ります」

「ベーグルの顔を見る」。
1個のケーキに手間と時間を注ぎ込むパティシエならではの表現だと思った。
そして、パティシエにベーグルの製作をゆだねるという方法にも膝を打った。
考えてみれば、ベーグルの立ち位置はパンとお菓子の中間にある。
ベーグル屋に足を運ぶ人たちの多くはパンの味もさることながら、食べたことのないフレーバーを求める。
パン専門の職人よりも、フレーバーの開発についていえば、適材適所なのである。

「お菓子屋さんでは、パン屋さんの何十倍もの菓子の素材を扱います。
その中にはパン屋さんが知らない素材や調理法があると思います。
普通のパン屋さんが使わないものを使ったらおいしいベーグルができるんじゃないかと思いました」

ブーランジェの知らないパティシエのこだわりのひとつに、漬込みフルーツがある。
「ドライフルーツをそのまま使わずに、煮込んだり、2、3ヶ月前から漬込んだり、香りを足したりして使います」
ラムとブランデーとはちみつに漬込んだフルーツは、ときどき開かれる、土日のフェアのときのみ登場する。
たった数十個のベーグルのために、できあがる瞬間を想像してわくわくしながら、数ヶ月も前から用意をはじめるときの気持ちは、愛情という言葉がまさにぴったりくるものだろう。

「パティシエの頃に感じていたのは、お菓子が日常食として食べてもらえないということでした。
よくいらっしゃるお客さんでもせいぜい3ヶ月に1回とか。
お菓子は特別な日のためにあるものですから。
でも、この店では、1週間に2度3度通ってこられるお客さんもいらっしゃいます。
焼きたてを食べてもらえるし、お客さんと接する機会もある。
パンっていいな、ベーグルっておもしろいな、と思います」

大納言塩(むぎゅ、230円)。
生地に練り込まれたそこはかとない豆の味わいをふりかけられた大粒の塩が浮かび上がらせる。
ほのかだけれど、くっきり、というはじめての味わい。
アメリカンな食べ方を日本の食材に合わせた意外性がおもしろい。
反発してくるのではなく、沈み込む食感が「むぎゅ」生地の心地よさ。
酒種にも似た風味が特徴のホシノ天然酵母の生地に和の味わいは合っている。

おいもチョコ(ふか、240円)。
ココアを練り込んだ生地+巻き込んだチョコチップがとろけるダブルチョコ。
そこにさつまいもが入る新機軸。
はじめて食べるチョコとさつまいもの組み合わせは、とてもよく合っていた。
甘さの少ないチョコの苦みを、いもの甘さともたもたした食感が癒してくれる。
逆の言い方をするなら、チョコの苦みによって、いものやさしさを再発見させてくれるのだ。
もっともふっくらした「ふかふか」生地のやさしさも、いもにふさわしい。

クランベリー(もち、200円)+レモンミルククリームチーズ(170円)。
好きなベーグルとディップを自分で組み合わせたオリジナルサンドイッチ。
レモンクリームのせつない甘酸っぱさは、乙女心を持つすべての人へおすすめできる。
レモンはチーズの中に練り込まれて、鋭さがいい感じに丸まって、ふわっと甘い。
そこへ、クランベリーのとてもいい甘さが、ゆっくりと近づいてくる。
甘さはベーグルの皮の香ばしさともいい相性があって、甘いだけではなく、ベーグルの味わいに目を向けさせてもくれる。
「もち」生地は、普通のパンのもちもちよりは強いけれど、普通のベーグルのもちもちよりはやさしい。
自家製酵母+国産小麦の味わいの豊かな滲みだしは、ベーグルとして希有。(池田浩明)


小田急線 代々木八幡駅/千代田線 代々木公園駅
03-6416-8122
11:00〜18:30

#036


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アトリエ ベック(代々木上原)
第32軒目

もし晴れた日に、緑の芝生の上で、最高においしいパテをはさんだカスクルートを噛み破りたい誘惑に駆られたら、この店に駆けつければいい。

アトリエ ベックはフレンチ居酒屋サンカントサンクに併設されたテイクアウト専門店。



フランスを愛してやまないマルヤマチヒロシェフが私物を持ち込んでインテリアを手がけた。
パリの裏通りにある小さなビストロのような倦怠感や、古いフランス映画の一場面で見たような懐古趣味を漂わせながら、でもきっと実際には存在しないフェイクなのだろう。

あるいはシェフのなのか、スタッフの方のものなのか、i-podから流れてくる音楽はどの曲もどこか気になるが、他のフランス料理店では決して聞かれることのないもの。

人びとが無意識に前提する「フレンチとはこういうものだ」という先入観は投げ捨てられ、感覚に合ったものだけを寄り集めるうちに、デリの店ができた、とでもいうようなのだ。

パンについても同様。
担当の三宅利佳さんは、シェフとのコラボについてこう語る。
「『こういうものを作って』とシェフからいわれたものを、私が作って、提案します。
例えば、シェフからは『フォカッチャを作って』というふうにいわれます」

フレンチとフォカッチャ。
枠にとらわれていたら決して生まれてこない発想。
たしかにオリーブを濃厚に漂わせるこのパンが、フレンチに合わないはずはないし、ぜひいっしょに食べてみたいとも思う。
おいしさとは、ときとして規則破りや、背徳から生まれるものだから。

オリーブフォカッチャは、口にした瞬間、お菓子と錯覚してしまうほど甘い。
なぜそのような幻惑に陥るかといえば、鮮烈なオリーブオイルの風味と、普通のパン屋のパンではあり得ないほどのぴりぴりとくる塩気が、小麦の味わいをショッキングなほど引き出しているからでもある。
けれど刹那的に終わるわけではなく、噛み締めてなお味があり、唾液を吸ってさらに深い甘さへと変化し、国産小麦のやさしく複雑な風合いで終わっていく。


「食事に合うパンを、というコンセプトで作っています」
常識では、「食事に合うパン」とは、個性や特別な味つけのない、プレーンなパンということになる。
でも、それは「どんな食事にも合うパン」だった。
ここで供されるのは、いまはじまろうとする食卓にささやかな興奮をもたらすための「この食事に合うパン」なのだ。

アトリエベックのパンは甘い。
「甘いパンは食べやすいと思います。
ひとつで食べても、食事といっしょでも」
シンプルなパンも食事に合うし、一方、甘いパンも別の合い方をする。
あえていうなら、甘いコッペパンと惣菜の関係に似ている。

例えば、パンアニス。
「『アニスはスモークサーモンに合う』というシェフの一言から作りました。
サーモンに直接ハーブをかけるわけではなく、パンのアニスとサーモンを融合させる。
シェフはそういう出し方をしています」

ざくっとした皮とふかっとした中身。
強い甘さとぴりぴりくる塩気。
そして少し遅れてアニスの神秘的な香りが口の中にぱっと飛び散って花を咲かせる。
おかずの味を吸収するよりも、味覚に絶えず刺激と変化を与えて、食事を引き立てる。

パンと食事をトータルで提供するデリの店だからこそ、大胆な提案ができる。
この店の名物であるパテ・ド・カンパーニュをはさんだサンドイッチ(デリセット750円)。
「パテには酸味のあるパンが合います」
とライ麦のパンと組み合わせている。

がりっとした皮とざっくりとした粒の大きな中身が、繊細なラフさを感じさせる。
この生地がなめらかなパテと出会って質感のコントラストを生み出し、パテの濃厚さに対してライ麦の香りの強さ、濃厚さで応えている。
やわらかな味わいのマヨネーズやマスタードにもぬかりなく、ピクルスの甘酸っぱさが最高のアクセントになっている。

パンがどれも見た目にとてもかわいいことはぜひ書いておかなければならない。
「小さいパンでそろえようとシェフと話して決めました。
丸いのが並んでいるのはかわいいですし」
海岸に落ちている小石のさりげなさと、絵本から出てきたような不思議さに、心惹かれる。(池田浩明)

小田急線 代々木上原
03-5454-5631
12:00-22:00 (土日祝は21:00まで)
#032


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ブーランジェリー ラ・セゾン(参宮橋)
第31軒目

石畳の階段を下ったところにブーランジュリーは現れる。

だが気取りはない。
この店のパンにはいい意味での「隙」があるように思える。
それは軽さであったり、付け加えすぎないことであったり、普通っぽさを残して食べ手に緊張感を与えないことだったりする。

西條シェフはいう。
「シンプルなものを心がけています。
パンの本来の役割は料理と合わせて食べること」

パンはパン屋で手渡した時点で終わるのではなく、食卓にのぼって、料理といっしょに人の口に入り、胃の腑に収まるところで終わる。
パン屋がパンを完成させすぎるのは一種のおこがましさであるとシェフは考えているようだ。

例えば、ピッツァ・ビアンカ(180円)。
パン屋でピザパンが売られていることはよくあるが、生地だけが売られることは少ない。
自分でピザが簡単に作れる、というところにテンションが上がって購入した。
朝食のテーブルでケチャップを塗り、とろけるチーズをのせてオーブントースターで焼いた。
パン屋で買ったピザパンとちがって、できたて。
ケチャップの量も自分好みにできるし、なにより自分の手でピザを作るうれしさがある。
いつものトースターからでてくる、チーズのとろけた本物っぽいピザに、子供がよろこんだ。
完成しすぎていないゆえの幸福感もあるのだとわかった。

ラ・セゾンでは誰もがパンを作り、誰もが販売する。
オーブンは売り場のすぐ近くに置かれ、客がくればオーブンの前にいた職人が笑顔を見せて対応してくれる。
すべて対面販売。
「食べる人を見ないとパンは作れない。
食べる人に直接会って、顔を見て、どんなパンにしようかと考えていかないといけないと思います」

バゲット・ラ・セゾン(280円)。
自分の焼くバゲットのイメージについてシェフは、
「軽い。大味な感じのバゲットが多いけど、うちのはぎゅっとした感じ」
本当に軽い。
中まで火を通して水分を飛ばし気味にし、さくさく感、食べやすさ、噛みやすさであとを引かせる。
軽さの表面を刷毛ではいたように、嫌みなくフランス産小麦の風味が顔をのぞかせる。

ポテトとローズマリーのフォカッチャ(180円)。
ぱりぱりの食感。
特に、外周の高くなったところが音を立てて、噛むのがここちいい。
薄焼きのフォカッチャ。
その上にのせられた極薄のじゃがいももしゃきしゃきとして、ふりかけられたローズマリーが鼻を刺激する。
味わいのある塩気(天塩)が、小麦の味を増幅させ、ゆらめかせる。
薄く切ったじゃがいももローズマリーも、それだけで味があるものではない。
にもかかわらず、ここには完成しすぎない、やや物足りないというおいしさがあって、そのためにどんどん食べ進んでしまうのだ。(池田浩明)

小田急線 参宮橋駅
03-3320-3363
7:00〜20:00
月休(祝日の場合は営業)

#031


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ラ・ヴィ・エクスキーズ(経堂)
第28軒目

しびれるセンスの店があった。
経堂駅からの1キロあまりの道のりを歩く価値が大いにある。

パンの形、たたずまい、置かれ方、木をモダンに使ったインテリアにしびれる。
若いシェフがひとりで焼いているところが、売り場からも見える。
オーブンからでてきたパンひとつひとつを見て、あるパンにはしびれ、またあるパンには思ったほどはしびれず、と心のうちで葛藤しているかもしれない、と想像した。

「ていねいに」
戸村義洋シェフがまず口にしたのはこの言葉だった。

「ていねいに、生地に無理をかけないで、時間をかけて。
こねすぎず、発酵の時間をかける。
イーストなら少量、必要最低限。
粉の力で発酵させようとしています」

言葉少なな人だった。
それがいいと思った。
感性とは言葉以前のものだから。
自分の感性を信じて、パンを作る。
言葉にひきずられず。
そのことは、形から、味からしっかりと伝わる。

雑貨がとてもかわいく、きっと奥様が集めたのかと思って、店員さんに訊ねると、
「いや、店長が」と。
作り手と、店に置かれているもの、そしてパンは三位一体という法則は、この店にもあてはまる。

パン・コンプレ(230円)。
「ていねいな」丸さに惹かれた。
薄くぱりっと、かつソフトな皮の下に、なんとしっとりともちもちした中身が詰まっていることか。
国産小麦+ルヴァンのやさしい野生が濃密に香る。
口にした瞬間のほのかな甘さは、全粒粉のコク、香ばしさをともなって、まるで風船のようにMAXまで膨張していく。
その様にただ感動する。

パンドミ(360円)。
ちょっとずんぐりの形がかわいい。
そして味もかわいい。
なつかしい感じの発酵の香りが強くして、湧きあがる甘みは発酵の香りとないまぜとなり、なぜかレトロな食パンを思い起こさせるのだ。
軽さとしっとりのバランスや、皮のぱりっと感、中身の食感のさくさくは、先端を感じさせるのに。
レトロを先端で解釈したパンといえるだろう。

ペピット(180円)。
さくり、と薄い生地を噛み切った瞬間、「これは、やばい」と。
なんとふんわりと、なんとするどく、チョコの苦みと洋酒の香りを走らせることだろう。
それは、とてもとても充実した、カスタードとブリオッシュの甘さの渾然一体の中を突っ切っていく。
繰り返しになるが、生地のさっくりしたテクスチュアと甘さのあいだの強烈なシンクロによって、勝負は一瞬で決まる。(池田浩明)


ラ・ヴィ・エクスキーズ
小田急線 経堂駅
03-3304-2771
火休、第1・3水休

#028

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カタネベーカリー(代々木上原)
25軒目。

代々木上原駅から細い道を歩く。
店舗などあまり見かけない住宅街。
やっと見つけたカタネベーカリーは、周囲の住宅や町工場からまるで浮き上がっていない。

それを見たとき、たちどころに
「フランスの町のパン屋さんのようなお店にしたいなと思っています」
と片根シェフがブログにつづった言葉が思いだされた。

フランスのパン屋に似せているわけではない。
タバコ屋やクリーニング屋がただあるように、そこにただあるという特別感のなさが似ているのだ。

片根シェフはいう。
「パリのパン屋さんは、日常に溶け込み、生活の一部になっている。
そういう本質の部分で、パリのパン屋さんのようになりたいと思いました。
内容とか、価格とか、使い勝手とか。
高級なものではない、普通の感じに」

「好みの味にしたいとか、どういうことがやりたいのか、とか。
作りながら、いつもそういうことを考えています。
お客さんの声も反映しながら、地域に影響を受けて」

昼休みの食事をとても楽しみにしていたという感じで、地元の人らしきマダムや学生やカップルが入ってくる。
そして、多くの人が個別具体的に、
「チャバタのツナサンド」とか、
「きょうのキッシュなんですか」とか、
マニアックな「いつもの」を持っている。
パンの文化が町に根づいたその風景は本当にパリのようだった。

「しゃべりは奥さんが上手」と照れる片根シェフに、
「通訳が必要なんです」と奥様。
饒舌ではない語り口に誠実さを滲ませるシェフの言葉の中で、特に響いたのが「シンプル」だった。

「付加価値を付けすぎない。
必要ないのに変わったことをしすぎているパンが多いように感じられて。
毎日食べるパンなので必要最小限に」

「必要最小限のパン」の代表としてあげてくれたのがバゲット(長時間発酵のフランスパン[小100円])だった。
「ちょうどいい重さ。
重たくもなく、軽くもなく。
なんだかわからないけど、あとを引いて、どんどん食べたくなるような」

ぱりっと乾いた、薄い皮には、セレアル的な甘さがある。
しばらくのち、かなり強めの塩気に導かれて、中身の味わいが溶けだしはじめる。
長く長く、飲み込んだあとまで。
しょっぱいのか、甘いのか。
変化しながらつづいていく心地よさに、身をゆだねることができる。

角食パン(パンアングレ[260円])も必要最小限。
バゲット同様、このパンのおいしさも言葉にならない。
舌触りがなめらかで、ふわふわしているのに、コシがあって、歯の動きに合わせて生地がクネクネと動く(ペリカンが実現するあの食感に極めて似ている)。
皮はしっかりと香ばしい。
肝心の味だが、甘くもしょっぱくもない。
ただ口の中を満たす言葉にならないなにかがおいしい、としかいいようがない。
そのいい感じがずっとつづく。

おいしさを感じるのに言葉は必要ないという当たり前のこと、あるいは言葉を必要とするものは本当に「おいしい」のかという根本的なことまで考えさせてくれた。

パン・オ・レザン(190円)。
バランスがとてもおいしい。
嵐のようなラム酒の濃厚さとたっぷりのカスタード。
なのに、すがすがしくとても軽い。
2つを受け止める生地のぐるぐる渦巻きに隙間があり、それが空気をはらんで、全体をとても軽やかにしているのだ。
余計なものを取り去り、生み出した空間に仕事をさせる。
ここにも「必要最小限」があった。(池田浩明)

カフェも併設。

小田急線・千代田線 代々木上原駅
03-3466-9834
7:00〜18:30
月休・第1第3第5日曜休

#025


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ブーランジェリー&カフェ マンマーノ(代々木上原)
24軒目。

開店してまだ2年の新しい店。
今後、マンマーノの名は、クリームパンによって人びとに記憶されることになるのではないか…という予感がしている。

毛利将人シェフは、天皇陛下はじめ世界のVIPが宿泊することで知られる、パリのオテル・ド・クリヨンで、シェフパティシエを務めていた。
クリームパン中のクリームは、牛乳や卵といった材料こそ日本製に替わっているといえ、そこで供されているクレームパティシエールと同じレシピで作られたもの。

手で持つと形が変わるほどやわらかいパンが、実に心地よく歯切れると、とろとろのクリームがこぼれ落ちそうになる。
クリームはさっぱりしてキレがあるのに、バニラ味が風味をすーっとじょじょに強めながら、舌に滲みこんでくる。
やがて、口の中がどうなってしまったのかと思うほど濃厚にバニラが吹き荒れる。
生地はクリームのとろとろと連動するようにもちもちし、かつ実に口溶けがいい。
そして、後味は実にさっぱり。
わずか4口できれいさっぱり消え去る、白昼夢のようなクリームパン。

ハード系から菓子パンまで。
ベルギー、イタリア、フランスで修行した経歴を持つ、毛利将人シェフ。
本格的なブーランジュリーでありながら、ときには自由に菓子パンや日本のパンも焼く。
理想のイメージに向かって、多彩な引き出しから取り出したあらゆる技を駆使する。

例えば、使用する粉は国産、仏産はじめ10種類に及び、そこからパンの特徴や作りたいイメージに合わせて数種類をブレンドする。
「おおざっぱにいうと、国産はもちもち、仏産はさっくりして、引きが強くない。
ブレンドするときに重要視するのは、まず口溶け感、さくっと切れるなどの歯触り、もっちり・さっくり・しっとりなど食感のめりはりです」

ときには、うどん粉やラーメン粉なども使う。
「日本人は、戦後、アメリカが小麦の輸出のために行った政策によって、真っ白いパンがいちばんいいという考えが植え付けられてしまった。
粉もきれいにされすぎているところがあるので、雑味をだすためにわざと使うのです」

酵母も数種類を使い分ける。
例えば、ハード系にはライ麦から起こしたルヴァン種(自家製酵母)を、マンマーノブレッド(角食)には自家製の乳清種を。
「酵母にはそれぞれ別の風味があり、素材との相性があります」

乳清種は毛利シェフ独自の発見による。
「いらなくなった乳清(ホエー)を置いて帰ったら、翌日臭くなっていた。
粉を混ぜたら発酵するんじゃないかと思い、試してみました。
最初は匂いが悪かったが、つないでいくとおいしくなった。
これがものすごい発酵力で、発酵時間も短縮されるほど。
はじめは失敗しましたが、生地の特性をつかむと、うまく焼けるようになりました」

妥協なき材料へのこだわり。
例えば、ハード系のパンにはエビアンを使用。
「日本の水が軟水であるのに対して、エビアンは中硬水。
中硬水は小麦粉の表面だけでなく、粒の中にまで水分が浸透していくので、同じ水の量でもよりしっとりとしたパンが焼けます」

バゲット(320円)。
日常で食べるための軽やかさ、さっくりした歯ごたえが優先された、王道的バゲット。
薄い皮はがさっと崩れたあと、口の中でぱりぱりとしばらく音を立てる。
ひときわ強く、明るい味わいが噛むごとにじんじんと響きわたる。
軽さと味の強さの両立がハイレベル。

フォカッチャロール(90円)。
ロールパンかと思って口にすると、実に口に馴染むやわらかさに驚く。
薄い皮の中にもちもちとした中身がぱんぱんに詰まった印象。
ヨーグルトでもバターでもない新しい乳臭さが新鮮に香る。
そして小麦味の大量の滲みだし。
舌の上あたりにうまみがたゆたうようにすら感じられる。
もっと多くの店で出会いたいパンだと思った。(池田浩明)

千代田線・小田急線 代々木上原駅
03-6416-8022
8:00〜20:00(L.O.19:30)
火休

#024


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ブーランジュリー プーヴー(代々木上原)
23軒目

デニッシュのおいしい店である。
と同時に、おいしいデニッシュのような店でもある。
ちいさいポーションの中に、さまざまなものが類い稀なセンスで同居しているからだ。

店に入った瞬間、ショーケースの華やぎに目を奪われる。
東京広しといえど、こんなにうつくしい棚は2つとないと思えるほどに。

デニッシュの具材の取り合わせの妙、鋭い感覚、具材をひとつひとつ手作りする丁寧な仕事にいつも脱帽させられる。

すばらしいのは、そうした誰もが目を引く部分にだけ情熱が注ぎ込まれているわけではなく、食事パンにも誠実さがこもっていることだ。

情熱はどこからやってくるのか。
片岡達志シェフは、パンに引き込まれた理由を、どこまでいっても理解し尽くすことができない「複雑さ」ゆえだと語る。
「日々が発見です。
こねるときにかかる微妙な力加減や、水加減、ミキシングの時間のちがいによって、まったく別なものができあがる」

「オーブンからできあがったパンがでてくる瞬間はいまでも不思議な気持ちになります」
そのような、日常を驚きとして捉えられるような繊細さを、片岡シェフの作るパンのいたるところに見いだすことができる。

フランスに行っていた経験のあるシェフの店のパンにはどこか共通してフランスの味わいがあるのではないかと訊ねると、
「僕もそう思います。
意識的にしていなくてもでてしまうものなのではないでしょうか。
フランスのやり方、日本のやり方、いいところと悪いところがありますが、自分で判断していいと思うことをやっています」

そこはかとないフランスの味わいの中に息づく日本のこまやかな心配り。
プーヴーのパンとはまさにそうしたものだ。

片岡シェフがフランスで学んだこととは、パン作りに限らず、その空気の中で暮らすことすべてだったという。

「フランスと日本では、パン作りに限らず、生活スタイルがぜんぜんちがいます。
パンのあり方も、パンの文化もちがいます。
バゲットひとつとっても、僕は1日1000本もバゲットを焼いていましたが、みんなが3食パンを食べ、生活の一部になっています。
フランスではほとんどの店が対面販売ですが、行列ができているのに、お客さんと平気で世間話をしていて、誰もあわてていない。
フランスで作っていたようなパンを作りたくてやってみることがあるのですが、同じ味にはなりません。
浮遊している菌がちがうのではないでしょうか」

いまは育児のためにお休みしているが、売り場に立つ奥様のセンスが片岡シェフのパンをよりうつくしいものに見せている。
前職は美術関係の仕事をされていて、例えば、前述したショーケースの色合いにはとことんこだわったとのことだ。

バゲット(260円)。
薄く硬い皮に歯を入れると心地よくひび割れていく。
そこには、すがすがしい香ばしさと明るい甘さがともにある。
一方、みずみずしい中身には、どこまでも透き通っていくようなピュアな小麦の味わいが。
パリのバゲットの皮と国産小麦のおいしさが、一本のバゲットにおいて邂逅を果たしている。

チキンシーザーサンド(350円)。
さっくりと焼かれたチキンのロースト。
とびきりの自家製ドレッシングで和えられたぱりぱりの野菜と、薄く削られたパルメザンチーズが添えられている。
もし、このようなランチをどこかのビストロで食べることができたら、小さいけれどずっと記憶に残るような幸福感を覚えるだろう。
そのような食事がピタパンの中におさめられ、わずかな値段で食べることができる。
片岡シェフの師であり、サンドイッチに抜群の才を発揮する、アンジェリーナの隅シェフから受け継がれた感覚がある。

ショコラフランボワーズ(240円)。
以前食べたタルト的なショコラフランボワーズが忘れられなくて買ったが、このクロワッサンオザマンド的なほうも負けずにすばらしい。
ホワイトチョコレートが塗られた表面のビスケットを食べただけでもう深い満足に襲われてしまう。
デニッシュのさくさく感、とろとろのフランボワーズジャムに対して、ぼりぼりとした板チョコを持ってきて、意外性と食感の対比を演出してしまう心憎さ。
それらが時とともに溶けあい、じょじょに混ざりあって境界線を失い、一体のすばらしいなにかになるとき、茫然自失してしまう。(「ぷ」こと池田浩明)

ブーランジュリー プーヴー 
小田急線・千代田線 代々木上原駅
03-5465-2333
9:00〜19:00(日祝〜18:00)
水休・第3火休

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